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長男とのケンカから

最近、長男とケンカみたいに対立する機会が増えた。

体格に差があって、リーチの差がそのまま勝敗の差になってしまうので、肉体を駆使したものではなく、こちらが求めるものに対しての真逆の態度をとったりした際に、その意識の差を埋めるための口喧嘩といえばいいか。

そんなに大それた内容ではないから、はたから見たら「そんなことで…」みたいな内容だって大いにあるのだと思うけど、ぼくと彼は割と真剣に言い争いをしており、時にはこちらが「グヌ…」となったりもする。

例えば、みんなで揃って夕飯を食べようとした際に、ダラダラと寝そべったりしていようものなら「一緒に食べよう」と声をかけても「疲れてるんだよ」みたいな返し方をされる。

疲れてるからってご飯を食べないのか。

いや、食べるけど、自分は今のタイミングではない。

だったら、いま、みんなで一緒に食べるのか、あとで一人で食べるのかを選ぼう。

いやいや、わかったよ。食べるよ。

そんな風に、徐々にではあるものの「自分の時間」を確保し始めているような気がしていて、それ自体は否定したいとも思わない。

そのグデグデ…ダラダラとした雰囲気をつくるための物言いや、姿勢、態度といった見かけ部分が気に食わないから、つい連続して呼びかけたりして指摘する。

けど、それって実は本質的なものではないのかもしれない、とここ数日で思い始めた。

寂しいんじゃないか。

彼ではなく、ぼくが。

これまではこちらに頼りっぱなしで、割と従順に生活を共にしてきてくれたもんだから、それとは異なる態度が出てきたことに戸惑ってしまった。

それまでも、似たような態度がなかったのかといえば、あった。あったのだけど、あからさまなまでにこちらの時間軸には入ってきたくないという態度で接してきたことはなかった。

勝手に彼の態度を決めつけてしまっていた。

そこから脱皮し、それまでの自分の態度を否定しつつ、自らの行動や時間を大切にする態度を取り始めたことを、こちらが受け止めきれていないだけだ。

それは、ほんの少しかもしれないけど、ぼくや妻からの精神的な意味での依存心が低くなったのかもしれない。

「いやいや、とはいえ、まだ5歳だぞ。」なんて思うのだけど、同時に「もう6年目だぞ」とも思う。

これまでだって、ぼくや妻を「超えたな」と思う場面なんていくらでもあった。

いくらでもあったし、それを認識しているつもりだったけど、こちらの都合のいいような解釈をしていただけなのかもしれないとも思う。

かっこいい息子像を彼に押し当てて、その通りになった時だけ「すごいな」なんて具合に。

勘違いしていただけなのかもしれない。

彼が生きてきた6年間は、ぼくや妻との時間はもちろん、次男や三男が家族になってきたことをマジマジと実感してきた時間でもある。

その間、自分のポジションが次男や三男に奪われた経験を、彼は2度3度と経験しているのだ。強くならないわけがない。

ぼくたちに「依存してほしい」とは思っていなかったのだけど、改めて考えると「そう考える親でいたい」って理想を追いかけていただけで、実像としての彼を見ていたわけではなかったのかもしれない。

そう考えると申し訳なさを抱くのと同時に、寂しいという感情が湧いてきた。

そうか、彼はもう自らの時間を認識し、把握し、取得できていたのか。

ぼくや妻は勝手に長男像を作っていて、その中にこそ彼がいるものだと思っていたのだけど、実際にはそうではなくて、すでにその範疇を飛び越えていた。

カゴの中で勝手いたと思っていたのに、実はカゴに入っていたのではなくて、入ってるように見せていただけで、いつでもカゴの外に行けるのだと見せつけてきた。

まだまだ肉体的にも精神的にも未熟だ、なんて思っていたのだけど、逆に未熟だったのはこちらの方。

そう思うと、なんだか嬉しい。

だけど、やっぱり寂しいんだ。

まだまだ一緒にいてほしいと願うものの、着実に、そして確実に彼は一歩ずつ、こちらから離れていく。

実際に自宅を出て行くとかなんとかって話ではないけれど、彼は確かに背中が立派になっていく。

時には甘えてくるけれど、その甘えも徐々になくなって行くって理解しているからこそ、愛おしくて、寂しい。

こんなふうに寂しがるのもウザイのだろうかなぁ。

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