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スポーツが与えられる影響

勝手な主観なのですが...

広く大衆を相手にするのではなく、狭くても確実に刺さるであろうサービスや製品の開発を手がける業界について、ブルーオーシャンではなく、ニッチ産業という表現になってきているような気がしています。

本当に僕の主観なので、本当にそうなのかはわからないんですけど、とりあえずGoogleトレンドで比較してみたら、ニッチのほうが多かった、と。

いや、けど、ブルーオーシャンは、ビジネス戦略の一つであることと、ニッチは状況や現象を指すような言葉なので、一概には比較できないのかも知れないんですが、それでも、一応はそんな状況です、と。

それで、今回、僕が書いていきたいのは、デロイトの里崎さんが下記の記事内で触れている点について。

スポーツをハブとして利用

記事内でいきなり出てくるワードとして惹きつけられるのは「スポーツは"ハブ"になる」。

僕は以前の記事にも記載しているのですが、プロスポーツチームというのは事業規模的にいえば中小企業並みの金額を駆使して活動をする、いってしまえば泥臭い業態。

中で働く方々は、一人あたりのタスクが非常に多い状態の中で、必死に運営をしているような状態であるため、マンパワー不足が基本といえば基本とでもいえてしまうような状態。

労働集約型であることを目一杯に体現するような組織がスポーツ組織だと思っていただければ、と思います。

とはいえ、露出度に関しては、他の中小企業を圧倒的に凌駕します。

例えば、プロ野球に所属するチームはリーグ戦が行われている期間中は毎日、否応なく報道対象として扱われ、TVや新聞、ラジオはもちろん、Webでも取り上げられます。

その露出度の高さと、比例しない社内タスクの多さを解決しようにも、決して潤沢ではない資金のために大掛かりなシステムを導入できるわけでもなければ、それを解決するための人材を囲うことも難しい

逆に、スタートアップ企業というのは、たとえ良いサービスや製品を作っていたとしても、その知名度の低さがネックとなり、活動に支障が出てしまう可能性が大いにあります。

その両者の課題を同時に解決し、どちらも幸福な未来を得るため、両社が手を組むことにより、両社の課題をそれぞれに解決することに繋がりますよね、ということが上記している「ハブ」という言葉の意味なんですよね。

広告価値として、ただただ露出が高いということだけでなく、地域の期待を背負う存在であればあるほどに、その露出に対してのエンゲージメントが深くなっていくことが可能になる、ということにも繋がります。

プロスポーツじゃなくても可能

この動きは、別にプロスポーツチームにのみ与えられた特権ではなく、アマチュアのスポーツ組織にも適応することは十分に可能です。

もちろん、適応するためには相応の知名度や活躍、露出度といったことが必要にはなりますが、それと共に「地元」での存在感も必要条件になってきます。

現在のJリーグはドイツのリーグマネジメントを参考にして作られた、なんていう話を耳にすることが多かった人も多いのではないでしょうか。

当時のリーグ規約というのはブンデスリーガが欧州の中で最も新しいリーグだったことから参考にした、とも言われています。

それもそのはずで、Jリーグの初代チェアマンである川淵三郎さんはラジオ出演をした際に、学生時代ドイツへ渡り、大きなインスピレーションを受けていたことを語っています。

ドイツのそれというのは、基本的に地域には総合型スポーツクラブがあり、例えばバイエルンミュンヘンというチーム名の元に、サッカーもあり、バスケットボールもあり、陸上もあり...というクラブが前提です。

その地域総合型クラブチームというのは、地域の方々との関係性が強く、家族の中で祖父から孫にクラブ会員証を譲ることが家族の中でも誇り高い通例になっている、という話をドイツに行った際に聞くぐらい、地域の方々に愛されているものです。

Jリーグがその理念である百年構想に「サッカーに限らず」という文言が入っていることからも、Jリーグはサッカーのみならず、スポーツを利用し、それぞれの地域活性化を成し遂げようとしていることがわかります。

Jリーグ百年構想とは

いうなれば、プロスポーツでなくともいいわけです。その地域に住まう人々が誇りに感じ、その活動を注視するような存在であれば、誰がその役を担ってもいいということになります。

下記記事はサッカー界でも有名な市立船橋高校のユニフォームに胸スポンサーが入ったという内容。

これは当然の流れだと思っていて、日本の高校スポーツはドイツをはじめとした欧州のクラブ文化ではなく、アメリカの高校や大学スポーツと同じ流れです。

良し悪しは別として、すでにアメリカの大学スポーツにはプロ選手並みの厚遇を受ける選手がいることも事実。

日本だと「高校生のスポーツにスポンサー?」みたいな反応をされることもないとは言えませんが、むしろこういう動きが出てきていることを僕は好都合だと考えています。

よく監督やコーチは選手たちに「周りの人たちに感謝しろ」という言葉を使いますが、それは学校内や家族という極めて狭い範囲での話に集結してしまいがちです。

例えばサッカークラブに胸スポンサーやパンツスポンサーなどがつくことは、そもそも企業から「出資の価値がある」と踏んでもらえなければ成し遂げられないものですから、必然的に選手たちは自覚せざるを得ません。

選手たちやその家庭の金銭的な負担を減らすことにつながるのであれば、機会の創出にも繋がりますので、そのスポーツに取り組む選手が増える要因にもなるでしょう。

ことをスポーツ、ということに集約して話を進めてきましたが、副次的に学校と企業との関係にもつながるでしょうし、学校自体がもっと外部に開かれたものになっていく可能性すら秘めているわけです。

地域の活性化につながることに大きな期待が持てる

上の話に戻りますが、だからと言ってニッチな業態を選んでいる企業とアマチュアスポーツが全て合致するかといえば、そうは簡単にはコトが運ぶことは容易ではないと思います。

アマチュアスポーツの中でも、それなりに露出の機会があることや、注目されるスポーツであること、その競技レベルなど、超えるべきハードルはいくつか存在します。

プロスポーツはそのハードルをある程度超えた位置に存在するものです。

プロスポーツは上で触れてきたように、その露出機会が非常に高いことはいうまでもありませんし、その機会を十二分に活かせるだけのプロダクトやサービスが生み出されるのであれば、それは地域の活性化にも繋がります。

上で書いた双方の課題の解決は、結果的に地域の活性化にも寄与することが考えられますし、だからこそ、スポーツはハブとして優秀な存在である、ということが言えます。

ただ、スポーツがハブとして機能する可能性は非常に高いと言えますが、だからと言って、何もしなくても地域からの協力を得られるのかと言えば、決してそんなことはありません。

僕は以前の記事で「スポーツの価値」について書きましたが、根本的に言いたかったのは、スポーツというのは「人の感情に対して訴えかけることのできる劇場型のエンタメである」ということです。

ただ、それだけで終わるわけではなくて、そもそも「個人の感情」がいくら集まったところで、感情を起点にした「ストーリー」が必要なことはいうまでもありません。

いうまでもありませんが、あまりにもワザとやりすぎると、ただの消費コンテンツに成り下がってしまうので注意が必要。

だからこそ、個人が乗り込めるだけのストーリーと、そのストーリーの先にある感情の浮き沈みを生み出せるのか、つまり「巻き込んでいけるのか」というところが大きなキモとなります。

なんでそんなこと言うのかといえば、この記事内にもあるように、マスドミナント的な世界、マス化する方向に世の中が向かないから。

考えてもみれば、10年前と今とでは見ているメディアが大きく異なります。どう異なるのかといえば、よりスマートフォンの登場以降、パーソナライズされた情報に触れるようになってきました。

そうなった時に情報を届けたい側からしたら、自分とは関係が遠い情報にアクセスをしてもらうのかと言うのは、大きな問題であり課題となります。

そこで大切になるのが、何を起点にした発信を行うのか、または受診をするのか、と言う選定であり、乗るかどうかの話。

そう考えると、余計にスポーツにはそれをクリアにできるだけの力。巻き込み力があると僕は考えていますし、だからこそハブとして機能できるでしょう。

まぁ、言うは靖なので、実際にやっていくことで確かめていこう、と言うことで  #スポーツの未来に僕たちができること と言う活動を新潟でやってます。

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