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街に娯楽としてのスポーツがある喜び

スポーツ、好きですか。僕は好きなんですけども。

いいですよね。この時期だと僕がついつい否定的に書いてしまう夏の甲子園なんかも盛り上がっている最中ですし、来年にはオリンピックとパラリンピックが日本の東京を中心に行われます。おっと、その前に今年はラグビーのW杯が開催されますし、ここ数年はかなりスポーツに熱を帯びた時期であると言えるでしょう。

そんな風にスポーツに対して思慮を巡らせられるのも、新潟の中でプロフェッショナルスポーツを観戦できる環境があるからなわけで、それを実感しない年はありません。

ですが、これは"当たり前"にあるものではないのだなぁ、なんてことも認識しなければならないのですが、今回は新潟県に住んでいる身として、そんな風に切羽詰まった話もしつつ、余暇時間の過ごし方の選択肢としてスポーツがあるってことの幸せについて、書いていこうかと。

当たり前ではない

繰り返しになりますが、当たり前ではないんですよね。

新潟の中で一番最初にプロフェッショナルレベルのスポーツを定期的に観戦できるようになったのはアルビレックス新潟が発足(設立当初はアルビレオ新潟で法人格取得)したことに寄ります。

それまで新潟県の中で、プロスポーツを楽しもうと思ったら、プロ野球の2軍戦やラグビーのトップリーグのジプシー開催を観に行くぐらいしかなく、日本のトップレベルのリーグ戦が楽しめる機会はありませんでした。

それでいて、新潟県民がこぞって地域のチームを応援する機会は、冗談ではなく夏の甲子園ぐらいしかなかったのです。

もっと言えば、スポーツはスポーツをやってきた人と、その人の近しい人で興味や関心が湧いた人たちだけに限定された局所的な娯楽を提供していたに過ぎず、一般化・普遍化された娯楽ではなかったともいえます。

アルビレックス新潟が立ち上がり、そこからバスケットボール、陸上、野球やチアリーディングなどをはじめ、多くのスポーツが切磋琢磨、互恵関係を構築しながら、娯楽としてスポーツを楽しむ機会のなかった新潟へ、着実に地域の人たちを巻き込みながら機会を提供してくれる存在になっていったことから、新潟の奇跡、なんて表現もしてもらえるぐらいにステキなプロセスを経ることができました。

感情の共振

僕が考えるスポーツの魅力は、なんといっても感情を上下左右にブンブンと振り回してくれること。

ただすごいプレーを見せてくれるだけでなく、感情ごと引き込んだ空間エンターテイメントなわけです。

ただ、エンターテイメントとはいえ、結果は蓋を開けなければ誰にもわからない上に、結果に至る過程までにフラストレーションを抱えてしまう場面もあります。

しかし、映画でも演劇でもTVでも、はたまた他にも余暇時間を過ごせるコンテンツはたくさんありますが、会場に足を運んだ人たちが感情を共振させ、落胆したり、歓喜したりする空間が形づくられるような、一見するととんでもないコンテンツは他にありません。

それはスタジアムだけにとどまらず、街全体、地域全体を巻き込みつつ、広がりを見せることが可能になるものになるのだとアルビレックス新潟は実感させてくれましたし、そのおかげで"スポーツ観戦のおもしろさ"を新潟に住む人たちは身体的・精神的に理解することとなりました。

自分以外の他人を応援する

また、スポーツを観戦はお金を支払った上で自分が能動的に取り組むものではなく、自分以外の人間が能動的に取り組んでいる様子を見て、応援するというもので、それは自分以外の人間がスポーツをする場面をお金を払ってまで見に行くことをさします。

ビデオゲームに例えるとなんだかおかしくて、近所に住んでいる親戚の兄ちゃんがゲームを楽しむ様子を、お金を払って観るようなものな訳です。

他人がスポーツする様を応援するとは何事でしょうか。

それは今、Youtubeをはじめとした様々な動画配信サイトにて当然のように行われていますし、全くもって違和感のないものではあるものの、アルビレックス新潟発足当時の新潟では異質の娯楽だったのです。

それでもアルビレックスに関わる方々一人ひとりが当事者として、たくさんの人たちを巻き込みながらも、丁寧に、そして着実に関わってくれる人を増やしていった結果、満員のスタジアムが結実します。

満員のスタジアムというのは本当にステキな空間であり、あの中は一歩足を踏み入れたことのある人たちは、まるで別世界に入り込んだかのような錯覚に陥いりますが、その別世界こそがクラブの、そして地域の大きな大きな資産価値になっていくのです。

地域の人たちが集まる

ホームスタジアムで試合が開催される機会は年に2桁回数しかなく、いってしまえば年間で十数回しか店を開けないレストランだと言え、どんだけ収益の機会逃してるんだ、と言いたくもなるようなビジネスな訳です。

それなだけにスポンサー収入や広告への大きな依存心がチームには生まれてくるのですが、そのスポンサー収入や広告をお金だけで換算できるのか、それだけを目当てにしてチームがセールス活動をしていいのかと言えば、答えはNoでしょう。

スタジアムは地域にある集会所な訳で、その場所にアルビレックス新潟って共通項を軸にした関係人口が一堂に会する機会になるわけで、甘っちょろいことかもしれないけど、チームはその地域コミュニティーとしての機能すら備えていることにもなります。

そして、それは一般的な企業ではなし得ることが相当に難しく、そびえる壁は遥かに高いのです。

共創者としてのスポンサー

到底、真似をしたいと思ってもできないもので、組織や企業の名前に誇りを持ち、感情を委ねてくれる"ファン"が生まれ、共に伴走してくれる組織なんてものは作りたくても易々と作れるものではありません。

それに価値をつけるのがクラブの役割であり、逆にスポンサーの役割でもあるわけで、上で書いた大きな資産価値の意味はここにあります。

前面に出るのはチームの名前かもしれませんが、チームの姿勢や態度を時には厳しい監視者として、時には優しく手を取り合う仲間として当事者性を持って併走してくれる支援者、それがスポンサーです。

ただ、お金を出す出さないの関係ではなく、チームが勝つか負けるか、ゴールを生み出せるかどうか、それを握っているのがサポーターであり、スポンサーであり、共に地域の色を形づくる共創者の集まりだとも言えるのが、クラブ・地域・スポンサーの関係なのです。

なくなってしまう可能性がある

とは言え、クラブは公益性の高いものであるものの、ビジネスとして成立しないのであれば、継続することは不可能です。当然の話です。

それはつまり、いつなくなってしまってもおかしくないことを意味します。

僕たちはつい、自分の置かれている環境や状況が常に維持され、継続して行くのものだと認識してしまいがちですが、そんなものはありません。

維持・継続して行くためには変化に対しての適応を常に繰り返す必要があり、そのためには中の人たちが思考をめぐらせ、試行錯誤し、都度、最適解を求めながら全力でひた走る以外には成し得ないものなのです。

地域からスポーツを楽しむ機会を自分たちが傍観者として見ているだけの存在でいるままでは、すぐにでもなくなってしまいかねません。

では、それを避けるためにはどうしたらいいのでしょう。

当事者となって関わって行く他にないのです。

当然のように"ある"のではなく、当然のように"する"姿勢や態度が必要だといえ、できるかどうかは当事者の行動次第なのです。

そもそも、それを考える機会が生まれる場所にいるのは幸福なことだと言えますし、同時に責任を伴っていとも。

それも含めて、スポーツは楽しいものだと僕は感じているのですが、あなたはどうですか。

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