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#何気ないツイートから始まる物語 〈はじめに〉

何気ない一言(ツイート)からはじまった

『ん?岡部さん(@yasuokabe )のフォロワーがスゴく少ない…。最近始められたのだろうか…。』

こんなつぶやき(Tweet)から、世界で最もレベルの高いサッカーの大会であり、質の高いスポーツコンテンツでもあるUEFAチャンピオンズリーグを運営する会社、T.E.A.M.MARKETINGの岡部恭英さんと共にイベントを開催することになった。

UEFAチャンピオンズリーグについて
欧州サッカー連盟(UEFA)が主催する、欧州サッカークラブの頂点を決める大会。前年度の欧州各国リーグ優勝チームおよび上位チームが出場し、グループリーグと決勝トーナメントの2ステージで闘い、優勝チームを決定する。
UEFAチャンピオンズリーグで優勝したチームにはトロフィー“ビッグイヤー”と呼ばれるトロフィーが贈呈されるほか、日本でも開催されていたクラブW杯への出場権などを得る。

他人からすればどうでもいい内容のTweetから、まさか怒涛のような6ヶ月間が幕を開ける事になるとは、想像もしてなかったし、思いもよらなかった。

SNSの悪い側面を恐れる人たちからしたら怖いことだったのかも知れないけれど、結果的に、ぼくは恩恵を存分に受ける形で岡部さんに会うことができた。彼を呼ぶイベントの主催者として。


ぼくはTwitterが大好きだ。時間ができればTwitter(アプリでもWebアプリでも)を開き、どんなことがタイムライン上で見聞されているのかを確認する。

Twitterをやり始めて以降、世の中には芸能人やお笑い芸人でなくとも面白いことを考えて発信できる人がいるし、深い洞察を踏まえた上で発信ができる人もいることもわかった。

さらに、「ダイレクトに繋がれる」のも実体験として理解できた上に、それに合わせて、改めてネットの恩恵を受けるに至っていた。

大喜利コミュニケーションツールとしてのTwitter

ぼくはTwitterを、大喜利から入るコミュニケーションの入り口となるツールだと思ってる。

ある程度、ネットの中で大喜利をもとにしたコミュニケーションに味をしめ、それをリアルな世界へどう変換したらいいのかをと考えていた。

それをどうやって、誰に対して起こしていけばいいのかをぼんやりと思い浮かべながら、漫然と誰かしらに投げかけようと思っていたのだけど、どうも踏ん切りがつかない。

「相手は忙しいだろうな」「こんな名もしれない奴の相手なんかしてられないよな」

そんな風に考えていたのだけど、あることに気付いた。ぼくが起こした行動を「いい」か「悪い」かを判断するのはぼくではない。相手が判断することだ。

一歩を踏み出す際には勇気がいる。

「いまはちょっと...」とか「こんなこと言ったら失礼かなぁ...」なんて相手に気を使いすぎたり、自分のタイミングがちょっと整っていなかったり。

でも、タイミングは食材と一緒で”旬”があるし、時間が過ぎればダメになってしまう。

“鉄は熱いうちに打て”なんていわれるけど、鉄を成形するのにもタイミングを逃してしまえば、ただの思いつきで終わってしまう。何も動いていない、考えていないことと一緒になってしまうのだ。

もうちょっといえば、話題になれる瞬間を逃してしまえば、その流れに乗り切れない。それがいいかどうかは別で考える必要があるけれど、うまく作用することがある。

「早いこと」が何にも増して素晴らしいとは思わないのだけれど、自分の行動や言動を相手に投げかけること、それ自体は相手に反応するまでの時間的な猶予を与えることにも繋がる。そう考えてみれば、早くしたほうが得をすることが多いんじゃないかな、とも思う。

今回の岡部さんと共に開催したイベントは、タイミングがよく、お互いに歯車が重なり合ったからこそ「形」にすることが出来た。

ぼくみたいな無名の個人にとって人生を豊かにできるかどうかの分かれ目は、その「形」にできるかどうかなのではないかと考えている。

地方在住の圧倒的な無名の個人

ぼくは地方に住み、生活を営む、圧倒的なまでに「無名の個人」だ。

生まれこそ母方の実家である茨城県だが、これまでの時間の多くは新潟県で過ごし、一度も新潟県から出ることなく働き、暮らしている「普通の人」。

別にスポーツの世界でそれなりに活躍をした選手でもなければ、指導者として活躍したこともないし、運営者としてチームを実務的に回していたわけでもない。ただ、スポーツが好きなだけの一般人。それがぼくだ。

スポーツが好きだったからスポーツトレーナーを仕事をしていた時期もあるし、スポーツ系の専門学校で働いていた時期があるから、新潟のスポーツに関わる人たちとは、それなりに知り合いになれた。だからと言って、何かを成し遂げたわけでもないし、ただ知り合いがいるだけ。

要約すると、ぼくは地方で生活する一般人であり、スポーツとは関係のない仕事を生業としている、スポーツ好きな中年男性だ。

ちなみに環境的なことをいえば、岡部さんとイベントをやろうと動き始めたのは2月。4月からは新しい職場で仕事を始めることが決まっていて、仕事の切り替えを控えた転職者だったし、家族は妻と子どもが2名いて、2018年4月には3人目が生まれてきてくれので5人家族になった。

仕事と家族構成が変わるという環境の変化に適応することが求められる中で岡部さんとつながり、背中を押してくれる人がいたからこそ、飲み会以外で初めて人を集めるイベントを開催することになった。

絡んだ相手は日本スポーツビジネス界の大物

ぼくはスポーツの中でもサッカーが好きで、自分でやっていたのもそうだし、見るのも好きだ。

DAZNとか契約してないし、スポーツの試合中継を見ることはめっぽう少なくなったのだけれど、高校生当時は本当にサッカー中継を見るのが大好きだった。

いろんなリーグのいろんな選手のプレーとか見てると「カッコいいなぁ」、「できるようになりたいなぁ」なんて思ったり。

2002年に日本でW杯が開催され、新潟も開催地の一つだった。なんだか大きな祭りが日本で開催されることにうれしい気持ちを抱いていたのを思い出す。

Jリーグに所属する選手たちがプレーする内容だって、見ていればスゴいと素直に感じていたのだけど、質が高いと感じる最たるものがUEFAチャンピオンズリーグだった。

当時、レアル・マドリードというチームにジネディーヌ・ジダンというフランス人選手が所属していて、彼のプレーは大きな猫がボールを扱うようなしなやかさがあり、ものすごく魅力的で、とにかく見ていて楽しかった。そのジダンがUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦(vsレヴァークーゼン戦)で、漫画みたいなシュートを決めたのを中継で見たり、ビデオで繰り返し見たり、報道番組でみたりした。

とにかく何度も見た。そして、感嘆とした。

当時は、チャンピオンズリーグを運営している会社があるなんてことを知らなかったし、もちろん、その中に日本人が入ることになるなんて知る由もなかった。

その運営会社であるT.E.A.M.MARKETINGへアジア人として初めて登用された岡部恭英さんのことを知ったのは、NewsPicksというサービスの中で記事を書かれていたのを読んだことから。

スポーツ業界からも離れ、一般ビジネスを行う会社で、普通の会社員として働き始めたぼくは、その存在を遠くに感じながら記事を読むだけ。

その時にはスポーツや自分が住むエリアに対して自分が何かしらの行動を起こすことも考えてなかったし、何の感情も抱くことはなかった。

記事を読むたびに「ハァ〜、さすがですなぁ。」「こんな風にバリバリできる人はかっこいいなぁ」「文面からすごく前向きな雰囲気の出せる人だなぁ」なんて、自分には一切関係のない人であることを前提的な印象として抱きつつ、岡部さんの記事を読んでいた。

NewsPicksで岡部さんの発言を読みたいと考えフォローする人の数は17,000を超えて(2018年2月時点)おり、そんな数を見た率直な感想は「何だ、そりゃ。」と思ったものだ。

その数を見れば見た分だけ現実味が増してきて、自分との関係性は殊更に遠く感じられた。ぼくと岡部さんの関係は、スポーツビジネスの先端を走るトップランナーとして活躍する中で書く文章の「執筆者」と「読者」。

それ以上でもそれ以下でもなかったし、それより前進するなんてことはこれっぽっちも思わなかった。何より「何かしらの関係が構築できるものではないだろうし、あるわけがない。」と真剣に思っていた。いや、そもそもそんなことを考えもしなかった。

けど、想定よりも少ないtwitterのフォロワー数(300をちょっと越したぐらい)に面食らったぼくは、思わず冒頭の一文を岡部さんへとメンションを飛ばした。それが冒頭の一文だ。

日本のスポーツ界で岡部さんを知らない人はいないだろうし、いたとしても、それはアンテナを張りきれてないのかも知れない。だけど、UEFAチャンピオンズリーグの放映権、と聞けば反応をせざるを得ない話題なはずだと業界の外にいる門外漢のぼくですら理解できる。

まさかその人がぼくみたいな無名の個人の働きかけに応答してくれるとは思いもしないわけで、反応をもらった時の反応はドキドキとワクワクが入り混じるような不思議な感覚だった。

ただ、確かに覚えている。感動した。嬉しかった。そこから「無名の個人」と「ある業界の著名人」が手がけるイベントプロジェクトが「それを支える友人たち」との間で動き出すことになる。

ぼくが本書で伝えたいこと

無名の個人だからこそ、行動し、形にすること。これに尽きる。

有名な人はとにかく行動することが前提で、その行動に理論武装なり、揺るがない哲学が加わっているからこそ、魅力が何倍にも膨れ上がり、虚像とも言える「その人像」が出来上がっていく。

堀江貴文さんだって、直接関係のある親しい友人でもなければ、分かりえないことがたくさんあるはずなのに、ホリエモンという「イメージ」が出来上がっていることで、期待値が形成される。

本をいくら読んだところで、彼の本当に言いたいことが書いてあるのかどうかはわからない。もしかしたら、まったく云いたいことを書ききれていないのかもしれないし、それは当人以外でわかり得ることはできない。

だけど、彼のいいそうなことが書かれている本を読むことによって、納得できることが"書いてありそうだから"といって読むし、読むことによって背中を押してもらえるような気分になる。

その数が多く、とにかく繰り返されるから、彼の発言は巷に溢れるし、それを模倣しようとする人や、啓蒙されて動き出そうとする人たちが増えていく。

それは"形にし続けること"で得られる一つの解なのかもしれない。

では、ぼくみたいな無名の個人はどうだろう。それほど大きな動きになったとは思っていないけれど、小さなことでもや確かに形にした立場として率直な感想は「やった方がいい」だ。

動き出し、形にすることを目指す活動は「何をやってるのかわからない」し、「誰だ」と思われながらだろうけど、「やろうとする人」だと認知される。

さらに、繰り返し行うことで「像」が形成され、結果的に周りがその「像」を求めるようになることで、同じような動きを模倣しようとしてくれる人や、支援をしようとしてくれる人が生まれてくる循環が生まれてくることがわかった。

ぼくが今回の岡部さんとのイベントを終えて得たのは、岡部さんやゲストの方々との関係だけでなく、プロジェクトを推進してくれる多くの仲間、友人が増えたことでもある。

狭く深いとは言えないけれど、広くゆるいつながりを構築することになり、何よりも自分のやりたいと思えることに対して素直に「いいと思ってくれる人」が手伝ってくれたり、応援してくれたり、支援してくれる。

そんな「応援しようと思ってくれる人たち」と繋がる機会とすることができた。はっきりと言えることは、そんな機会を作り出すことができるのは限られた人だけで、それは「動き出した人」だけだ。

一歩はどんなに小さくても一歩

はじめの一歩を踏み出す機会は、どこにでも転がっているようにも見えるし、それは意識しなければ見えないものだとも気づくのだけれど、どんなに小さくても一歩は一歩だ。

ぼくは岡部さんとの件で動き出すきっかけになったTweetを、それほど重要なことだとも思わず、ただ、何も考えずに”いつも通り”につぶやいただけだ。

冒頭で紹介した一本のTweetが、2018年9月から12月にかけて、岡部恭英さんを中心にして、怒涛のような勢いで福岡、東京、札幌、旭川の4都市で #スポーツビジネスサミット と題した、スポーツを軸にするイベントが開催される運びとなるなんて、この時点では想像のしようもなかったし、できるわけもなかった。

さらに2019年7月には小樽で開催され、9月にはベルギーのシントトロイデン、2020年2月には沖縄、7月には大阪での開催が決まっている。

もちろん根本的な話をすれば #スポーツビジネスサミット と名のつくイベントは、ぼくが一から構築したわけではなく、福岡で岡部さんを中心に集って開催に向けて汗をかいたメンバーが必死に手足を動かしながら開催にこぎつけたものだ。

それ以外の開催地で行われているものについても、ぼくが直接的に手を挙げ、汗をかきながら手足を必死に動かしたわけではない。ぼくは新潟の中で粛々と活動を継続していただけ。

だけど「始まりの地が新潟だった」と岡部さんに直々にいわれた。ぼくと岡部さんが繋がったことで、いろいろなことが動くきっかけになったのだ、と。

それが僕にとってはすごく嬉しかったし、それが新潟ってエリアでやれたという事実が何よりも誇らしい。

今回、このような文章を世に出そうと思った大きな理由は「地方都市だから」と諦めることはないし、その諦める雰囲気を払拭できるのは自分の行動次第だ、と広く認識する一助になればいいと思ったから。

僕のように地方都市に住んで仕事をし、土着的に暮らしている人はかなりの人数がいるはずだし、大半がそんな暮らしをしている人だろう。

持たざるものである僕は2018年2月にtwitterから人生を変える出来事に巡り会うことができたと思ってる。運が良かったのかもしれない。だけど、それをやり遂げたし、やり続けてもいる。

そして今、それを伝えるための触媒・機会として、このテキストを書いてる。

地方在住で、特に何もなかった男でも、自らの行動を基にした活動が他人の目に触れ、支援する機会をもらい、こんな風にテキストで表現する機会に恵まれている。

やればできる、なんて言葉を嘘だと否定することが常になっていたぼくも、思わずそれを肯定し、その仲間を増やしたいと考えるようになった。誰しも、自分のことを知ってもらいたいし、理解してもらいたいと思うものだ。

それが承認欲求だろうし率直な願望だと理解している。

だけど、本人が望む通りに満たされるかどうかはわからない。満たすために行動すること自体は誰にだってできるはずだし、今回のぼくは、たまたま多くの仲間ができた上に、形にすることができた。

「田舎だから」とか「フォロワーが少ないから」とか「面白いこと書けないから」なんて具合に自分を卑下して、やらないことの言い訳を並べること自体は簡単だ。

ぼくだってそうしてきたし、今だってその気持ちがないわけではない。だけど、やってみたらいいと思う。

「やってみる」って案外、おもしろいし、やりがいがある。何よりも楽しい。何より、身の丈にあった責任感を背負えるのがいい。言い出した人間だからこそ、やらなければならないと思える。その環境を自分で用意できる。

繰り返すけど、この文章は地方に住む本当に普通の人であるぼくが書いたものだ。だからこそ、あなたにも「できることがあるはずだ」と気づくきっかけになれるものだとも思う。

Tweet一つで、世界を変えることは難しい。そこまで影響力を持つことの敷居は恐ろしく高い。

だけど、それまでの自分が生活をしてきた環境を変えることはできるかもしれない。ワクワクした世界に足を踏み入れることができるかもしれない。

僕と同じ「無名の個人」であるあなたが何かしら感化され、動き出すきっかけになることを期待して。

ぼくが体験した「何気ないTweet」から起こすことができた様々な人たちと絡み合いながらつくりあげた一つの例を共に見ていきましょう。

何でもいいので動き出し、形にするきっかけになれれば本望だ。

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著者:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。


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地方に住む「普通の人」であるぼくが、ある業界の大物に何気ないツイートで絡んだところから、イベントを企画・実施するところまでを追ったちょっと…

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