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「普通」という異常

またこんな連投ツイートをしたので、考えてみました。

ぼくの住まう地方都市では「普通」という言葉が割と市民権を得ていて、ぼくの親世代を中心に老人たちは「そういうもんだろ、普通」といった具合で頻繁に使ったりします。

普通て言葉は言い方を変えれば常識と言えるかもしれないんですけど、常識とは少し違う。ただ、調べてみると似たような意味になるんですよね。以下はデジタル大辞泉からの引用です。

【普通】

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

【常識】

一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。

これ、上記の意味で特徴的なのは、常識は「一般の社会人がもつ」とされる点。たぶん、ぼくの周りにいる大人たちは一般常識的な認識で「普通」と使ってますね。

しかしですよ。これ、若い人たちも使っていまして、10代後半から20代前半の人たちと話していて「普通」とが頻繁に出てきました。

40歳以上の大人たちと、20歳前後の若者たちで共通した言語として使われている点に違和感たっぷりなのですが、使われる以上はそこに共通することがあるからこそ使われるはず。

そこに共通しているのは矮小な世界で信じたい事柄であるとがぼくは認識しています。

この「信じたい」というのが厄介と感じていて、行為としての「信じる」は得てしてその対象に対して疑問を持つこと、つまり「考えることをやめた行為」だとぼくは考えてます。

上の意味から引用すれば、「普通」とはごくごく自然とそこに佇んでいるものですから、使用する場合「共通の認識として使用する場合」、事象物、つまりモノが必要なはず。

たとえば、信号機は三色で点灯すること

たとえば、横断歩道の渡り方

たとえば、自動車の走り方

ここからいえることは、事実だけを扱うことを許されているのがことばとしての「普通」。人と人の間にある認識という不確定な部分に関して、断定できるだけの力はないといえます。

では、大人たちと若者たちで共通して使用されることはなぜなのか。

繰り返しになりますが、これは各世代のコミュニティ内で信じたいと思えることが普通になることだといえます。

つまり、世代を超えてその「普通」が共通認識ができていないのであれば、それは「普通ではない」となり、使ってはいけなくなります。

閉鎖的なコミュニティの中で使用される「普通」は普通ではなく、それを普通と認識することは異常なことで、自らの認識を狭めていることに気づくべきなんです。

たとえば、ミレニアル世代といわれる1980年以降生まれた世代は、携帯電話の普及とともに成長してきましたし、Z世代といわれる1990年代後半以降の世代では思春期以降スマートフォンが普及しています。

それ以前にだって、電話やTV、洗濯機や掃除機といった「技術の進歩によって生活前提が変化した」世代はあります。それらの世代が感じている生活前提が「普通」であり「常識」なのではないでしょうか。

これは、それぞれの世代で「普通」や「常識」という認識が変わることを意味しますし、そこにはモノが存在します。その前提が変われば普通という認識も変わるはずで、「普通」という認識を改める必要があるんです。

それでいうと、今後、技術の進歩が緩まることはないでしょう。

スペースX社は宇宙に自動車を打ち上げましたし、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)も研究開発が進んでいますし、Google社が開発したAlphaZeroは特定の分野(ゲーム)とはいえ、人間の知能を超えました

いままで自分の中で「普通」だと思っていたことが数秒後には圧倒的な変革が起こり、変わってしまう可能性が往々にしてあり、それを受け入れることができないと変化に乗り遅れることになります。

いくら変化を嫌ったところで、世の中の仕組み自体が大きく変容しようとする中で、意固地になったとしてもまったくいいことはりません。

目的地まで格安の飛行機で行くことができる時代に、歩いていくことを強く求めたところで、結局、損をするのはそれを拒否しようとする自分なのです。

世の中が変容するのであれば、それを受け入れるだけ。流れを汲み取り、いろいろな可能性を考えることです。それは「普通」に固執していては適いません。

まずは普通を疑うことが、ぼくの中では若さだと思います。

「普通」に固執している人の意見は固定的で否定的ですらあります。それは自らの認識を否定されると、人生を否定されるような思いを抱いてしまうからなのでしょうが、それは老人たちのすることです。

そして、実質的に年齢を重ねている方だとしても、いろいろな可能性を否定せず、それを前向きに受け取っている人は若い。

それは人生に対する態度であり、人間としての度量、可能性を示すものだとぼくは考えます。

だから、ぼくは今後も新しい概念に振り回されていきたい。

ブンブン振り回されて、それを楽しみながら生きたい。

それがぼくの子どもたちにも伝わるでしょうし「普通を普通としないことが普通」だと思ってもらえればと願っています。

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