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第4回)京都アニメーション作品の紹介〜土居豊の既出文章を無料公開 #prayforkyouani


(第4回)京都アニメーション作品の紹介〜土居豊の既出文章を無料公開中
#prayforkyouani


京アニ放火事件について、及ばずながら過去に京アニ作品について書いた文章を無料公開します。報道でそのアニメ作品の魅力が伝えられていますが、拙筆で少しでも京アニ作品を視聴したくなる方が増えることを願って。(逆もあるかもしれないですが)

※過去記事へのリンク

第3回は、
⒌ 映画『けいおん!』評

⒍ アニメ「けいおん!」聖地で軽音甲子園、とのこと

⒎ 「けいおん!!紬ゆかりのフィンランドとロンドン5日間」だって?

の3本です。


https://note.mu/doiyutaka/n/n72d653084359


第2回は、


⒊ 「涼宮ハルヒ」の聖地・珈琲屋ドリームに、台湾からツアーが!『涼宮ハルヒ』聖地巡礼ツアー from 台湾


⒋ 土居豊 著『沿線文学の聖地巡礼 川端康成から涼宮ハルヒまで』より、「涼宮ハルヒ」シリーズの聖地について
です。

https://note.mu/doiyutaka/n/ne36cb44fed41


第1回は、
⒈ 映画『涼宮ハルヒの消失』について
(土居豊『ハルキとハルヒ』より引用)


⒉ 「ハルキとハルヒ」刊行イベントでの、珈琲屋ドリームのマスターとの思い出
の2本です。

https://note.mu/doiyutaka/n/ndd22a826dea3#FiXO8


さて、第4回は、


⒏ そごう神戸店で開催「第2回飛騨高山展」&アニメ『氷菓』コラボレーション

⒐ 『たまこまーけっと』と『うる星やつら』

10.アニメ『たまこまーけっと』は良くも悪くも日本の若者の限界を露呈している?


です。


⒏ そごう神戸店で開催「第2回飛騨高山展」&アニメ『氷菓』コラボレーション

(2013年のブログ記事再録)


※『氷菓』公式HP
http://www.kotenbu.com

※米澤穂信「古典部」シリーズ
http://www.kadokawa.co.jp/sp/201202-04/

神戸・三宮に用事で出たついでに、そごう神戸店で開催中の「第2回飛騨高山展」に寄りました。
この物産展、アニメ『氷菓』とのコラボレーションがあるので、「わたし、気になります!」
『高山に行かなくては入手できない「氷菓」×「飛騨高山」グッズの一部を出張販売!』なのだそうです。


また、
『「チタンダエル」の一位一刀彫レリーフも展示』
されてました。


アニメ『氷菓』は、『涼宮ハルヒ』以後の京都アニメーション作品の中でも、高校生の青春物語として出色の仕上がりだったと思います。
その舞台背景である高山市が、アニメ作品とコラボして、聖地巡礼を地域振興に大いに活用している好例となっています。
その成功の秘訣は、おそらく、アニメの舞台の背景というだけでなく、原作者の土地へのこだわりが、作品の随所に描かれている点にあると思います。
この土地でなければ生まれなかった物語、という必然性が、アニメに描かれた風景の美しさと相まって、聖地巡礼するに値する魅力を生じたのだと考えるのです。
原作も、もちろん面白い青春ミステリーですが、京アニによるアニメ化は、キャラクターの魅力で、作品を更にグレードアップしたといえましょう。
興味深いことに、原作のカバーデザインについて、アニメ化後のアニメ絵のカバーデザインをみると、アニメ化以前のデザインとの差が圧倒的だということです。アニメ絵の持つ魅力は原作のイメージを大いに高めて、小説をいわばリマスターしてしまうぐらいの効果を発揮する、と考えています。
同じく原作がすぐれた青春ミステリーである綾辻行人『Another』も、アニメ化されたあと、『氷菓』と同じくアニメ絵のデザインでさらにリマスターされたように思えます。

※公式HP
http://www.mxtv.co.jp/another/

これらの作品の原作とアニメ化の関係を考えることは、小説とアニメの今後の進化の可能性を示唆していると思うのです。
ともあれ、なかなか高山まで行けない人にとって、『氷菓』の世界を体感できる貴重な機会だと思います。

※そごう神戸店「第2回飛騨高山展」
http://www.kotenbu.com/news/131018HTbussanten2.html

http://www.city.takayama.lg.jp/shoukou/takayamaten.html

開催期間:2013年10月23日(水)~10月29日(火) 7日間

氷菓まんじゅう『限りなく積まれた例の饅頭』 20個入り 740円(税込)

アニメ『氷菓』第十二話「限りなく積まれた例のあれ」
http://www.kotenbu.com/story/story12.html

をもじって作られたのだそうです。




⒐ 『たまこまーけっと』と『うる星やつら』

(2013年のブログ記事再録)


※公式サイト
http://tamakomarket.com

以下は、アニメ『たまこまーけっと』初回放映を観た直後の、印象批評である。
『たまこまーけっと』の愚は、しゃべる鳥というファンタジックなキャラを、主人公だけでなく、町の人々みんなに、認識させた点にある。
そうすると、その町、その世界は、鳥がしゃべる世界、になってしまう。その瞬間、その作品世界のリアリティは、本当の世界のものではなく、ファンタジックな世界に変わる。
もちろん、アニメやマンガで、ファンタジックな世界を描くことは多い。
例えていえば、『うる星やつら』の友引町、である。
しかし、『たまこまーけっと』の作品世界は、同時に、実在の京都の商店街をロケ地にしている。
その風景を克明に描き込むことで、作品世界のリアリティを補完しようとする狙いがほのみえる。
アニメの背景を、実在の風景にして、作品のリアリティを高める手法は、京都アニメーションの得意とする手法だ。
しかし、今回は、間違ったと思う。
例えば、『けいおん!』だが、あの世界は、架空の町だとはいえ、現実の世界のリアリティを、克明な風景描写で実現している。
同じく、『涼宮ハルヒ』も、架空の世界であり、SF的な世界改変という設定だが、その風景描写のリアルさが、SF設定のリアリティを見事に補完している。
だが、『たまこまーけっと』のリアリティは、最初から崩壊していて、その町は、鳥がしゃべり、その怪物的な鳥を、住民がみな、そのまま受け入れるという町だ。
そういう町は、ファンタジーの中にしか存在しない、ということは、観る人はだれでもわかって観ている。
だとすると、町の描写が、実在の商店街である必要は、なくなってしまう。
むしろ、実在の風景と、ファンタジックな設定との乖離が生じて、その風景は、まるでとってつけたようにしかみえなくなってしまう。
同じ京アニ作品でも、『氷菓』の場合は、高山のリアルな風景描写が、青春ミステリーを原作とする作品のリアリティを見事に補完していた。
『中二病でも恋がしたい!』の場合も、滋賀県のリアルな風景描写が、中二病的世界観へのアンチテーゼとして、確固たる存在感をしめしていた。
おそらく、『たまこまーけっと』の作品作りには、そもそもの初めから矛盾がある。
ファンタジックな作品世界と、リアリスティックな絵作りの矛盾だ。
しゃべる鳥を主役にもってくるなら、絵柄は、むしろ、ファンタジックにした方が首尾一貫すると思う。
もっとも、リアルな絵柄の風景の中で、ファンタジックな物語を展開するのは、ジブリの十八番だ。
京アニは、今回、ジブリ作品を意識したのだろうか?
だが、そのためには、物語の根底に、よほどしっかりした神話的背景がなければ、物語の強度が不足して、ストーリーを語る必然性が失われる。
『たまこまーけっと』を語る必然性とは、何だろう?
しゃべる鳥と、素朴な美少女と、気のいい商店街の人々、それらの間に、どんな物語の必然があるだろう?
最後まで観て、結論に納得がいくことを期待したい。



10.アニメ『たまこまーけっと』は良くも悪くも日本の若者の限界を露呈している?

(2013年のブログ記事再録)


アニメ『たまこまーけっと』は、良くも悪くも、日本の若者の限界を露呈してしまっているといえましょう。
最終回で、なぜ、たまこは、王子とともに世界へ旅立たなかったのでしょうか?
故郷を離れて、「ゆきて帰りし旅」へ出ることこそ、古今東西、ファンタジーの常道、定型であるのに。
『たまこまーけっと』は、明らかにファンタジー作品として構想されているはずなのに、その物語は、自ら閉じてしまっています。
せっかく、「南国の王子」とその使い魔的?聖なる?鳥を、ヒロインに対する主要キャラとして配していながら、それらの「異世界」要素は、十分生かされません。
その物語は、あくまでも日本の、故郷の狭い路地に限定されているからです。
その路地にしがみついて、「家」制度の中で、封建的な、前近代的な生を生きることをヒロインに選択させるのが、この物語の結末でした。
この物語は、はたして、今の10代、20代の視聴者の幅広い支持を得たのでしょうか?
もし、この物語が、若者に熱烈に支持されているとしたら、日本の若い世代は、いまやどうしようもなく、ドメスティックな生に自らを縛り付け、完全な井の中の蛙的人生に満足を見出だそうとしている、ということになってしまうのではないか、と思うのです。
そういう作品が、「クールジャパン」などと自称?しながらいくら海外の購買者にPRしても、おそらくは好奇の目で見られて終わるでしょう。
日本の狭い路地にしがみついて生きる若者の私小説的物語を、どれほどの海外の視聴者が支持してくれるだろうか?と、疑問に思うのです。
同時に、せっかくの世界最先端のアニメ技術が、ドメスティックなテーマと物語に傾注させられ、作品としての広がりを欠いたまま、テレビ視聴者の需要を満たすだけで消費されていくことを、惜しむのです。


次回は、『響け!ユーフォニアム』についての記事です。


土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/