縁遠い社会なのか、むしろ近いのか

先日、こんな記事がSNS界隈をさまよってまして...

孤独死などが社会問題として顕在化しはじめています。だからこそ、無縁社会、という呼称が割とキャッチーな感じですが、結論としては「変わってるという証拠を得ることは出来なかった」ということです。

ちなみに僕はこんな風に考えました。

SNS等のICT技術が発展していなかった時代に、どうしようもなく選択できない中で人間関係を構築しなければならなかった時と比較すると、SNS等が発展し、趣味や嗜好で人間関係が選択して構築できる時代になりました。

嫌々で構築せざるを得なかった時代と現代では、人間関係が大きく変容しているのかもしれませんが、その数は、数自体を比較するのであれば、大して変わらないだろうということです。

記事中でもダンバー数を引用し、下のように書かれています。

R.ダンバーは、人間が関係を維持できる他者の数は150名程度としています。有名なダンバー数です。

しかし、彼の主張には続きがあり、この150人は、年に一回程度しか顔を合わせない他者も含めての数で、接触が多く、助けを求められるほど親密なのは5人、それよりも親密ではないが、助けを求められる関係を合わせると15人程度だとしています。一番親密な他者の数が5人程度ならば、頼れる人の数が10人に減っても大きな問題ではありません。

結論としては、日本人が孤立してきているという証拠は得られませんでした。むしろ、変化は小さいと言えます。

すごく簡単な話だと思っていて、別に無理して付き合うような関係を選ばなくなったってことで、僕たちは選択可能性がある現代を生きているわけだから、自分が仲良くなりたいとは思ってないけど仕方なく...みたいなのはなくなってるわけですよね。

なくなってるというよりもしなくて良いって言った方が適切だと思います。

ただ、だからって安心できるわけではなくて、あくまでも人数的には昔と今で大した差はないっていうことなだけで、信頼を寄せられる人の人数はあくまでも顔を想像して、頻繁にやり取りを重ねる人ぐらいに絞られるので5〜10人といったところです。

周りから人がいなくなるというよりも、自分がその人たちに関係性を求めに行くのかどうかが重要であり、待ってるだけというか、見返りを求めた関係というのは長続きはしないというよりも疲れてしまうのでやらない。

となると、結局はコミュニティをどう構築していくのかってことになります。別に濃くはないけど、広くゆるくつながっていく関係の人たちが集まる場所。

その場所を提供できるか否か。

作り出せる人なのか参加する人なのか。

そんなところに、孤独死だとかエントいう言葉に対する解決策なあるような気がしています。


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