公開処刑

夢とか目標みたいな物は、例えば20歳とか27歳とか35歳とか40歳とか、人生の途中に点としてぼんやり置いておくものだと思う。
最初はただの星のように遠くで輝いているのだが、近づくほどに鮮明に形が見えてくる。鏡に写った自分との乖離を鑑みて、これを「達成」とするのか「挫折」とするのかを決め、人は通り過ぎた点の数だけ大人になる。

僕は高校卒業時点から精神的な成長をほとんどしていないのだが、これは点を置くことをやめてしまったからだ。強いて言うなら3年前に作った総額650万近い借金の返済日が4年後に鈍く光っているが、残念ながら通り過ぎる頃にはそこに何も無いのが理想系である。挫折も達成も無く、ゴミが残っているかどうかでしかない。
能動的に点を置かない人間に平等に見える星は死ぬ瞬間のみで、せめてそこには禍根や心残りが無いようにと考え始めてしまう。

今年、久しぶりに分家の親戚の集まりに顔を出したのは、僕にとって「死に際に歩けない場所とか会えない相手がいるのは嫌だなあ」という気持ちがあったからだ。この先てんで成長しないであろう自分の未来を想像した時、どれだけ経っても後ろめたさを無視できるほど自分の面の皮が厚くならないのはわかっている。本家の実家を追い出され、すでに修復不能なバツがついてしまっているので、やるべき事はバツの数をこれ以上増やさないことだ。
血縁と疎遠になる事は、若い時はただの自由でも、老いていくほどに避けられない出来事が増えていく。歳をとって関わりを拒絶するほどツッパり続けるのは、むしろエネルギーが必要になってくるだろう。

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