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今年の結婚記念日が終わりました

我が家の妻を“我が家の妻”と呼ぶようになってから、早いもので8年ほど経過しました。

先日、お互いに仕事を休んで結婚記念日をささやかにお祝いした次第です。

結婚記念日だけでなく、ありとあらゆる記念日は当人たち以外からしたら、別にどうってことのない日常であって、どこぞの国の記念日だろうが、有名な組織の記念日だろうが、イチ個人の記念日だろうが、それは変わりまりません。

自分、もしくは自分たちにとって特別な日だとしても、他の人たちからしたら全く関係のない魅力も何もあるわけがない通常通りの1日だからです。

結婚をされている家庭は、それぞれ結婚記念日の過ごし方があるでしょう。

僕は、他のクリスマスやらバレンタインデーやらといった自分が決めたわけでも、自分のパートナーが決めたわけでもない記念日に、自分の気分が盛り上がる、なんてことは一切ありません。

そのことで過去に妻から「面白くない男だ」と罵られた記憶がありますが、今となってはいい思い出ですね、たぶん。

特に男性諸氏からは結婚記念日をないがしろにしてしまった結果「痛い目にあった」なんて報告を見聞きしますから、すっかり忘れてしまった方は来年に向けて、これから迎えるであろう方は忘れないようにしていただければなぁ、と思います。

お子さんがいらっしゃる家庭は、自然と子どもに目を向ける機会も多く、そのことで夫婦による話し合いや方針の相談などがなされるかとは思いますが、夫婦のこととなると、その機会がめっぽう減ってしまいます。

上でも書きましたが、それぞれの家庭にそれぞれのあり方があるので、僕がどうこう言えるものではありませんが、せっかく家庭(過程)を共にしようと約束したのにもかかわらず、その始まりの日である記念日を忘れてしまう、というのは非常に寂しいという感情を抱かれるのは当然かなぁ、とも思う次第。

偉そうなことを言っておりますが、僕だって数年前までは到底、そんなことを言えるような態度をとってはおりませんでした。

子どもとの生活が前提になってきた際には、余計にその傾向が強くなり、結局、お互いの存在意義を認めあえるような関係を壊すような態度をとっていたりも。

今考えたら情けない次第ですし、申し訳が立たないのですが、ここ数年はきちんと妻と向き合いながらお祝いをできているように思います。

特別なことは何もしておりませんが、妻は常に子どもたちに対して真剣に向き合ってくれていますし、子どもたちも彼女に対してなんとか自分の存在を認めてもらうことに必死です。

食事ともなれば、話しかけられたり、こぼしたり、注意されたり…と、ドタバタと音が聞こえるかのような状態になることは毎日のこと。

そんな彼女に、子どもが食卓にいない状態で食事をする機会を提供したい、というのが毎年のコンセプトになっています。

「食事をゆっくり食べる」なんてことが幸福に感じられるのは、僕と妻だけで生活をしていた時には考えられませんでしたし、それが贅沢な時間なのだなんて気づきませんでした。

それに気づけたのは、子どもたちとの生活があるからですし、こんな風に記念日だからという理由で、ゆっくりと食事をする・できる環境を選んで足を運んでいるからなのだと理解しています。

それをお互いに対しての労をねぎらいつつ、感謝をし、「また来年」と言いながら今年の結婚記念日は終わりました。

率直に「やってよかったな」と思いますし、妻も同じような気持ちであるのだと述べてくれましたので、なんとか夫としての面目躍如でしょうか。


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