子どもを育てる事は投資かコストか

日本を覆う少子高齢化の波は一向に止む気配がないどころか、その勢いを増すばかりだ。厚生労働省が発表した人口動態統計によると、2017年の出生数は2016年から2年連続で100万人を割り込み、941,000人としている。

平成29年(2017)人口動態統計の年間推計|厚生労働省

もちろん、内閣府もこの状況に手を拱いているだけではなく、対策を講じており、毎年その内容を白書としてまとめ、内閣府のWebサイトに挙げている。

白書 - 少子化対策 - 内閣府

保守であるはずの政権与党である自民党が「母親は主婦として家を守るべきだ」とは言わず「女性が活躍できる社会を目指す」とし、女性が働けるような環境を整備するということを喧伝し、実際に政策を打っていることからも、その緊急性がうかがえる。

歴史的な流れを見ることは今回は他の場所へ譲るとして、今回は我々のような個人で見た際、どのような理由で少子化になったのか。そして、子育て・教育はコストなのか投資なのか、ということを考えてみたい。

コストとしての教育
まずは「コスト」と「投資」の言葉について、その違いを考えてみたい。(はてなキーワードより引用)

【コスト】1. 何かを生産するのにかかる(かかった)費用
2. 広義には、物の値段のことも含む。
3. 金銭だけではなく、あらゆる物事を達成するのにかかった物理量(時間、エネルギーなど)のこと

【投資】1. 利益を得る目的で、資金を証券・事業などに投下すること
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
2. 「お金が儲かるしくみ」の一部もしくは全部を買うこと。
そのしくみが機能しているあいだはそれを持っているだけで収入になる。
金持ちが金持ちであり続ける理由はそういったしくみを多数所持していることによる。
転じて、リスクを前提に相応の見返りを期待して何かに金銭を投じる行為全般を指す。
ギャンブルや、キャピタルゲイン目当ての株式売買などに用いるのは本来の用法から言えば誤りだが、一般的に広く使われているのも事実。

ここでの違いは、コストは費用のみに焦点が当たり、投資はそのリターンまで焦点を当てることだ。リターンの有無を確認しているかどうか、またはリターンを求めるのか否かという態度によって「コスト」か「投資」かが別れるということだ。

では、純粋に教育産業における経営的な視点で見た場合、そのコストの多くはどこにかかるのか。それは人件費だ。

厚生労働省が公表している賃金構造基本統計調査によれば、教育・学習支援業における平均年収は435万となっており、他の職種も含めた一般的な平均年収304万円を大きく上回っている。

平成28年賃金構造基本統計調査 結果の概況|厚生労働省

もちろん、これは一般的な学校での人件費とは言い難く、民間の学習塾や各種習い事などの教育サービス業界の賃金体系だと考えるのが自然だ。しかし、子どもたちが通う「学校」には大きく分けて二種類あり、公立の学校と私立の学校だ。

ここで扱われている数字には、民間、つまり私立の学校は民間の事業者となる。ということで、上記数値を適応させてもらうこととする。

なお、文部科学省は地方教育費調査として、地方公務員として働く公費の歳入・歳出についての資料を公表している。

結果の概要-平成28年度(平成27会計年度)地方教育費調査:文部科学省

子育て・教育がコストかどうかという点においての分かれ目になるのは「リターンを求めるのか否か」だ。ぼくの世代を始め、大都市圏においては、義務教育課程や高等教育を私立に通わせることがある程度スタンダードだった。

この背景には、公立の学校が学級崩壊や校内暴力で荒れ、崩壊していたこともあり、余程のことがない限り私立を選択せざるを得なかった。下図は文部科学省の問題行動等についてまとめられた資料だ。資料内では昭和から追っているが、平成に入り、急激に中学年代の暴力行為が増えている。

平成26年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について

ここから考えられることは、投資として中学や高等学校へ行かせるというよりも、安全で一定水準の私立に仕方なく通わせるというコストとして教育を捉えることも決して違和感がない。

また、私学に通わせることで学費は高くなる。下記リンクは文部科学省が私学と公立校の学費を比較したものだ。学費は単純差額で民主党政権時に開始された2倍とも3倍ともされており、優秀な学生は多少無理をしてでも私学へ通わせることが保護者の優先事項とされた。

平成29年度私立高等学校等授業料等の調査結果について:文部科学省

上で図示した一般労働者賃金の対前年増減率の推移と性別間の格差の推移を見ていただきたいのだが、平成に入り、一般労働者は平成に入り14年度まで下落傾向にあった。その中で私学へ通わせることを考えると決して楽な生活ではないことが想像に難くないが、それでも大都市圏の保護者は私学を望んだ。

しかし、高校無償化や中高一貫教育によって、優秀な学生が私学だけではなく、公立も選択するようになったことから、学級崩壊や校内暴力等が収まる結果となり、中学高校の教育はコストからほぼ解放されることとなっている。

なお、現在、高校授業料の無償化については、所得制限を設けるなど制度が変わっている。下記リンクより参照いただきたい。

高校授業料無償化の新制度と旧制度の違い

子育て・教育は投資としての地位を確保できたか
現在、教育に関するコストはより就学前児童(保育対象年齢児童への無償化)と大学等の高等教育機関に対する税の問題にシフトしたが、そうなるとコストが別の場所へ移動したことにより、教育は投資としての地位を確保できるのだろうか。

現状、日本はデフレーション経済下におかれている。内閣府は90年代半ば以降緩やかなデフレ傾向であったことを正式に認めている*1が、物価が上昇したことに対して賃金はどうか。

上でも見たが、一般労働者の賃金平均は、平成9年と平成28年において(途中に上下はあるがほぼ横ばいに近く、金額的には)6万円上昇している。それであるならば、デフレ経済下においては生活が楽になるはずだが、実感としては決してそうはなっていない。

デフレ環境下では、いまよりこれから、今日より明日の方が物価が安くなるので、買うのを控えるようになる。銀行に預金を行うことで、ゼロ金利であっても、実質的には物価が下がっていくので利率が増えていくことと同義だ。そして何より、デフレではお金の価値が引き上がる。

つまり、お金をすでに保有している、もしくは定期的に金額が確実に入ってくる人間には大変有利であり、お金を保有していない人間には不利な状況になるということだ。

非正規労働者や住宅ローンを抱える人間は非常に苦しくなる。モノやサービスの価値は下がるわけだから、非正規で労働というサービスを提供している人は平気で物価の低減を理由に対価を引き下げられ、住宅ローンを抱えている個人では、住宅や土地の価値は目減りしていくことで、相対的に借金の価値が重く重くのしかかる。

そんな中で生活することになった人たちへの賃金はほぼ据え置きの状態でありながら、物価が下がり続けていく中で、人々は上でも述べたように私学へ入れたい気持ちを胸に抱き、安くない学費をサラリーマンである父親が家計を一人で支えながら(母親は扶養控除限度額までのパートで補助し)子どもを金銭的に支援しなければならなかった。

これでは子どもを育てることは明らかにコストだ。とても投資とはいえない。正確にいえば、投資と考えたいが、家計的には明らかにコストとして重くのしかかる。

このような背景を経て、日本の少子化は加速していくこととなる。また、高齢化に伴い、社会保障という厚生労働省からの“税金”が負担が一般労働者には重くのしかかる。

下図は、国民の所得に対する国の税制負担割合を示すもので、社会保障の負担率の負担割合が大きく増加しており、租税負担率と合わせた国民負担率は2016年の時点で42.5%となっている。

国民負担率及び租税負担率の推移(対国民所得比) : 財務省

社会保障は税金ではないと認識している人もいるかもしれないが、国へ「強制的に」徴収されたものを国に住まう権利を有する人たちへの再分配であること、そして、国の方針に則って運用されることを考えると、運用する省庁が異なるだけであり、実質的には税金と変わりはない。

これを国際比較しているものが財務省には公表されており、これを確認すると2014年度時点において、日本の先進国の中では中程度の負担率となっているが、福祉のあり方には国の色というべきものが出てくるし、大学までの授業料が無償、高齢福祉が充実しているなど、それぞれの国ごとの方針に沿ったものが福祉政策として策定され、実施されている。

日本も国民皆保険など、他国と比較しても長けているものもあるが、これは国民総所得を一緒に見る必要があるだろう。見てみると日本における所得は他国と比較し決して高くない。(下図)

1人当たり国民総所得(2015年)(国際比較)のグラフ | 探してみよう統計データ|なるほど統計学園

これは、税や社会保証の負担率が他国と比較しても中程度であるものの、手元に残る資金が他国と比較して少なくなることを意味する。ましてや、上でも触れてきたが、教育という観点で見た際、日本は特に高等学校への支出が大きく(現在は高校の無償化でましになっているが...)、国民の負担率に教育費が上乗せされることを考えると、やはり、教育はコストという結論になる。

ここから考えられることは、日本が他国に類を見ないほどの高い少子化高齢化率に陥っているのは致し方がなく、理由は上で見てきたように、子育て世代に対する負担が大きく、それに加えて教育費用を捻出することが一般家庭には大きな負担となるからだ。

投資に必要なのは大人の態度
では、子育て・教育を「投資」とすることは無理なのだろうか。

冒頭の「コスト」と「投資」の意味について触れている段階で、答えが出てしまっているのだが、結局は金銭を使う側の態度でどうにでもなるのではないか、というのがボクの答えだ。

上では「子育て・教育はコストと見なさざるを得ない」という結論になったが、養育するものの立場として、考えなければならないことであるから仕方ない。問題はそれ以降だ。

今後、日本は他国が経験したことのない問題がドンドンと押し寄せてくる。2040年には全国の人口が1億人強となり、高齢化率が36%を超えてくる。つまり、三人に一人以上が高齢者ということだ。

統計局ホームページ/人口推計/人口推計(平成28年10月1日現在)‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐

2040年となると、今から22年後だが、日本における人口増加は期待できない。というか、いまごろ政府が様々な政策を打ったところで、付加価値程度にはなっても本質的な解決にはすでに遅すぎ、すでに詰んでいる状態だ。

この人口動態の中で子どもたちは、日本市場を相手だけに闘うだけで十分という昭和バブルな生き方ではない。日本国民だけで商売をしようと思ってもたかが知れているのだから、今後は世界中の人たちが商売の対象になったとしても生きていけるだけの人的資本を身につける必要がある

上記したが、日本は他国が経験したことのない問題が押し寄せる世界問題初体験国家になることが決定している。つまり、その問題に対する失敗や成功を持っている国がいないということだ。逆に言えばチャンスであり、問題に直面することで他国に先んじてknow-howを持つことができるということにもなる。

こうなると、親が「コスト」ではなく、「投資」として子どもたちにしてやれることは、親の自己満足な浪費ではなく、子どもの人的資本、もっと言えば市場価値を高めるような消費に金融資本を使っていくということだ

親の思い出や自己満足な浪費としての例を挙げるならば、「七五三の衣装」「成人式の晴れ着」など、どう考えても“子どもの(人的資本を高める意味での)成長”になんら影響を与えないイベントだ。

七五三など、そもそもは子どもの健康を祈願し、神社を詣でるというものでしかないのに、なぜ衣装を整え、写真まで撮る必要があるのか。晴れ着にしても伝統とか言われているが、調べてみれば別に大したことはない、ただの金持ちの見栄の張り合いが行われただけで、それを伝統ということ自体が烏滸(おこ)がましい。

結局、それぞれクリスマスやバレンタイン、恵方巻きなどと一緒で、商売上イベントを利用した方が売りやすい、というただ販促につられている人たちが多い、というだけだ。

現代以降を生きる子どもたちは、こういった生きる上でのリテラシーを高めていく必要があり、それは養育者たる親の考え方や接し方が大いに重要な要素となる。

単に小遣いと称してお金を渡すのか、その稼ぎ方を教えるのか。稼ぎ方というのも多岐にわたるわけで、簡単にあげれば以下などだ。

・人的資本(プログラミングなどの身につけた技能)を使って対価を得る
・株式投資や仮想通貨への投資から運用益を得る
・ネットせどりのオーナーとして、仕入れと販売の差額から利益を得る


これらを行うにも先人のknow-howから学ぶことができるし、そのためには本を読む必要がある。これも親から子どもへの投資になる。いいかえれば、子どもが行動する際に動けるような自信を身につけさせることとも言える。

上記した販促イベントに乗っかって、親の自己満足的な浪費をするのであれば、その金額を何年か蓄積させ、子どもに短期留学をさせることだってできる。つまり、子どもにとって(将来的に)有益になるであろう事柄に対し金融資本を投ずるには、親の自己満足や思ひで作りを我慢するしかない。

人生は何をするにもトレードオフ
人に与えられる時間は有限であり、金融資本についても有限だ。有限である以上、何かを選ぶには何かを捨てるしかない。人生は何をするにしてもトレードオフなのだ。

企業においても、採算の取れない不要なコストのかかる部門をカットするし、家計においても同様だ。金融資本を増やそうと考えるならば、現状の生活からカットできる部分についてはカットし、資本に充てる。

子育て・教育は、養育者の観点からみれば確かにコストではあるが、子どもに対して投資を行いたいと考えるのであれば、必然的に親の自己満足や見栄に子どもを付き合わせる浪費に対してメスを入れざるを得ない

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!