幸せ、満足、有り余る自由
「幸せなんかじゃないよ。ただ自己肯定感が高いんだよね。」
「幸せなのは、たとえばテストで70点でも満足するからだと思うな。」
「世界一幸せというのは大げさで、今の生活に満足していることが幸せな国と呼ばれているんじゃないかな」
デンマーク人に幸せについての質問すると、いつも満足という答えが返ってくる。
その返答を聞くたび、「デンマーク素敵すぎる!」と個人的なデンマーク愛が上昇しながらも、
「じゃあ、なぜデンマーク人は満足しているんだろう」
「私だって今の生活に満足してるはずなのに、、、」
「もしテストで70点だったら、自分は心から満足したと思えるのだろうか」
と何かモヤモヤした感覚があったんですよね。
約3年前にハマってから、ずっと気になってたデンマークの”幸せ”について、やっと自分で体験できたことがありました。
その答えが自由であるということ。
デンマークでは小学校1年生になる前に0年生というものが存在し、中には2年受ける子もいます。年齢に合わせて全員一緒に進級するのではなく、各々のタイミングが優先されている。
そして、高校・大学卒業後すぐに大学・大学院に入学するのではなく、約1年間のギャップイヤーを半数以上の学生が取得しています。浪人とは違い、旅に出たり、フォルケホイスコーレ(北欧独特の教育機関)に通ったりして、自分の将来を考えるための時間。
また、教育費は無料で、さらに親と別居している学生全員に月額約10万円が支給されます。学歴と給与の関係が浅いため、より自分のやりたいことに挑戦しやすい環境が整っている。
つまり社会に出るまでの期間、社会的評価や競争社会の影響を受けずに”自由”に人生の選択が出来るんですよね。
私はこのデンマーク人の”自由”に憧れていました。
何に束縛されてるのかもわからないのに「自由になりたい!」と。
それが実際に自由な世界に飛び込んでみると想像以上に辛かった。
今までも、自分は何がしたいのか?どんな人になりたいのか?を考えてきたつもりでした。でもそれは、無意識に世間体を気にした選択肢の中で、学校や就職先を”自由”に考えていたんですよね。
その選択肢に悩んでいたときでさえ、日常の忙しさに追われて、気がつけば目の前のやらなきゃいけないことに夢中になって、結果的に締切に合わせて決断していました。自分を納得させる理由を上手につくりながら。
デンマークに留学に来て約4ヶ月。どれだけこの”幸せ”そして”自由”を得られると期待していたんだろうと痛感しました。
やりたいことだけの生活が出来ているのに、なぜか疲れや漠然とした恐怖を感じる。目的を持って来たはずなのに社会の目がなくなった途端、本当にやりたいことだったのか?と迷いはじめる。
日常の些細な選択まで、全て自分で決めることが出来ている。だからこそ、失敗しても迷っても後悔しても、忙しさや誰かのせいにすることなんて出来ない。ちょっとした言い訳すら出来ないんですよね。
自由ほどピュアで繊細で無限なものはない。と同時に、その漠然とした感覚が恐ろしくてたまらなくなる。
今までネガティブに思っていた”やらなきゃいけないこと”が、どれだけ自分を助けてくれていたことか。毎朝”また今日が始まってしまう”と感じていた頃もありました。
デンマーク人は幼い時からこの自由すぎる選択にしっかり向き合う習慣を培ってきたんですよね。
最初から満足できていたのではなく、彼らも自由について悩みもがきながら、自分の居場所を探していたんだなと。
日本人としてデンマークに来たからこそ発見できた”当たり前”のちがい。
毎日のタスクや忙しさといったネガティブだと思っていたものが、実は自由という恐怖を緩和させてくれるポジティブなものでもあったんだなということ。
世界一幸せな国だからって幸せになれるわけじゃない。今いる環境をポジティブに捉えながら本当の”自由”と向き合ったときに、やっと自分の満足する居場所がみつかるんだと思います。
正直、まだまだこの”自由”についての答えが出たわけではないのですが、3年以上憧れていたデンマークを少し身近に感じた経験でした。
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