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子どもとの時間が限られているからって怒らないわけじゃない

理想をいえば、常に平穏を保ち、冷静で感情の波風を立てないで子どもに対してフラットに接することができる人でいたい。

もう、常にそんなこと思ってるし、どうやったらそれが実現するのか考えてる。

実際にはそんなことできなくて、つい、感情が昂ってしまうこともあるし、声を荒げてしまうこともある。

その態度は本当に、心底、ぼくが嫌な大人像なのに、そうしてしまうことが悔しい。

我が家の子どもたちは、長男が間もなく6歳になり、次男が時季に4歳へ、三男が2歳へ、と、まだまだ小さな人たちだ。

その彼らからしたら34歳のぼくなんて大きすぎて勝負にもならない相手で、遊びの中でぼくに戦いを挑んできたとしても、すぐさま返り討ちに遭ってしまうし、それを気にもせず、無敵な存在であるぼくに対して、何度も攻撃を繰り返す。

時として道具を使ってくる彼ら。

その道具は「危ないだろう」と牽制し、ぼくは自分の身を守るものの、夢中でゲラゲラ笑いながら挑んでくる彼らに、その言葉は届かない。むしろ、「くらえぇ〜!!!!」とフルスイングされ、大いに痛みを感じてしまうことになる。

「バカか」

確かに食らってしまうダメージは大きい場合には、そんなことも口走ってしまうし、攻撃をしてきながらも、痛がるぼくを見て反省の色を浮かべる子どもたちを近くに呼び寄せ、「ダメだ」と言ったのに強行した理由などについての尋問を始める。

答えは「つい楽しかったから」「マジでやっつけてやろうと思ってた」「無敵だと思ったから」だなんて類なのは重々承知している。承知はしているが、ぼくは痛かったのだ。非常に痛かった。

あまりにも痛すぎて、思わず瞬間的に長男、もしくは次男のことをキライになってしまいかねないほどに痛かったのだ。

楽しかった空気が一転。ピリついた空気の中、ぼくからの質問に答えなければならない時間が訪れる。

「なぜ、ダメだと言ったのにやったのか」

「それで攻撃をしたら痛いと思わないのか」

「あまりにも硬いし、当たったらどう考えても痛いが、自らが受けてもいいのか」

「痛い思いをした相手に対して、どんな気持ちを抱くのか」

「相手が痛くて泣いてしまった場合、どんな態度で臨むのか」

そんな詰問を繰り返したり、時には反論として「お前だからいいと思った」(言葉をわざと荒くしてます)と、相手によって選んでいるのだというのもわかる時があるため、それはそれでよしとする。

ただ、ぼくはあまりにも痛かったのだ。

だから、少し言いすぎてしまうこともあるし、感情が昂りすぎて、追い詰めてしまうこともある。

それが伝搬してしまったのか、生来の性格なのかはわからないが、次男が食事中に入らないことがあり、もっていたエジソン箸を放り投げた。

中世の王族かなにかで、下僕に対してとる態度なのかと思える姿に唖然としたものだが、すぐさまに感情を昂らせて、言葉をまとめると「バカやろう!」と強めにいった。

もちろん、彼は大泣きしたのだが、禁忌ともいえる行為を許せるだけの許容度は、その瞬間のぼくにはなかったから、語気を強めに設定され、感情的に、ただ話す内容はきちんと納得できるように気をつける。

泣くことを繰り返す彼に、一通り注意を終え、少し落ち着いたのを確認すると、「仲直り」と称してハグをする。我が家のルールだ。

大人は怒ったりしても、子ども同士でケンカが勃発しても、その後に引き摺らないようにするため「終わり」の時間を設ける。

そうしないと互いにモヤモヤした気持ちを抱えながら…になってしまうため、それを避けたくてやっている。

常に穏やかで平穏な“大人」になるには、ぼくはまだまだ未熟なようで、反省する毎日なのだけど、他の家庭はどうなんだろうか、と気にもなる。

こればかりは子どもたちと親であるぼくや、妻の関係性の話だから、一様に片付けられないのはわかってる。

ただ、参考までに子どもに対して、つい感情的になってしまうような時に気を付けているようなことってあるのだろうか。

アンガーマネジメントを実践してる人とかいるのかな。ちょっと気になってる。

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