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小説『ウィ・ガット・サマータイム!』 (土居豊 作)  第3章 ユニゾン2〜謎の楽譜その2


小説『ウィ・ガット・サマータイム!』
土居豊 作
第3章 ユニゾン2〜謎の楽譜その2

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第1章 ユニゾン1〜謎の楽譜1

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第2章 ソロ1〜ジャズ喫茶と古本屋
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第3章 ユニゾン2〜謎の楽譜その2


1)合奏


立花かおるは、合奏を指揮するときいつも、ブラウスのボタンを2つまではずすくせがあった。だから、一番指揮者に近いコンサートマスターの位置にすわる早瀬みきおは、指揮者の方に目をむけると、つい彼女のブラウスの胸元をのぞきこむような感じになってしまって、どぎまぎしてしまうのだ。それで、みきおはいつでも指揮者が演奏を途中でとめると、すぐに彼女の視線をとらえて、自分の胸元をどんどんと叩いて注意を促すのだった。
「あ、ごめん」
かおるは、無意識に外したブラウスの第2ボタンをとめた。暑そうに額の前髪をかきあげながら、タクトの先を真っ白い前歯で噛み、譜面台の上のスコアをのぞきこんだ。
かおるは、とても目が悪いくせにめったにめがねをかけないので、スコアをみるとき、いつでも上体が譜面台にくっつくぐらい屈める。そういうとき、指揮者に対して真横の位置にすわるアルト・サックスの佐久間あきらは、彼女の半袖から白い脇の下がみえてしまって、まじまじとのぞきこむはめになる。あきらは女子の脇の下が特に好みだ、というわけでもない。けれど、半袖の隙間からブラまでみえそうになってしまうので、どうしても視線をそらすことができない。
「またみてる!」
と、あきらのほぼ真後ろにいるドラムの矢代佳世、通称かよちんが、スティックの先で背中をつつくと、あきらはちらっと振り返って舌打ちした。
「みてない」
「うそ、目つきがやらしい」
「勝手に言ってろ」
あきらは、かよちんを無視して指揮者の方に視線を注いだ。そんな彼をかよちんは真後ろからじっと見つめ、いまいましそうに指揮者のかおるの顔をにらむのだった。
かおるは、そんなあれこれには無頓着なまま、あきらのサックス・ソロとかよちんのドラム・ソロを順番にやらせてから、みきおに言った。
「じゃあ、最初から通してみよっか」
みきおはうなづくと、腕時計をちらっとみた。
「よし。それで今日は終わろう。もう試験前だから」
「あ、忘れてた」
「気楽なやつだな」
「いやなことは忘れるのよ」
「得な性格だ。さ、やろう」
「うん」
かおるはバンドのみんなに向き直ると前髪をかきあげ、左手でブラウスの第2ボタンを無意識にはずしながら、右手のタクトを上げた。
「おい!」
みきおはクラリネットのマウスピースをくわえたまま、うなるように声をかけた。
「ん?」
みきおがクラリネットをくわえたまま、あごをしゃくるようにして、かおるの胸元を示すと、彼女は、はずしたばかりのボタンをまたとめながら、タクトを振り上げた。
「うわ!」
思いがけない始めかたに、ドラムのかよちんがフライングで叩いてしまい、それにつられて、バンドのみんながずっこけるように音を出してしまった。
「なにやってるんだ、おまえら!」
1人だけつられずに踏みとどまっていたあきらが、いらだたしげに叫んだ。
「だって、指揮が」
かよちんが言い訳すると、あきらは言い返した。
「指揮者があわててドジ踏んでも、俺たちがつられなかったらいいんだ!」
「指揮者みてたら、どうしてもつられるよ」
「だったら指揮者見なけりゃいい」
あきらが言いかけると、かおるが口をはさんだ。
「なんで見ないのよ! 指揮は見ないとダメ」
「目の毒だから、見てられないんだ」
あきらが言い返すと、みきおは思わず噴き出した。
「立花さん、今度からブラウスじゃなく、長袖のTシャツかなんか着てきて」
「ん? どういうこと?」
かおるが、きょとんとした顔でみきおをみた。バンドのみんなが、どっと笑った。
「ん? なに? 長袖がどうしたの?」
「まあ、いいよ。早く通して終わろう」
みきおは取り繕うように言って、またクラリネットを構えた。
「うん。みんな、まじめにやってよね!」
かおるはまたタクトを上げて、バンドを見回した。今度は左手も上げていて、ブラウスのボタンには触れなかった。
「よーし、いこう」
あきらも、サックスのマウスピースをくわえて身構えた。
「いいよ。今度は大丈夫」
かよちんは、スティックを構えた。
かおるはみんなを見回すと、素早く息を吸いながらタクトを振り上げて、アウフタクトを示し、1拍目を振り下ろした。
合奏が始まった。



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2)謎の楽譜の正体は?


「ねえ、この曲、定演にやったらどう?」
かおるは、あきらとみきおに尋ねた。3人は部活のあと下校時間が迫っていたが、のんびりと旧館を出て、そのまままっすぐ通用門へ歩いていた。
「えー? 編成がブラバンとは違うよ。全員で吹けないよ、きっと」
あきらは、あっさりと否定した。
「え? あれってブラバンの楽譜じゃないの?」
かおるは、目を丸くした。
「何の話?」
みきおは、話の筋道が見えていなかったが、例の謎の楽譜のことを聞いて、すぐにわかった。
「それはたぶん、フルバンだよ」
「ふ、る、ばん? って、何?」
かおるは、ますます混乱してしまった。
「フルバンっていうのはね、フルバンドの省略。フルバンドっていうのは、つまり、ビッグバンドのこと」
みきおは、丁寧に説明してやった。
「ビッグバンドって、大編成っていうこと?」
聞き返すかおるに、みきおは説明を続けた。
「いや、そうじゃなくて、ビッグバンドっていうのは、スィング・ジャズの大編成バンドのことだよ」
まだ怪訝そうな顔をしているかおるに、みきおは付け加えた。
「ほら、デューク・エリントンとか、グレン・ミラーとか。聴いたことない?」
かおるは、やっと理解した。
「あ、ポップス・アレンジでやるやつね」
「まあ、そんな感じだ。ビッグバンドはね、『A列車で行こう』とか『ムーンライト・セレナーデ』とか有名な曲では、トランペットやサックス、トロンボーンがソロを吹いて名人芸を競うわけ。クラリネットのソロが中心なのは、ベニー・グッドマンだ」
そこでやっと、あきらも口をはさんだ。
「で、あの楽譜は、ジャズバンドの曲ほぼそのまんまだから、ちょっとブラバンで演奏は大変かなってことさ」
かおるは、目をパチクリさせて2人を見返した。
「けど、アレンジしたらいいんじゃないの?」
「誰がそれをするんだよ?」
あきらが、呆れたように言った。かおるは、みきおを見た。
「いや、無理だよ」
「えー? なんで? みきちゃんピアノと理論、やってるじゃない」
みきおは、あきらと目を合わせて、肩をすくめた。
「いや、それはそうだけど、ビッグバンドの曲をブラバンのスコアにアレンジするのは、編成が全然違うんだ。オーケストラ曲をブラバンにアレンジするのは、楽器編成が似てるからできるけど、ビッグバンドは違いすぎる」
あきらも、助太刀した。
「ジャズの曲はコード進行が難しいんだよ。まあ、そのスコアを楽曲分析してみろって」
かおるは、あっさり両手を空に向けてみせた。
「分析なんか、できないってば。この曲のブラバンアレンジ、出てないのかな?」
みきおは、あきらをみたが、あきらも首を振った。
「知らないよ」
「楽譜屋に行って探してみる?」
かおるは、あきらめきれない様子だった。でも、みきおは首を振った。
「ないと思うよ。少なくとも、国内の出版楽譜には」
「じゃあ、キタかミナミに行って輸入楽譜探そうかな」
「行ってみて、なかったら無駄足だ」
あきらは、あっさり言った。
「いいんじゃない? もしなかったら、どうせ別の曲、探さなきゃいけないし。明日の練習のあと、行かない?」
かおるは、すっかり乗り気になっていた。みきおは、やれやれ、という感じで言った。
「帰りが遅くなるよ」
「じゃあ、今度の日曜日の練習のあと。どうせ4時までしか練習できないから」
かおるは、粘った。
「しょうがないな」
みきおは、しぶしぶうなづいた。
「忘れないでよ?」
「こらー、早く帰りなさい!」
通用門の前で先生が叫んでいた。
「おっと、いけない。急ぐよ!」
3人は、あわてて足を早め、通用門の外に出た。この高校は、定時制があるので、下校時間は厳守しなければならないのだった。


その定時制生徒の男性は、ようやく、校門の向かいにある路地の陰から姿を現した。
『やれやれ、彼ら、今日はずいぶん下校が遅いんだな。危うく見つかるところだった』
男性は、すばやく道路を渡って校門を通り、門のところで生徒を出迎えている定時制の先生に、ぺこりと頭を下げた。
「こんばんは! 今日は遅刻ギリギリだね」
定時制の先生は、陽気な笑顔を男性に向けた。
「はあ、すみません。ちょっと野暮用で」
「今日もがんばって!」
先生の声を背に、男性は、明るい照明に照らされた南グラウンドの横を通って、中庭を抜け、旧館の階段に通じる入り口から入っていった。
定時制の授業といっても、体育もあれば音楽もある。いくら昼間の仕事で疲れているといっても、授業中に居眠りしていたら容赦なく起こされる。その男性は、1日中店で働いたあとなので、頭が朦朧としている感じだった。教壇に立つ年配の国語の先生が、達筆で黒板に書いている古文の現代語訳を、ノートに写すだけで精一杯だった。それも、手がくたびれてしまって一気に写すのは無理だった。少し手をとめて、木の机の表面に落書きされている薄い鉛筆の字を、ぼんやりながめて休憩した。
机の落書きは全日制の生徒が暇々に書いたもので、男性は、その見知らぬ若い学生が書いたと思しき意味のわからない文字を読むのを、授業中の密かな気晴らしにしていた。
この日も、おそらくは女子生徒らしい、細くて整った字体で書かれた落書きがあった。
その落書きをみるともなくながめていると、ふと気になる部分があった。
《楽譜屋さんに売ってる? じゃずー》と、書いてあったのだ。
『じゃずー?』
男性は、ちょっと考えて、ジャズのことだと気づいた。
『ははあ、そうか。この教室で吹奏楽部が練習しているんだった。ジャズの楽譜を探しているんだな』
男性はひとりごちて、国語のノートにメモを書いた。ジャズの楽譜、売っている店。
「おや? 目を開けたまま居眠りしてるの? 聞こえてますか?」
「は? あ、すみません」
男性は慌てて立ち上がった。先生に教科書の音読を当てられていたのを、全く気づかなかったのだ。


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第4章 ソロ2〜チェと南蛮屋 へ続く

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冒頭引用《ジャズ喫茶《チェ》という店の名はチェ・ゲバラからとった店名か、と誰もが思う。だが、本当はジャズ・トランペット奏者のチェット・ベイカーを縮めたネーミングだった。》

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第2章 ソロ1〜ジャズ喫茶と古本屋
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