無題のプレゼンテーション__3_

個人格プラットフォーマー

プラットフォーム
プラットフォーム、プラットホーム(日: platform)とは、周辺よりも高くなった水平で平らな場所(台地)をさす英語。中期フランス語 (plate-forme)から英語に取り入れられた。
転じて、官公庁の施策における”環境(整備)”、”基盤(づくり)”、ソフトウェアやシステムにおける”動作環境”、作業をするための”足場”の意で用いられている。(Wikipediaより)

認識的な「場所」という風に僕は捉えているのですが、皆さんの印象はいかがでしょう。

ことばの確たる意味を探る、ということをしたいのではなくて、その認識的な場所になるためにはどうしたらいいだろうなぁ、なんてことを考えたので書いてみます。

■プラットフォーム化する人
■相互フォローの関係
■仕事/娯楽のプロジェクト化

■プラットフォーム化する“人”

ここ数年来で、オンラインサロンが活性化しており、その勢いはまだもう少し先まで続くのかもしれません。

これまでの経過を踏まえれば、Googleなり、楽天なり、Amazonなり、Facebookなり、僕の大好きなTwitterもそうですが、そんなプラットフォームの中で僕たちは個人の購買活動も、交友関係も構築しています。

その中には、それぞれ億単位で人が属していて、テキストデータという媒体を通しコミュニケーションを図っており、その中で自然とコミュニティが醸成されてきました。

いい方を変えれば「商圏」とも。

これまでは"何となく"という理由にもならない理由で、有名だし、名前をよく聞く、ということで「評判」が変わり、有名企業ブランドの中で勝手に属すコミュニティを規定されてきました。

けど、そのいわゆる企業アカウントからの情報には感情がないことが少なくなく、そのあたりの苦悩が企業のSNS運用について、すごくハードルを高くしている要因なんだろうと思ってます。

Twitterのなかで、注目される企業アカウントなんてものは決して多くはなく、最近だとシャープとタニタの絡みが発展してマンガ化する、という異常事態も発生しております。

これは、そもそも企業アカウントとして定型文だけを発信している企業間で行われるはずもなく、「中の人」の「らしさ」が出ていたからこそ成立した事象ですから、マネはできません。

つまり、当然のことながら「企業=プラットフォーム」では既になく、中のサービスと、サービス内で行われるコミュニケーションのあり方で、プラットフォームになるかならないかが変わるのではないか、と思うわけです。

そこで目立ってきたのが「個人格」。

以前にも書きました(12/7『ブランド』よりも『評判』がいい)が、情報の受信を個人が選択できるようになっている以上、選択されるようにならなければならない時代に突入して久しいです。

個人からも組織からも選ばれる人になるためには、自分がどういう人間があるのか知ってもらう必要がある上に、それをよしとする人たちに求められなければならないわけです。

そういう意味で見ても、ここ3、4年の中でオンラインサロンが隆盛を誇ってきているのは、そんな可視化された個人の発信に対して、思わず反応をしてしまう人が増えているからこそ。

つまり、個人に対して個人が集まっていく状態、つまり、プラットフォーム化する人が増えてきているわけで、その個人格プラットフォームの中では、何が行われるのかが明確になっています。

なぜなら、普段から発信している内容が、そのままコミュニティの中で行われるから。

受け取りたいと思えるものを発信し続けられる人と、それを受信したいと願う人たちとの間で「信頼関係」が構築されているからこそ、何も問題なく運営されています。

■相互フォローの関係

ただ、これにもなんとなく限界というか、それとなく勘違いみたいなことから瓦解してしまうコミュニティもいくつかあるんだろうなぁ、なんて思っています。

その大きな要因となるのは「序列」です。

確かに、納得のいく内容を発信しているし、そこに至るまでの経験も認めざるを得ないものなんだけれども、プラットフォーム化した人のコミュニティに属している人は以下のように思います。

「受信したい」とは思っているけど、「強制されたい」とは思わない。

自分の周りに多くの人が集まってきたときに、思わず「勘違い」をしてしまう人も中には少なからず存在し、その勘違いまでを含めて求められているときにはいいかもしれません。

いいかもしれませんが、人には感情がありますから、ちょっと意図しない切り取られ方をした場合には、関係が大きく瓦解してしまい、崩れていく可能性が高く、その関係は修復ができないぐらいに重たくなります。

糸井重里さんは著書である『インターネット的』の中で、インターネット的世界の特徴を「リンク・シェア・フラット」だとしています。

リンクとシェアで見つけた、フォローしたいと思った人が、あまりにもエゴイスティックな上に、上下関係を築こうとしたがために、関係性が構築できなくなってしまう、ということが起こるだろうな、ということです。

あくまでもインターネットが繋いだ関係は、相互にフォローする関係、対等であり、平等であり、均等なハズ。つまり、フラットな関係です。

なので、それがわかっている個人格プラットフォーマーの人たちは、相互間でサロンを行き来したりしてます。

自分とな異なる特徴を持つ人たちのコミュニティに顔を出し、その人たちとのコミュニケーションを図ることで、自分では見出せなかった一面を見つけにいくことで、自分の源泉を拡大しにいくわけです。

これがフォローされる人と、フォローすることしかできない人の差なのかなぁ、と最近では思うようになってきました。

自戒を込めて言えば、相互フォローできない、してもらえない人は、そもそもが独善的であるのかもしれません。

大小はあれど、自分の意見や表明、発信こそが上位概念であるかのように振舞ってしまい、気づかぬうちに序列的に振舞ってしまうことで、結果的にそれを嫌う人たちから煙たがられてしまう。

この辺りは僕自身も、良かれと思って発信していることが文脈をすっ飛ばして受け止められてしまわないように気をつけたいと思う次第です。

■仕事/娯楽のプロジェクト化

そして、個人格プラットフォーマーの人たちが、それなりの人たちを巻き込みながら自身の活動を拡張していくために、うまく活用しているのが仕事や娯楽のプロジェクト化です。

なんでも構いません、飲み会の幹事をやったことがある、もしくは人が集まる会合でも会議でも、本当になんでも構わないのですが...

とにかく時間軸がまったく異なる人たちを集めて、同一のことを企画し、運営をしたことがある人ならば、少なからず経験があるのだと思うのですが、大変ですよね。

個人格プラットフォーマーの人たちの元に集まってくる人たちは、基本的にはその人の考えや活動に対して共感する部分が多いために、集まっています。

そのため、基本的には能動的な人たち、つまり活動的に、もしくは活動することに対する心理的なハードルが低い人たちが集まってくるのです。

なので、主催者である個人格プラットフォーマーが「こういうことやりたいですよね」と一声かけたら、基本的には「いいね!」と背中を押す雰囲気が生まれ、実際に動き始める、ということが容易に起こります。

だからと言って、個人格プラットフォーマーの人たちが何もしないのかと言えば、そんなことはなくて、きちんと自分でも内容や進捗を確認しながら、「うまい具合」に進めていきます。

このプロジェクト化も内容というか、目的というか、ビジョンというか、結局、人の感情に訴えかけられるもの、つまり「共感できるもの」が必要となります。

個人の趣味嗜好を全面に押し出しているだけの要望を叶えてくれる人などいるわけもありません。

「それに関わることで、自分が得られるものはなんだろう」

とか

「この機会は今までになかったから、かかわろう!」

という、少しでも前のめりになることができるようなコトをプロジェクト化することで、共感して参画する人たちが外に向かって感情を込めて発信するわけです。

その発信されている、実感や前のめりの感情が乗りまくった投稿に対し、同じようにちょっとくすぶっていた人たちが乗りかかってくるわけです。

人を巻き込めるだけの魅力あるストーリーがあって、そこにまったく関係ない人たちの感情が乗ることによって、魅力のあるコミュニティとして外側の人たちからは映るようになる、と。

飛び抜けたスーパーマンが何でもかんでもやってしまうのではなくて、分業制とでもいえばいいのか「そのストーリーに乗っかりたい!」という人たちが集まってしまうことには大きな価値があると思います。

今後、もし、個々人が可視化されるようになっていくのだと仮定すれば、より魅力的なストーリーを仕事でも娯楽でも発信ができて、そこに乗っからせるだけの余裕がある状態を作れる人たちが、より際立っていくでしょう。

そういう意味で言えば、スポーツには大きく期待できると思っていて、逆にこういう部分を活かすことが必要だというコトを強く思うし、願うわけです。

■おまけ

僕は最近、9月に#スポーツの未来に僕たちができること と題してイベントを起こして以降、ラジオや新聞に取り上げられたり、出演したりするようになった僕は、妻からこう言われます。

「あんたは誰だ」

笑いながらではあるものの、結構、本質的な見方だなぁ、と感心したりします。

僕が誰なのか、というのは紛れもなく遠藤涼介な訳ですが、遠藤涼介という人が起こしている動きが面白い、ということでいろんな人が集まってくれるようになりました。

おまけに、今まで会えなかったような人たちにも会えるようになったりもしています。

別に僕は自分のことを個人格プラットフォーマーだとか思っているわけではありませんし、そもそもそういう人たちに対しても、Twitterのフォロワー数からして圧倒的に敵いません。

ただ、過去2回ほどイベントを開き(09/23 @新潟経営大学、12/14@クロスパルにいがた)、1/22には長岡で第三弾を開催することにし、やっぱり助けてくださる方々が増えてきているように感じるのも事実です。

そして、なんのこともない会社員である僕の印象をTwitterで聞いたところ...

「一緒に企てたい」という回答が一番多くなりました。

だからって、この回答をくださった皆さんに、素晴らしい機会を提供できるわけではありませんが、それにしても、こういう回答をしてくださった方々いることに対し、すごく嬉しく思いますし、励みになります。

その共感の輪を新潟にいたとしてもつくれるのかもしれないなぁ、という意味でいえば、個人格プラットフォーマーに近づくための活動を繰り返していきたいと思う次第です。

少しでも一緒にやってみたいと思ってくださる方、ご連絡お待ちしております!

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!