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第1話| この本を読んだ子どもはまだ一人もいない

「夏休み前に一冊、好きな本を読んで、感想文を書きなさい」って、先生が言った。

兄ちゃんは4年前に『野口英世の生涯』の感想文を書いて先生に褒められ、コンクールに出して銅賞になった。一言で言えば「野口英世は偉い」っていうのを原稿用紙7枚半に伸ばした兄ちゃんは天才と思った。兄ちゃんはそれ以来、本が嫌いになった。

僕も嫌いになるのだろうか。だとしたら、これが僕が一生で読む最後の本になるかもしれない。それなら悔いが残らないように、誰も読みそうにない本にしよう。それで大学の坂の途中にあるビブリオのおじちゃんに、

子どもが読めない本、ありますか?

って聞いた。そしたらおじちゃんは、表紙にきれいなおねえさんが写ってる本を取ろうとしたけど、ちょっと考えて、上の棚からちがう本を出してきた。「せいほうがんぐら」っていう題名の本で、作者はみちもとっていうんだ。お小遣いを出そうとしたら、おじちゃんは言った。

この本を読んだ子どもはまだ一人もいないんだ。君が一人めになるんなら、お金はいいよ。

やった!ぜったいなる。

夕ご飯のとき、試合から帰ってきたお父さんにその話をした。お父さんは「せいほうがんぐら」じゃなくて「しょうぼうげんぞう」って読むんだって教えてくれた。でも「ちゅうしんぐら」のぐらとおなじ字じゃん、て言うと、どうして漢字には何通りも読み方があるのかって話が始まった。

こういうときお父さんの話は授業より長い。要約すると、漢字は日本に何度も伝わったからなんだって。呉の時代には呉の発音で、唐の時代には唐の発音で伝わった。一度、統一しようとしたけど失敗。だから「正」はショウって読んだり、セイって読んだりするんだ。お母さんはテーブルの上を片付けおわって兄ちゃんは宿題始めた。お父さんはお箸を持ったまま、いま「紀昌」っていう弓の名人の話になってる。

それと、作者の名前は「みちもと」じゃなくて、「どうげん」なんだって。でも僕はみちもとの方がいいな。

(つづく)

作|斎藤嘉文   挿画|富澤大勇


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