第五開『酒』 飴町ゆゆき

諸君。酒とは、ある種の情報端末である。

そんな目で見るな。わたしはまだ酔ってはいない。

諸君は酒は好きか? わたしは酒が好きだ。また酒もわたしが好きだ。相酒相愛の仲なのだ。切って切られぬビールと唐揚げ、焼酎と塩の組み合わせ。豆腐に醤油を垂らすがごとく、至極確信的でつるりとした全き間柄であるのがわたしと酒だ。ワインにはチーズがよかろう、生ハムもじゃんじゃんと持ってくるがよい。原木でだ!フォークにからめとられたラザーニャが口で踊るのだ。ぐーびりと赤をあおれば、そら次には白の泡が来るであろう。まことに重畳。じゃがいもはこうでなくてはなァ。水餃子と小籠包は決まって紹興酒だ。何年物か知ったことではないが、甕から汲んで出してくれるだけでも気分がいいからな。ウイスキーはロックもいいが、あれはバーテンの氷が見事だからだ。家ではストレートで口の中いっぱいに燻香を広げてやりたい。鼻と舌の根がじんじんとしびれて血管に鞭を打つ。世界で一番ぜいたくな人間になれる魔法がここにある。そのころには冷凍庫のウォッカがとろみを増していい具合に喉を溶かすのだから、わたしと酒にはここが壇之浦だ! そうして転げ落ちていく先は泥沼ずぶずぶズブロッカ。これはまだ飲んだことがないんだよな。でも締めのお茶漬けには、しぐれ煮のしょうががとても優しいんだ。しかしうまいな~この迎え酒。寝てもいいならもう一合だ。

先輩にもらった酒を飲む。桃酒。

酒は我々の日々の中にある。生活の中にある。何も特別なものではない。君にはストロングゼロがある。わたしにもいいちこがある。それでいい。しかしそんな中でときたま、思い出に残る酒というのがある。あの酒は美味しかった。あの席は楽しかった。泣いた、笑った、怒らせた。最後まで話しかけれなかった。いろんな酒が人生には現れて、そうして二度とやってはこない。わたしたちはそんなことを思いもせずに日々を過ごしているが、ひとたび酒を飲むと、そのことを思い出して泣いてしまったりするのだ。いったいどうしたことなのか。なんでそんな大事なことを忘れてしまったみたいな顔で、毎日を過ごしていられたんだろうか。忘れちゃいけないことを忘れてしまうのは悲しいことだ。あんなに楽しかったのに。あんなに苦しかったのに。それらはわたしの歴史そのものなのに。どうして忘れてしまうのか。わたしは不思議で仕方がない。

コンビニで買った麦を湯で割る。

しかしわたしが忘れたくないのに忘れてしまっているのはどうにもおかしい。そうして酒を飲んだ時だけ甦る記憶という存在はどうも怪しい。人間は意志の生き物だ。意志がなにものにも優先される。故に忘れようとしない人間が忘れてしまうというのは理にかなわないのである。するとわたしは本当に忘れているのだろうか? でなければこれは酒の方にこそ仕掛けがあるに違いがないのだ。ここでそこそこ合点の行く仮説が浮上した。わたしたちは忘れているのではない。そもそもわたしたちは、自ら記憶していないのだ。ではその記憶はどこにあり、どこからきたものなのか?

アカシックレコードという概念がある。オカルティズムにおいて、世界中のあらゆる事象が記録されている光体のようなものとして語られる存在である。ユングの言う集合的無意識とも同一視されることがある。世界のすべての情報の集積体であるから、『ハルヒ』でいうところの情報統合思念体、あるいはそれは、無限に書架と蔵書が増え続ける超巨大な図書館ともいえるかもしれない。現実にあるものではないが、第六感のようなもので感じることができる人もいるのだという。俗にいう霊能者や神秘学者たちはそうしてこの存在を捉え、あるいは夢想し、たしかにあるものと考えてきた。

ところで酒にはいろんな効能があるが、その一つがトランスである。古今東西、酒は神聖なものとして扱われてきた。ときに供物として、ときに儀式の準備として用いられ、人なるものと神なるものとの距離を縮め、あるいは神そのものを人の身におろすことさえ可能にした。こうしたいわゆる神がかりやトランスというのは普段の自分とは全く違う存在や意識が自分の体に現出することを指すが、現代においても似たようなことはたびたび起こる。酒は人を変えてしまうというが、大なり小なりあれらもトランスだ。神がかったのだ。まき散らした吐瀉物は固形のエクトプラズムだ。神が変なところから出てしまっただけなのだ。こうしてわたしたちは日々小さなトランスを起こしてはいつもと違う自分をその身に宿している。わたしはある種の無神論者なので、神などおりるものかと思っているのだが、それでも神はおりてくる。ただしそれはわけのわからぬどこかからではなく、その人の内側からだ。その人が秘め隠している、その人も知らないような自分の感情や可能性や記憶こそが、様々な場合におけるいわゆる神なのだろうとわたしは思う。

すべてを記録するアカシックレコードが集合的無意識であるならば、それらは我々の外にあるではなく、中にあるはずのものだ。前述の例になぞらえて、このとてつもなく巨大な図書館には、それぞれの人間を司る書架があるとしよう。わたしたちは酒を飲むとき、無意識の中でその書架を前にして閲覧席に腰かける。ここでは外で起こったことはもちろんながら、館内で起こったことも記録されて書架にしまわれていく。だから酒を飲んでいるときのわたしたちの出来事を感じているのは、わたしたちに他ならないのだけれど、それを記憶しているのはわたしたちではなくって、それは記録として書架に配されていくばかりなのだ。トランスから解き放たれた我々はその記録に触れることはできない。だけど酒を飲めばまたここに来られる。あのときの本を開いて、わたしはすこし涙する。もう何回も開いて背もぼろぼろになってしまった。とても重い思いには持ち出し禁止の票が貼ってあって、それでも後生大事にわたしはそのページを退館のぎりぎりまでめくっている。酒を飲めばまたここに来られる。飲めばまた、君に会える。

吟醸酒のワンカップを、すこしだけ大事に飲む。

図書館を歩くにもうまい人と下手な人がいるものだ。美味しい記録ばかりを探し出せる人と、いつも難しい記録をひっぱりだしてうなってしまって嫌になる人もいる。わたしはどちらかといえば後者だ。本当はあの表紙の綺麗な本を手に取りたいのだけれど、だいたいいつも手前で真っ黒い表紙を握ってしまう。何度も何度も手にしたその本にはページにくせがついていて、なんとなく開くだけなのに、いつも決まって同じページにたどりつく。べったりと一面に塗られた後悔。恥のアーカイブス。あのとき踏み出せなかった一歩。つかめなかった手。助けられなかった生。叩きつけられる嫌悪。自分にはなんの価値もなく、誰からも求められず、言葉は人の心に禍し、歩いた跡は枯れ果てる。なにも手にすることはなく、一切がわたしの手から離れていく。そんなことが書いてある。とてもつらいのに、何度も何度も、その本を開いてしまう自分がいる。そんな本が誰にでもあるのだろうか? 今まで考えてもみなかった。世人は黒い本を持つだろうか? わたしにはある。廃棄してしまいたい、持ち出し禁止の黒い本が。でもそれは捨ててはならないものだ。なくてはならないものだ。今読みたくないから捨てるというのは違う。図書館の本は、そこにあることが大事なのだ。これは隅っこでもいいから、わたしが書架に置いておかなくてはならないものなのだ。

だからわたしに必要なのは記憶の蔵書を捨てることではなく、すこし怒ったような顔でわたしの黒い本をとりあげて、明るい表紙の、にぎやかな本を笑顔で薦めてくれる、ちょっとおせっかいで憎めない、優秀な司書に書架の鍵をわたしておくことだろう。この場合、それは酒を飲むにあたり隣にいてほしい相手ということになる。ああ、そうだよな、そうだった。お前がいたな。君がいたよ。へっへっ。そんな風にグラスをちんと鳴らして赤ら顔をさらけてしまえる、そんな相手が必要だ。わたしは友達の多い方ではないのだが、さいわいそうした司書となるべき人々には恵まれたように思う。もっとうれしいことに、大人になってからもそういう人が少し増えた。これは本当にうれしいことなのだ。もし先ほどのように黒い本を誰しもが持っているのならば、わたしも誰かの司書であれたらうれしい。彼ら彼女らの司書であれたらなおうれしい。それ見よ、酒を飲むのはうれしいことなのだ。酒はうれしく飲むのがよい。うれしい酒を飲むのがよい。嫌なことは忘れられない、大事にしまっておくしかない。酒を飲んでは見ざるを得ない。それでもそれでも、わたしたちの書架には、暗い表紙の本ばかりではない。なんならそこには司書がいて、司書も実は向かいに座っていたりする。司書の棚も見せてもらうといい。その隅にも、それはあるのかもしれないが、いやいや、もっと目を惹く、すてきな装丁の、わくわくするようなタイトルの本がきっと並んでいるはずだ。

やがて出ていく時間になっても、わたしたちはそのときのことは忘れない。うれしいことは、みんな酒が覚えている。

カウンターで、まだ飲んだことのない酒を頼む。そっちはどんなの? ああ、いいね。次頼もうかな。

酒は情報端末だ。わたしを書架へアクセスさせる。そうして棚の向こうに、きみが見えてくる。目が合って、少しはにかむ。そうした酒をわたしは好む。書架の合鍵は安くはないが、幾らか配る用意はできている。わたしの鍵束にも、まだ少し空きがある。いつかまだ見ぬ誰かのすてきな本を見ることが、これからどれだけあるだろう。なんたって、酒はうれしく飲むのがよいのだ。

諸君は、酒は好きか?

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同人三散花

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