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バカにするとか、されるとか

"おとな"になるのは難しいのだ

#大人になったものだ なんていえるわけがない』、という悲痛な叫びにも似たテキストを起こしたのだけれど、書いた内容としてはオジさんやオバさんと大人は異なるものだよね、ということです。

そんなことを書いてしまうからなのか、そもそもの前提認識みたいなところがおかしいのかなんなのかはわかりませんが、バカにされてるなぁ...なんて感じることが、これまでの人生で1回や2回ではありません。

バカにしている本人は冗談半分なのかもしれませんが、バカにされる側からしてみると「なぜにそのような態度を取られるのか」ということを考えなければなりません。

それが苦痛だとは言いませんが、そもそも理由も告げずに相手のことをバカにする態度をとる、なんてことはすごくひどいことのようにも思いますが、なんで起こるんでしょうね。

「じゃー、お前はバカにしたことがないのか」

そんな風に言われると「いや、たしかにあります」と答える他にありませんね。僕だって聖人君子ではありませんので、そんな"ひどいこと"をしてきた過去があります。

が、ひどいことをしたという認識があるから、もうしません。いや、したくありません、か。

バカにするってなんだ

そもそもバカにするってなんでしょうね。調べてみましょうか。

相手を自分よりも劣ったものとみなす。軽視して油断する。

直球きましたね。どストレート。

僕の経験からでしかありませんが、バカにする側の人がどんな状態にあるのかを考えてみようと思います。そもそも相手をバカにする、からかう、といった行為をとる場合の気持ちってどんなものだろうか、と。

だいたいですね、人をバカにするというかバカにしようとするってことは、そもそも自分の位置が相手よりも上で、そのバカにしようとする対象となる人よりも「何かが見えてる」と思ってます。

けど、それって「こういう面もあるよね」って言えばいいだけなのに、敢えて言わずに相手のことをバカにするという行為に走るのはなんでなんだろう。

おそらく、自分の問題なんですよね、これ。自分に自信がないというわけではなくて、相手のことを受け入れるだけの余裕がない、といったほうがいいのかもしれません。

相手の言うことを受け止めて、相手に対して違うことを提示をする、という行為や言動を億劫に感じてしまうこと。

その億劫に感じてしまう、というのは決して褒められるものではないという認識を持っているけれど、それを否定することも、その時間も許されない感情があり、その感情の赴くままに発言してしまう。

それが「バカにする」という行為というか態度になってしまうのではないかなぁ、なんて思うんです。

バカにされるってなんだ

では逆の立場、ここでいうとバカにされるってなんでしょうね。

発言が稚拙だったり、前提認識が足りてなかったり、ステレオタイプな発言に引き込まれたり、声が小さかったり、優柔不断だったり...

ネット上では、そんな「バカにされる人をバカにする」風刺みたいなものが溢れてますが、そこは正直どうでもよくて、バカにされる人が「いけないよなぁ」と思う部分は、そんな風刺されるようなことではありません。

自尊心みたいなものが欠けてしまってる、つまり、自分のことをきちんと背伸びしないで、きちんと評価できてるのかどうか、という点が重要だと、バカにされてきた身としては実感してるところです。

評価、ということばには違和感があるので、違う言い方をしたいのですが、パッとは思いつかないので、ひとまず置いておきます。

自分のことを大切に考えられてない、という意味で、自分が自分のことを認められてないときに、バカにされることがあったよなぁ、と。

背伸びをしていることを見透かされていたのか、自分の意見ではない他人の考えを引用するだけになってしまったり、〇〇に書いてあったから...みたいな薄い評論みたいなことをしてしまったり...

自分、という存在をキチンと把握して、養えるようになっていない状態になっている時には、バカにされやすいのかもしれません。

「する人」と「される人」の間

そんな風に考えていたら、バカに「する人」と「される人」の間には大きな壁があるように見えて、実はまったく壁なんてものはないのだと気づきました。

傷つける対象が誰なのか、というだけで、根本的には傷つけてしまうことをしてしまっているという点で差がないのだ、と。冒頭で「"おとな"になるのは難しい」なんて書いているのは、そんなことを表現したくて書いてます。

バカにする人もされる人も衝動的に傷つけてしまいたいのではないか、と。

この「衝動的に」という点が、大人になれていないという意味を決定づけるものだと僕は捉えていて、冷静に物事を判断する、客観的な見方をする、なんてことが必要になります。なるんですが、簡単じゃありませんね。

子どもと生活をしはじめてから、子どもたちが「自分を越える時」を楽しみにしていたのですが、長男にはすでに越えられた...と思うことが1個や2個では済まない状態になっています。

「自分を越える時を楽しみにしていた」なんてことを言っている時点で、僕はすでに相手(子ども)のことをバカにする態度そのものなわけで、僕はいつまでも変わらないのかもしれません。仕方ないですね、ほんと。

ただ思うのは、お互いに変な意地はらず、背伸びなんかしないで、座って話をすればいいのに、ってことです。

バカにする、ということはなにも生みません。そんなことはわかっているはずなんです。

「それで奮起することを期待して」なんて勘違いをするオジさんが、僕の過去には確かに存在したのですが、それは自分がそうだっただけの話で、再現性があるのかっていえば、あるわけがない。

目の前にしてる人は、自分とは異なる存在なのだと認めることができない人は、そんな風に自分の成功体験からのコピーロボットをつくろうとするのかもしれません。できないだろうけど。。

自分ではない他人に対しても、自分に対しても、誠実に、真摯に、丁寧に、という態度を取ろうとすること。

それが"おとな"になる上で必要なことで、それができれば「バカにする」とか 「される」とかって話もなくなるのかもしれません。



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