お酒

大学1年生の春、軽音楽部の新入生歓迎BBQでカルピスチューハイを舐めたのが飲酒の原体験。1缶どころか、半分ほど飲んだだけで楽しい気分がやってきた。自分は酒が弱いんだな、と思った。

その後は大学の集まりや、ライブの打ち上げなどでとにかく沢山お酒を飲んだ。破滅的飲酒を繰り返すことがきっと正義なのだ、と信じていたふしがある。記憶も含めて何一つ残るものはなかったが、わりと楽しかった。

家でひとりで過ごす時はあまりお酒は飲まなかった。

数年前、友人がやっていたユーストリーム放送を暇なときに見る時期があった。宅飲みを配信するだけの不毛な放送がわりと面白く、友人たちがカメラに向かって「乾杯!」とスーパードライの缶をかかげるのを見てると自分も飲みたくなってきた。この頃から家でも飲酒をするようになった。

ライブハウスでもたくさんお酒を飲むようになった。好きなアーティストを見るときはもちろん、退屈なアーティストを見るときにもつい1缶頼んでしまう。お酒ではなく時間を買っているのだ、という変な感覚があった。

1年くらい前の元気な時期は、毎週飲みに出かけていた。場所は横川や十日市あたりのお店。店で飲んで、閉店になったらコンビニに行ってベンチでまた飲んだ。たまに店をしめた店主がついてくる日もあった。参加者みんな何を話したのかほとんど覚えてなく、きわめて不毛で楽しい時間だった。

今はなかなか元気が出ない時期だが、お酒を飲むと少し元気が出る。人に会えるようになる。でも人に会うためにお酒を飲むのはちょっと悲しいので人とあんまり会わない日々を選択している。

2月のはじめに風邪を引いた。ライブもあったので喉を気遣って家での飲酒を控えてみると、これがわりと悪くない。眠る前の数時間の時間の流れがゆっくりに感じる。2月いっぱいは家でほとんどお酒を飲まずにすごした。

知らない人のアル中日記がTwitterで流れてきて、読んでみたらおもしろく、気がついたらキンミヤのチュウハイを作っていた。そういえば、以前、中島らもの「今夜、すべてのバーで」というアル中小説を読んだときもむしょうにお酒が飲みたくなった。飲酒沼におぼれた人々の恐ろしい体験に震えながらも、その人たちのおろかさや素直さがどこかかわいく思えてしまう。そうすると、お酒にも改めて親近感がわいてしまうのであった。

お酒を飲んでも、基本的に不毛なできごとしかおこらない。次の日の朝に馬鹿げた心地を知ることになってしまう。でも、その不毛さを楽しむゆとりをもっていたい。あの知性がだらける瞬間、ユーモアのハードルが地下に潜る瞬間が好きだ。

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お酒を一滴も飲まないひとが作ったお酒の歌


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