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道元研究。建築道楽。 dogenseye.com

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  • 正法眼蔵 note

  • コロナウイルスの医学的事実

    COVID-19 に対して社会が冷静でバランスのとれた態度をとるために。

  • 定家、夢になせとぞ

  • 読書感想文の宿題が出たので僕は「正法眼蔵」を読むことにした

    小学生の「僕」が AI を使って道元の大著を読む話

  • 道元、水と空と月と花と

    13世紀(鎌倉時代)に活躍した僧・道元の主著『正法眼蔵』のエッセンスを書いています。

最近の記事

一味ちがう家、売ります。 ⇒売れました!

以下に記した家、気に入って下さる方が現れ、住み継いでもらえることになりました。「いいね」を下さった方、応援して下さった方に、心から感謝いたします。そして、ただの建築オタクの趣味が高じた、一風変わった住居の魅力?を伝えてくれた「なんぼや不動産」水津陽盛君にも、ありがとうと言いたいと思います。 1966年、まだ東京湾も富士山も見えた習志野の高台に、この家は建った。 それから30年後、行きつけの喫茶店でスタッフから「こういうの、興味あります?」と見せてもらった雑誌に、ルイス・バラ

    • 日本語はどういう言語か(3)

      (2)を書いてから2年経ってしまった。出直しだ。 上代の日本語には、ラ行で始まる語が存在しなかった。これはどういうわけかを探るところから始めよう。 まず、それは本当か。例外かもしれないものを辞書で片っ端から探す。たとえば、完了や持続を表わす助動詞「り」があるじゃないか。 しかし助動詞は動詞に付くことではじめて一語として働くわけなので、完全な「語」というには問題がある。それに、「り」の発生起源が、動詞+アリの形からアが脱落したものらしい(大野晋『岩波古語辞典』)ので、最初

      • "My Death" ~~ 架空の舞台挨拶 

        シニガミといいます。 「めずらしいお名前ですね」と言われることはたまにありますが、たいていは「え?」っていう表情をされるだけです。 めっちゃ不吉な名前ですねって思いきり言ってくれる人、いないかな(笑) 仕事は美術館の守衛をしています。父方の姓が薛(シュエ)ってのが影響してるんだか、どうだか。してるとしたら、そんなことで仕事が来ること、あるんですね。いや、仕事って、来るものなの?ふつうは、こちらから行って掴むってイメージがあるんですけど、それも思い込みなのかな。 妄想癖があ

        • 正法眼蔵 3/100

          正法眼蔵 n/100 っていうタイトルからすると、敷地に n 個の点を選んで基礎杭を打ち、巨大な蔵を再現するプロジェクトに見えるし、自分もそういう気になりそうなんだけど、いくら建築が好きとはいえ、その喩えに嵌まりすぎないようにしないといけない。この喩えはどうも、西洋哲学に由来する感じがする。ウィトゲンシュタイン『論考』がわかりやすい。7個の点に基礎杭を打ち、柱を立ち上げ、その間に必要な梁を渡していった書物。その目標は、序文によれば、思考に(内側から)限界を引くことにあった。

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        • 正法眼蔵 note
          23本
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          18本
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          11本
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        • Change the City | DS+R
          26本

        記事

          正法眼蔵 2/100

          雪峰は晩唐期のメジャーな禅僧の一人で、その住持する寺には一五〇〇人もの修行僧がいたという。ある僧が雪峰のもとを離れて一人、山奥に草庵を結び、柄杓を一本作って、渓水を汲んで暮していた。髪は伸び放題になっていた。同僚だった僧が、彼がどうしているか気になって、草庵を尋ねていって、禅の定番の質問をした。「祖師西来意はなに?(達磨が西からやって来た意図=仏法の真髄は何か)」。庵主の答えは、 渓深くして、杓柄長し。(渓深杓柄長) 同僚僧が寺に帰ってこれを報告すると、雪峰は侍者に剃刀を

          正法眼蔵 1/100

          目標は、『正法眼蔵』75巻を75ページのエッセンスにして注釈・解説をつけて200ページの本にする。そのための準備を始めようかと思いつつ早くも半年過ぎました。今日からやるか。 たとえば「正法眼蔵 100」みたいなタイトルにする(原広司『集落の教え 100』に倣って)。100個のキーセンテンスを選び出す。1つについて見開き2ページのコメントを書けばちょうど200ページ。すぐできそう(なわけない)。さっそくやろう。 拄杖は遊行僧が行脚に携えていった杖、払子は紐を束ねて柄を付けた

          非色の色の見ゆるまで_富澤大輔写真作品集『字』より

          藤原定家。  駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮 馬を止めて袖に降りかかった雪を払う物かげもない、佐野の渡りの雪の夕暮。だからなに?としか反応しようもないような一首に見える。しかしその設計プロセスを先人の研究によって追ってみると、夕闇に沈みゆく雪景から歌神の姿が現れる。定家は万葉集、長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)の以下の歌を「改修」した。  苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに 佐野/狭野は同じ地名の異表記と思われる。やれやれ、

          非色の色の見ゆるまで_富澤大輔写真作品集『字』より

          さぞな旅寝の夢も見じ・2

          (つづき)源氏が恋をした朧月夜がじつは政敵・右大臣の娘で、それが右大臣に発覚し、いろいろあって、源氏は京から追放され、須磨に流されることになりました。今の感覚なら、須磨は神戸と明石の間のところですから、京都からは新快速で1時間足らず。太宰府や佐渡ならいざ知らず、大して遠くないじゃん!て思います。平安時代だって、淀川を難波まで下り、そこから海を行けば、だいたい二日の行程だと思います。でも源氏にとっては「来し方の山は霞みはるかにて、まことに三千里のほかの心地」(須磨の巻)がするん

          さぞな旅寝の夢も見じ・2

          さぞな旅寝の夢も見じ

          袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふ方よりかよふ浦風 定家 詞書に「和歌所にてをのこども、旅の歌つかうまつりしに」とある。「をのこ」は男なのだけど、ニュアンスが現代語と微妙にちがう。ビッグボス・後鳥羽上皇と、上皇に従う和歌所チームの選手たちという上下関係が前提されていて、自分たちを下に置いてものを言う言い方なんですね。ボスに旅の題でおれたち皆で一首ずつ捧げますってことです。 定家の打順。ボックスに向かう時、さっと源氏物語が頭をよぎりました。旅といえば、源氏がちょいとやらかして

          さぞな旅寝の夢も見じ

          袖ふきかへす秋風に

          旅人の袖ふきかへす秋風に夕日さびしき山のかけはし |定家 この日の歌会のルールは、五句目に「梯(かけはし)」を置くというものだった。「橋」にはすでに動きのニュアンスがある。詩は言葉の結晶だとして、その表面になにかの影がスッと動く。袖ふきかへす風であったり、暮れゆく空の色だったり。結晶の置き場所によっては、一篇の物語さえ映る。村尾解説*によると、舞台は中国、時代は唐代。「旅人」は反乱軍に追われて蜀の地を目指して落ちていく玄宗皇帝の軍。途中、最愛の楊貴妃さえも処刑しなければなら

          袖ふきかへす秋風に

          なれし袖もやこほるらむ

          忘れずはなれし袖もやこほるらむ寝ぬ夜の床の霜のさむしろ |定家 氷点下の詞が並ぶ。上句で凍り、下句で霜が降り、寒い蓆(むしろ=寝具)の上にひとり震える身体を横たえる。 「さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫」(前々回)もかなり寒かったけど、そんなもんじゃない。もし私のことを忘れていないなら、二人で重ねた袖が涙で濡れて、今夜のような寒い夜に凍りついているでしょうか。私は冷たい床でひとり、寝られないまま、あなたのことを思っています。 でも... そういう悲痛

          なれし袖もやこほるらむ

          まつほの浦の夕凪に

          来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ |定家 まつほの浦(松帆浦)は淡路島の北端。聖武天皇が播磨に行幸した際、随行した笠金村(かさのかなむら)が長歌を詠んだ。陛下、おそれながら対岸にみえます松帆の浦にたいそう可愛い海女がいて、朝凪に海藻をとり、夕凪にそれを焼いて塩をとったりしているそうです。会いに行ってみたいものですが、海を渡る手段がありません。残念であります。いくら恋焦がれても、こちらの浜でうろうろするばかりです。なにせ、舟もなければ櫓もないので。 名

          まつほの浦の夕凪に

          待つ夜の秋の風

          さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫  定家 この日の歌会のテーマは「花と月」を百首、だった。 定番中の定番。直球とカーブだけで完封しなさい。今風に言えばフォーシームとスライダーでねじ伏せよ。 そこで定家は考えた。スライダーをどこに決めたらいちばん効果的か。過去の全データを記憶から呼び出す。ハイライトされた一首が「古今集」のなかから浮かび上がる。 さむしろに衣かたしきこよひもやわれを待つらむ宇治の橋姫 |詠み人知らず 「脱いだ衣を寝床に敷いて、今宵もわた

          待つ夜の秋の風

          Listen to the cry from Australia

          80年代から90年代まで僕は「生物学の哲学化」というテーマを追っていました。ちょうど百年前の19世紀末に「物理学の哲学化」がありました。「絶対確実な知としての科学」という信憑がそこから揺らぎ始めました。その懐疑的哲学はマッハに始まり、ウィトゲンシュタインに至って頂点に達し、その後科学哲学として展開していきました。ところが20世紀中葉に「遺伝子」という概念が DNA として物質化されると、かつての哲学化以前の物理学はあらたに分子生物学に装いを替えて、その機械論的世界観を凄まじい

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          峰のあらしも雪とふる

          名もしるし峰のあらしも雪とふる山さくら戸のあけぼのの空 朝の空気を吸おうと思って少しだけ戸を開けてみたら、風に舞うは雪か花か、夜明けの空。しばらくそのまま見ていよう。縦に切り取られたフレームを、無数の花びらがほぼ水平に舞い散る。一瞬止まったり、回ったり、また水平に戻ったり。そして空の色は少しづつ、明るくなっていく。 「嵐山」の名の通り、風が桜を雪と降らせている。「名もしるし」は名も著し、有名なあの峰ということだ。「山さくら戸」は定家の時代からすると古い、もしかしたら使われ

          峰のあらしも雪とふる

          風をも世をも恨みまし

          いづくにて風をも世をも恨みまし吉野の奥も花は散るなり 定家25歳。父・俊成と並ぶ和歌界の大御所・西行からのリクエストに応えて詠んだ一首。 なので、ちょっと西行についておさらいしておきます。1118年生れ、「遁世の歌人」「隠者文学の代表」なんていうタグが付けられることが多いです。実際、23歳で出家し、その後は、北は奥州平泉から南は筑紫まで、じつにいろんなところに旅をしています。しかし貧しい恰好で野宿しながら歩き続けた乞食坊主というのとは、全然イメージがちがうようです。むしろ

          風をも世をも恨みまし