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そういえば最後にスポーツで感動したのっていつだっけ

スポーツはいいものだと思ってます。

スポーツが好きだからスポーツ関連の仕事をしたいと思ったし、スポーツ界から離れて転々としながらも、スポーツの現場感はそれとなく理解できているつもりだから、暮らしてる「新潟」とか「スポーツ」ってワードにピンとくる人たちに呼びかけてきました。

スポーツって、実際に会場に足を運んでみたときに感じる雰囲気を楽しめるのかってのが、すごく重要だと思ってます。

そういう意味でいうとぼくはアルビレックス新潟を応援するために集まっていた4万人もの人たちの姿を見た過去があるし、その人たちが懸命に出す声援を聞いたことがあるし、そこにぼく自身は(関係者でもなんでもないのに)誇りを感じてのを思い出します。

プロスポーツの試合観戦を初めてしたのは、両親とともに東京へ出た際に東京ドームでみた巨人の試合。

ドームの外野席だったからなのか、ちょっと恥ずかしい気持ちを抱えていたために乗り切れなかったからなのか、あんまり印象に残ってないんですよね。

ただ、試合の結果というか内容自体は覚えていて、ガルベスが投げては抑えて、ガルベスが打ってはホームランを放つようなガルベス大活躍の試合だったのは覚えてます。

そこから幾度かは、自身の仕事としても、一ファンとしてもスポーツの現場感を味わってきましたし、その中で起こる悲喜こもごもを味わってもきました。

スポーツを観にいくってのは、別にプロスポーツだけではなく、過去に所属していた帝京長岡高校サッカー部の試合を観に行くのだってそうで、そこには感情を振り回してくれる能動的な活動があったのです。

ここ1年で新潟のデンカビックスワンスタジアムには10回とまではいきませんが、片手では足りないぐらいに観戦しに行っているのです。

そんなところでふと思いました。

スポーツで感動したのいつだっけ…

スポーツのいいところは感情を上下左右にブンブンと振り回してくれるものの、答えがまったく見えない劇場型エンターテイメントっぷりです。

勝負は蓋を開けてみないとわからないし、蓋を開けてみたら非常に残念な気持ちになってしまうのかもしれない。

それでもプロスポーツの観戦って、日常では味わえないほどのドキドキやワクワクを、選手たちのプレーでもそうだし、指導者たちの駆け引きもそうだし、会場での飲み物や食べ物でも引き出してくれるもののはずで、何よりもサポーターやブースターといった応援する人たちの一体感を見れる上に、応援する人たちと選手や指導者を含んだスタジアム全体をデザインするチームスタッフの躍動が見られると、その感動は何倍にも膨れ上がります。

だからでしょうか。

ぼくはビッグスワン以外での観戦、それこそアオーレ長岡で観戦する新潟アルビレックスBBの試合でもそうだし、県外でたまたま時間があったから見にいったりした試合でも感動します。

あの空間をつくっているのは、つくれているのは決して偶然ではないし、それを支えるすべての人が願い、努力をし続けてきたからこその姿だから。

そりゃ、人がやるものだから基本的には失敗の連続なんだと思いますし、その失敗の経験がほんの少しの成功に向けてひた走る燃料になるんでしょう。

どんなにうまくいかなくても、どんなに批判されようとも、あのスタジアム、アリーナ、会場をつくろうとしている人たちの姿を見ると、常に感動しています。

スポーツは公益性のつよい事業ではありますが、慈善事業ではありませんから、基本的には他のビジネスと同様で稼ぐ基盤を構築しないといけませんが、人の数は何人いようが足りないのがチームスタッフ。

だから、チームの中の人以外で協力者を得ながら、協業体制を構築して邁進しようと必死に働きかけ続けるわけです。

この姿に感動せずにどうしましょうか。

ぼくは大した力にはなれないかもしれませんが、スポーツ関係者のみなさんが必死に活動を維持するために適応を繰り返そうとしているのを知っています。

直接的な力にはなれないかもしれないけど、できる範囲の中で全力で取り組みながら、力になれればいいな、と思ってます。

ぼくも感動を生む一助に。そう思って書いたnoteでした。

またイベントやりまーす。

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