見出し画像

僕たちは"回復"できているのか、というお話

1週間ほど前ですね。佐々木俊尚さんの朝キュレーションでこんな記事がキュレーションされてました。

『休日に動かない人ほど疲れが取れないワケ』と題された記事ですが、最終的にはスポーツ界でいわれるアクティブレスト(積極的休養)を紹介して終わるのですが、ジッとしていることが体に悪影響を与えるといった内容です。

僕は今でこそ中年男性として人生を謳歌中ですが、10代や20代の頃だってあったワケです。

その際に、周りの30代以上の人たちにひたすら言われたのは「若いから疲れないでしょ」みたいな言い方。何かことあるごとにそんな言い回しで、あたかも疲労とは無縁の状態であることを条件づけられました。

しかしですね、僕だって人間ですから肉体的な疲労を感じることもあれば、精神的な疲労を感じることだってあります。別にこれは10代だろうが60代だろうが関係なく、誰にだって起こりうる生理現象でしょう。

おそらく、当時のお兄さんたち(諸先輩の方達)が言いたかったのは、自分が20代だった頃、夜遅くまで飲み歩いても翌日にはケロッと仕事に行くことができていた、という勘違いの美化ではないでしょうか。

たぶんですね、朝まで飲み歩いていて疲れてないわけではないでしょうし、仕事もまともにできてなかった人たちが大半でしょう。もしくは、そんな状態だとしても本人がこなせる仕事内容だったのかもしれません。

いずれにせよ、確実に疲労はしていたでしょうし、ただでは済まされていないはずです。その夜は早めに寝堕ちてしまったりとか、仕事中にボーッとしてしまうこともあったかもしれませんね。

そして、そんな大人たちと接していくし、自分としても徐々に年齢という階段を上って行く過程の中、僕が確実に実感値として感じたこと。

それはドラクエの世界で宿場に泊まった時の話。どんなに激しくモンスターとの死闘を数多繰り返したとしても、宿場に留まりさえすればHP/MPが全回復します。

そんな状況は絶対にないということが肌で感じ取った一番大きなものです。

魔法が使えないので、MPは精神的な疲労だとしておきます。別にどこでもいいです。寝て起きたらでいいです。ドラクエの世界では自宅で寝泊まりしても全回復していたので、寝室で横になり目を瞑り、朝を待ちましょう。

回復しません。

というか、そもそも基準がわからないので、回復と呼べるのかどうかも微妙すぎるほど微妙な話です。

なぜなら僕たちは"疲労"という誰かが定めた使い勝手のいい概念を知っているだけで、それを数値化できるような無機質な機械ではないから、"どこまで"回復したら...という表現を使えるわけもないのに使おうとします

基準はどこですか?なんて聞けば、それぞれになんとなく基準を定めようとできますが、あらかじめ数値で決まっているわけではありません。

つまり、僕たちはそもそも回復という表現を使用できるのかどうかが非常に微妙で曖昧な存在であるとも。

では、どんな時にしっくりくるのか考えてみます。

唐突ですが、僕は過去に精神疾患を患ったことがあり、当時の診断名は『適応障害』から『鬱病』へと変遷しました。

あ、ちなみにこれを恥ずかしいとは思っていませんので書かせていただいてます。僕のこういった情報を受け取った人がどう思うのかは(その人の)自由なのでどうもこうもない、というのが正直な気持ちです。

ただ、この情報を恥ずかしいと思うこと自体が恥ずかしいと僕は思っています。例えば、風邪をひいて熱が出てしまいました、ということを恥ずかしいと思うのかどうかと一緒です。

精神的な疾患を抱えたことがある人に対して偏見的な見方をする人がいるのは仕方ないかもしれませんが、正しい実感を得たことがないからわかないというのが正直なところだと思います。

ただ、当時のことを振り返ると、本当に切なくてつらかったのです。

何がつらいのかと言えば。

僕は子どもたちのことが大好きです。彼らのできること増えていく過程を見れることに大きな満足感や希望を抱くことができますし、本当に楽しみで仕方ありません。

しかし、当時の僕は子どもたちの表情や行動を見ても、なんの感情も湧いてこない状況に陥っており、それをふとした瞬間に実感として得た時に大きな喪失感と無能感、虚無感があり孤独感がありました。

本当に大きくて深い失望です。そんな状況が改善された時に、僕は初めて"回復"することを実感として得ました。

精神的な回復については、元のものが元通りに見えれば、それで回復と言えるでしょうね、というのが僕の意見です。


では、肉体的な回復はどうでしょうね。これは怪我を考えれば精神的な問題より明らかに簡単で、実感がある人も多いでしょう。

例えば右足首を捻挫したとして、受傷直後は歩けないでしょうし、立つことすら困難になりますが、立てるようになり歩けるようになれば回復と言えます。

じゃー、疲労状態からの回復はどうでしょう。

これは一重に"こうだ"といえないんじゃないかなぁ、なんて思うわけです。だってね、例えば心拍数を毎朝測っていたとして、毎日は勝ってれば疲労状態の時とそうでない時の違いは出てくるかもしれません。

けど、出てこないかもしれません。いくら肉体は疲労状態にないからといっても、精神的な疲労があれば「カラダが軽い」なんて感じることはないでしょうし、その逆も然り。

心身一元論だとか二元論だとかって話はありますが、小難しい話は置いておいて、切っても切れないのが人の身体であり"気持ち"ですよね、と思ってます。

僕が今回の記事で言いたいのは、回復って言い方をするのって何だかマイナスなんじゃないかなってことです。

元の状態に戻すことが回復なのかもしれないけど、常に一緒な状況なんて絶対にあり得ないし、起こり得ません。

一期一会なんて言葉がありますが、同じ瞬間や同じ状況は人間が生きている以上、絶対に来ないからこそ僕たちはこの言葉を使いたがります。そういう意味でいうと、元の状態という元は常に過去を指す言葉になります。

しかし、状況は刻一刻と変化するわけです。

そう考えるとですね、僕たちは過去に戻ることはできないわけですから、回復なんてしていないんじゃないかと思うわけです。

辞書をひらけば、そこに「一度失ったものを取り戻すこと」なんてことも書かれています。しかし、取り戻すというのも果たしてそうなのかと考えたら、なんだか違うような気もする...。

なぜなら、取り戻すための前提は、奪われたり失ったりしているわけです。取り戻すといったところでそれまで何かを保持していた時とは状況が異なるわけですから、それを回復と呼べるのかどうか。

難しいですね、言葉って。我々は常に未来に向かってしか行動できないわけですから、過去を振り返ったところで、過ぎ去りし時を懐かしむ以外の使い方はありません。

だから、"回復"という言葉に変わる表現が上手いこと見つかればいいんですけど、今の僕には難しいみたいです。

何かいい案があったら教えてくださいね、というお話でした。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!