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#すいません経営 は本ではなく、場所でした

現在進行形で、『すいません、ほぼ日の経営』を読んでます。

現在、絶賛進行中のため、書評や読書感想文の類ではありません。

ただ、読中記というのも、おもしろいんじゃないかなぁ、というのと、どうしても書いておきたい気持ちが強くして書いてます。

なので、また、読了後に書くかもしれませんし、また途中で書くかもしれません。

「読んでる最中に何を書くのだ」ということを僕自身が思うのですが、読んでる最中に感じた感情の起伏を表現できるのは、強く感じている今だからこそだと思ってます。

だから書こうと思って、書き始めました。

糸井重里さんと僕

ぼくはもともと、コピー・ライター糸井重里をあんまり知りませんでした。

きちんといえば、それほど強い興味が持てなかった、ということですね。強いて挙げれば「MOTHERのひと」ということぐらいだったと記憶してます。

なので、ぼくの中で糸井重里さんは20代中盤ぐらいまで「ゲームつくる側のひと」といった印象を持っていたぐらいに、知りませんでした。

あ、あとはタモリのボキャブラ天国に出てたひと。

けど、色々と本を読んでいく中で、文章というか「ことばの大切さ」みたいなものを感じられるようになってきて、本を読んでるときに、その人の声が聞こえてくる文章と、そうでない文章があるということにを感じます

なんていうか、対談形式でヒアリングされた内容でできあがった本でも、本人が頭からお尻まで、紡いで紡いで...という形で出来上がった本でも、不思議なことに、声が聞こえるものとまったく聞こえないものがあるんです。

もちろん、ぼくは著者である方々に会ったこともなければ、声を聞いたことがないことも多いので、その"声"はただの想像の域を出ません。

けど、たしかに著者の声が聞こえる本と、聞こえない本があることがわかったぐらいの時に、ふと気になって、なぜ気になったのかまでは覚えていないのですが、MOTHERのことを検索窓に打ち込んで調べました。

すると、ほぼ日のWebサイトへ案内されて、2003年に公開されたというコンテンツをツラツラと読み始めて、

「あぁ、糸井さんって人は、こんな風に話をする人なんだ。」

って思ったんです。話してる声はタモリのボキャブラ天国に出てた時のことを必死に思い出すぐらいだったのですが、たしかにそう思ったのは覚えてます。

たしかにテキストから声が聞こえてくる、という体験をさせてくれるひとだっていう認識を持たせてくれた、というか。

そこから、ぼくの中で良い文章と悪い文章っていう分け方よりも、声が聞こえる文章と聞こえない文章という分け方をしてます

(ツイッター等に投稿する際には、ちょっと気取って「良い文章」みたいな言い方をしてます。)

テキストを絞り出す情景まで想像させてくれた

任天堂の岩田さんが亡くなられた際に出した追悼文をほぼ日の今日のダーリンで掲載していましたが、今は「岩田聡さんのコンテンツ。」内に格納されてます。ぜひ、読んでもらいたい。

ぼくはこのコンテンツを読むたびに、気持ちがキュッとなる。

岩田さんが亡くなった、ということはもちろん悲しい気持ちになったのだけれど、お会いしたこともなければ、話したこともない。

けど、この"今日のダーリン(追悼文)"を読んでいると、糸井さんがジッとPCの画面を見つめて、どれぐらいの時間かはわからないけれど、たしかに何かを飲むこむまでの情景が思い浮かんだんです。

なんども言いますけど、僕の勝手な想像の域をでませんし、ご本人は「いや、実はね...」なんていって僕の想像とはまったく異なることをいっちゃうかもしれません。

けど、テキストから情景まで想像させてくれることって経験したことがなかったこともあり、「うん。また会おうや。」はすごく印象深く、僕のどこかにしまい込んであります。

平易な横文字がにあわない

インターネット的も大好きで、なんども読んでます。

今回、冒頭でも書いているけれど『すいません、ほぼ日の経営』を読んでる最中なんですが、ほぼ日を「経営する」ってこう、なんていうか、イメージをもてなくて読みはじめました。

ほぼ日って、でっかい袋みたいなもので、その中にいるほぼ日のみなさんが、おもしろいこと、嬉しくなること、たのしいと思えることを「"真剣に考える"場所」としての袋かなぁ、なんて。

ほぼ日っていう袋みたいな場所には、(僕の勝手な想像なのだけれど、)「経営する」とか「管理する」という意味で使われる、いわゆるマネジメントってことばが似合わない。

マーケティングとか、プロモーションとか、セグメントとか、ブランディング、なんかも似合わない。

そういう、巷で使われる便利で、簡易な横文字を無抵抗に使うのではなくて、あくまでも自分たちとして使いたいことばを選ぶように思うんですね。

だから、糸井さんが「経営のこと」を聞かれて、どんな風に答えるのかなぁ、っていうのがすごく気になってましたし、そういうことばに対してどんな風に対峙してるのかにすごく興味がありました。

そして、実際に手にして読んでみたら、やっぱり気持ちがキュッとなりました。(ドキッとか、キュンって感じではなく、こう、キュッと)

安心して、うれしくなった

読みはじめた中で、糸井重里さんにツイートを拾っていただけたことから、たくさん「いいね」やRTをしていただきました。

ウソみたいな話なんですが、実際に涙を流してしまってるところを、きちんと妻に見られてしまいました

ひとを大切にするんだ。ひとが大事なんだ。ということを、糸井さんに面談されているような心持ちで、諭されるように言われたような気がして、なんだか少し救われたような気がしたんです。

キッチリできるひとがすごく評価されがちですし、いつしか僕もそうでありたいと、あるべきなんだと考えてきました。

けど最近になって、つよく、ふとく、そしておおきく実感してるのが、"ビジネスマンとしての力"みたいなものを持ってないということ。

こずるいというか、ズル賢いというか、そういうことが僕にはできないし、しようと思っても、ついウソがつけないというか、正直な態度を取ってしまいます。

けど、この本の中の第二章(ほぼ日と人)で書かれてる、糸井さんが話す乗組員との向き合い方は、僕に対してではないのに「それでいいんだ」と言ってくれるような気がしたんですね。

すごく嬉しかったし、魅力的な組織だなぁ、なんて素直に思えました。

本を読んで「うれしい」というのも、なんだかおかしな気がしますが、本当にうれしくなったのです。

つい、ほぼ日の採用があるのかどうかを調べてみました。

してました。1/8 11:00が〆切。準備ができる人は応募してみてはどうでしょう。

ほぼ日という会社が「人のために」というか「人のことを考える」人たちの集まりなんだ、ということがよくわかりますし、それがわかることで、ほぼ日のことがさらに好きになりました。

ぜひ、手にとって読んでみてください。

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