覚者の夢/正法眼蔵完全解読に向けて

これは去る3月9日 (2019) に東京で行われた研究報告会*¹ での発表要旨です。

「日本仏教の至宝」(春日佑芳)と言われる道元の著作『正法眼蔵』は、永きに亙る秘蔵を二十世紀初頭に事実上解かれた後も、その高度な表現技術が深い魅力を湛えると同時に、高い壁ともなって読解を阻んできた。だが昨年東京で開催された国際シンポジウム*² で講演者の一人、アルド・トリーニ氏が「道元を世界思想家として考える時代がやってきた」と述べたように、高精度の注釈をもって『正法眼蔵』を世界に届けるべき時が、まさにいま来ている。「日本」「仏教」という限定を取り去った人類の至宝の一品を、地球上の津々浦々に届けるべき日は近い。

そこで解読のための新しいツールとして「モデリング」という方法を提案する。文献研究の定番である帰納的方法に代えて、はじめにゴールを予想し、それを近似するモデルを構成して、そのもとでテキストを検証していくのである。そのモデルがテキストとの誤差に応じてたえず修正されるべきものであることは言うまでもない。建築の分野では、たとえば SANAA は一件の設計のために百を超えるモデルを制作するという。それらを通じて設計は最適空間に収束していくのである。

モデルが満たすべき要件がある。それは、単にテキストの或る部分を解読するために有効であるというだけでなく、可能なかぎり原理的であるべき、ということだ。なぜなら『正法眼蔵』自体がきわめて原理的と思われるからだ。道元は、すでに知られている仏法を解説しているのではなく、今まさに仏法を再創造しているように思われる。そのような態度で書かれているとすれば、そのテキストが原理的でないはずがない。「迷い」「さとり」「修行」「自己」「世界」、そうした基本概念すら自明とは見なさず、自らの言葉でゼロから書き直そうとしている。しかもその言語の詩的な美しさは、道元の生来の能力にもよるものだろう。平氏政権の重臣であった源通親を父に、新古今和歌集の撰者の一人となった通具を兄に持つ少年道元は、至近距離で行き交う高度の言語の技をやがてそのテキストに惜しみなく注いだ。

モデルの核となるアイデアを「世界の外部」とする。これは特に新しい認識ではない。伝統的に「俗」に対する「聖」、「此岸」に対する「彼岸」、「人間」に対する「神」などと特徴づけられてきたひとつの観点に、空間的・幾何学的な表現を与えたにすぎない。ただ、そうすることによって価値意識の混入からは自由になれるかもしれない。「世界」の事象を「世界」の中で解釈するのではなく、「世界」と「世界の外部」を併せた広大な空間–––これを「世界海」とよぶ–––に置くことで、事象の必ずしも顕在的でなかった意味が浮上することが期待される。それはちょうど数学者が実数の問題を複素平面で解くというに似ている。一次元では錯綜して見える状況が、ひとつ次元を上昇することによって鮮やかに解決されてしまうという経験を数学者は日常的にしているはずだ。

世界の外部を各衆生に局所化してこれを仏性とよぶ。涅槃経に謂う「一切衆生に悉く仏性有り」が、それに当る。到達不能の外部が、衆生の近傍に移される。外部は水平線の彼方にではなく、日常の風景のなかに埋込まれる。仏性はなんら物理的実体をもたないという意味では「虚」というより「空」だが、空 void をもつ色 solid がただの色ではなくなることは、数学においても建築においても経験されることだ。となると、仏法とは現実に対する何なのか。それは広い意味の、メタ・フィジックスではないかと予想する。道元はこの考えに果たして頷くだろうか。

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*¹ 比較思想学会・東京例会 於・大正大学

*² 第1回 道元研究国際シンポジウム「世界の道元研究の現在」2018.7.21-22 於・東洋大学

*³  オイラーの式画像1

を数学者・吉田武がそう呼んだ。2つの超越数と1つの複素数で構成されたオイラーの作品が -1℃ で永久保存されている。



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