"続々"お腹がいたい(最終章...のはず)
すっかり回復したものだと思っていた。
確かに夜中から明け方にかけては、腹痛もあったし、吐き気もあった。決して万全の体調だとは言えなかったけれど、症状が緩和されているのは確かだった。
それでも、便意を催す機会が少なくなったし、その便意を持ってトイレに駆け込んだ上で出てくるものも、随分とマシになっていた。吐き気もだいぶ治まっていたし、これぐらいの気だるさは乗り越えられるものだと思っていた。
しかし、いざ、子どもたちを保育園へ送り届けて職場に向けて車を運転していると、どうも様子がおかしい。急に悪化し始めた。確かに痛みのあった腹部は、その痛みの度合いを高め始め、胃の痛みが強くなったのを感じた。
車酔いを始め、乗り物酔いをするなどなかったのだけれど、最近、一度だけ体験した。家族で車に乗って出かけている途中、運転中に吐き気が襲ってきた。嘔吐するまでには至らなかったものの「これが乗り物酔いか」と理解するには十分すぎるほどの破壊力だった。
それが出勤途中にやってきた。
先日の運転中の乗り物酔いも車を降りたところで止んだのを思い出し、「車を降りればどうってことないだろう」と強く思い込む。
そう「病は気から」だ。
しかし、そうではない。ぼくは感染性のもので、自分がどうこうできたものではなかった。気の持ちようでどうにでもなるぐらいの軽い風邪ぐらいであれば、サウナにでもいっておけばいいのだが、ぼくが現状患っているのはそうではない。
甘かった。
4月以降、子どもたちの通う保育園を変えたのに伴い、出勤時間が以前よりも遅くなった。いつも少しだけ焦りながら職場に到着しているのだが、今日はその趣が違う。
明らかに「車酔い」は継続していた。そして「車酔い」ではなく、明確な症状としての「吐き気」だった。
結果、朝礼を終え、自らのデスクに座り始めて数十分したら、体内から液体が出たがり始めた。恐ろしい事態だ。もし、ぼくがこれを出してしまえば、職場の方々に感染を促すような事態になってしまう。
しかし、就業時間中、耐え切れるようなものでもないし、それは現実的ではない。昼休み時間中、ぼくは自宅に戻り、家事の残件を片付けているけれど、そこまでの時間までも耐えられる見込みはない。
彼らは今すぐにでも出たがっていて、それはまるでデモ部隊と治安部隊との押し問答を見るかのごとく、どちらが押し切るのかを体内でやられているような感覚だった。
結果、治安部隊はデモ部隊に押し切られる形となり、ぼくはトイレへと駆け込んだ。
「なんだよ、回復したんじゃないのかよ。」
思わず一人でそう呟いた。
自分に対して失望感を抱くのと同時に、情けない気持ちを乗り越えた虚しさの塊が口から出てくるような、そんな感じだった。
決壊したダムは、下流にある村々を飲み込んでいくが、ぼくから出ていくのは1日かけて摂取した水分たちだった。彼らに意志はない。決壊したダムから出ていく水に意志はないのと一緒だ。高いところから低いところへと流れていくだけで、明確な意志など存在しようがない。
だけど、まるで意志を持っているかのごとく、勢いを持って出て行こうとする姿を見ると、何に対して不満を鬱積させていたのだろうかと気になってしまう。
ぼくの体の中に、どんな不満因子があったのだろう。その我慢が限界に達したきっかけはなんだったんだろう。
ぼくに知る術はない。
敗残兵はスゴスゴと逃げ帰る。
結果、ぼくは自ら汚染した場所を除菌するように掃除をした上で、職場を後にした。
本当に情けなさと申し訳なさでいっぱいだった。そして、何よりも感染リスクを高めてしまった自分の至らなさが憎い。
しかし、ぼくはもう負けない。
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