最近の記事

ハッピーアワー

濱口竜介監督の映画ハッピーアワーを観た。 5時間を超える作品で、言葉は悪いがあらすじもいまいちパッとしないし、途中で飽きてしまうのではないかという心配は杞憂で、緩急のついた脚本でずっと前のめりで観れた上に、この映画を観てから今日まで1週間近く考え続けてしまうくらい人生についての示唆に富んでいて素晴らしかった。 作中では、登場人物たちの言葉に対する主張が繰り広げられるのだが、作中語られる登場人物たちの主張は自分がこれまでの人生で感じてきた意思疎通するうえでのやるせなさを解消す

    • 寂しさでいらいらしない

      前回noteを更新してから1年以上が経っていた。このnoteは超個人的なはてなブログに書き留めたことのなかからもっと考えて文章にしたいことを載せているのですが、相も変わらず恋愛について考えていたら止まらなくなったところで久しぶりにここの存在を思い出し、書き出している所存です。 最近は、恋愛と呼ぶにはあまりにも拙い、変な夢みたいな関係を繰り返している。わたしがそういう一対一の関係をもつ相手は生活圏外の人に限られるので本当に日常と切り離された夢みたいだ。 誰かとの一対一の関係

      • この世界の片隅に

        穏やかな生活を願っているけれどそれは毎日が平坦であることや感情の起伏を抑えることとは違って、わたしはやっぱり、波風のない空気は吸いたくない。 理不尽な大きなものの暴力をうけずに、感情のままに動くことが愛嬌の範囲として許される生活がわたしの求める幸せだと気づく。 何度も言うけど、昨日映画館で観たこの世界の(さらにいくつもの)片隅にが素晴らしかった。 主人公のすずさんが途中までそうであったようにぼーっと生きることの素晴らしさは確かにある、だけどそれは永遠に平和が保障された世

        • 我慢弱い

          大学で動物行動学という授業をうけているんだけど、 その中で衝動的な行動と理性について学んだ。 最近も思うけど私は本当に衝動的というか、 情けないくらい理性を欠いてしまうことが多くて恥ずかしい。 それ故の失敗も数えきれないほどあるし、そのうちのいくつかによる悩みは現在進行形だ。 もうどんなに頑張って我慢しようとしても、 相手の好き嫌いに関係なく、 違和感を感じたことを口に出してしまう。 でも友達とか初対面の人に無礼なことを言ったりすることはなくて(と自分では思っていて)、

        ハッピーアワー

          納得すること

          小さいころから、生意気な子供だったと思う。 今でもお金を頂いている相手以外に媚を売ることは絶対にしない、と心に決めている。(お金をもらっている相手に対して媚びを売るという表現は失礼かな 我慢する 主張しないというのが正しいかも 自分のお客さん、というわけでもないのでね) 小学生の頃、私と姉の両方の担任をしたことのある先生に「お姉さんはこういうときこうしてたんだけどね」と言われた。嫌味のある言い方ではなく単に私との差異を指摘しただけだったのだけど、私は生意気にも「私は姉とは違う

          納得すること

          let's rock the boat

          rock the boat、荒波を進む、波風をたてるという意味 わたしの人生はまさにそんなものだと最近思う。 今日は朝から事故を起こしてしまった。 バイトの帰り道、左からくる車に一時停止から左折しようとした私がぶつかる。 停止はしっかりしていたし、確認もしていたし、正直そのときのことはあまり覚えていないけど完全に私の過失だ。 相手は小型バスの運転手さんで、バスの中に人がいなかったので寒い(−20℃!)から中にいていいよーと中に入れてくれた。仕事に支障がでて焦っていただろうに

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          思想の由来と責任

          常々考えていることに、わたしの思想はどこからわたしの責任なのか、ということがある。 例えばわたしが、誰かが、不謹慎なことを考えたとして、それを発言したとしたら非難されて当然(発言した人の浅はかさ)なのだけど、思うことそれ自体を否定されるのは、どうなのか。育った環境だとかそういう問題ではなくて、なんとなくふと思うこと、その由来の責任は、原因はあるのか。 わたしは感情全肯定派なので自分が受け入れられないという理由でその人の考えの浅さ、人の思想を非難することはなるべくなら避けたい

          思想の由来と責任

          あけまして

          あけましておめでとうございます。 ずっとnoteの調子が悪くて、随分前にやっていたはてなブログに綴る日々でした。 2019年は12月に2年2ヶ月くらい付き合っていた人とお別れして、入れ替わるように新しい居場所や出会いができた 転 の年だった 入学や卒業とかの転機がなければなかなか新しい場所での自分を創ることはしなくなる、 もちろん居心地いい同じメンバーの中で留まることも楽しいしそういう関係は大事にしたいけれど、 私はまだ自分を定めることはしたくない。 創り上げられた虚構が

          あけまして

          さいきん

          わたしのことをよく知らない人に好いていてもらうの泣きそうになるくらい嬉しい わたしの提示するアイデンティティでなくて、わたしの考えの深いところにある、話し方や振る舞いを感じとってくれるのが。 ずっとわたしは趣味の合う人と一緒にいないと楽しくないのかなと思ってたけど、そんなことないってわかって嬉しい 背伸びしない自分を肯定してもらっている気がして、これからの人生にわくわくできるのが。 人間ってほんとはみんな一緒だよ、誰でもよくて、用意された関係性にはまっていけば、誰とでもそ

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          どうでもいいこと

          わたしは難しいことを言ってみたりして本当は頭が悪くて低俗な人間で、 行動は専ら本能的 それを取り繕うように今日も難しい本を読む 人の噂話についてあれこれいうのやめようと思った 悪いことについて何を言っても言い訳にしか聞こえないのは当然だけど、 そういうときに色々考えたことが真理なんじゃないかって思っちゃう でもこれはきっと不謹慎なことだから自分だけの言葉にしてわたしだけの日記に書く。

          どうでもいいこと

          下書きを保存して寝落ちした

          今日はすごい久しぶりに授業がない日だった。 朝5時からバイトに行って、行きと帰りの車ではこの間ライブを観に行ったクロマニヨンズを聴く。生まれてはじめてヒロトとマーシーを目にすると、これが尊いってことかって、良い意味で浮世離れしたような、もちろん程遠いけれどこんな風に年を重ねられたらなんて素敵だろうと思った。 お昼から後輩のサックスのミニコンサートを聴きに行く。演奏はすごくよかったけど、サックスを聴くとわたしの青春には欠かせない別の人が頭の中を埋め尽くす。これが音楽の怖いと

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          初雪

          初雪が降った。 わたしが住んでいるのは冬の最低気温がマイナス20度以下になる場所で、ぼんやりとマイナスの温度のほうを、「マイナス」をつけずに呼ぶようになる。 3年前にこの場所に来た時には、 11月でもいちばん暖かいコートを着てたっけ。 いまは3番手の上着を着てて、人間の順応力ってすごいなって思ったりした。 カウンターの前のお客さん、 今日はひとりのお客さんがさんにん、 ふたりのお客さんがふたくみ。 ひとりのお客さん、2回目で、わたしの顔ちょっと覚えててくれたみたいなのに

          アンチ思いやり!

          前回の記事とまたつながる部分がある。あれ以来派生していろいろなことを考える。 わたしはどうも無意識な洗脳というものを極度に恐れているらしい。無意識な洗脳はもちろんわたしにもあるけれど、言い換えるとそれは常識だということで、ほとんどの場合事実に基づき、倫理的な思想であることが多い。共通した倫理観の一部は綺麗事だと言われるが、わたしが気になるのはそれを指摘して現実を主張することともまた違う。(だって理想論と現実がちがうのはあたりまえだし。) 例えば「あなたのためを思って」と

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          考えてもしかたのないことを考えることをやめられない人へ

          世の中には考えた方が良い(考えることによって現実的に未来が変わる)ことと考えても仕方のないことのふたつがあると思う。 考えながら生きる人にとって最も効率的なのは前者のみ、例えば仕事のこととか人間関係のこととか晩ごはんのおかずとかを選択的に考えることだと思っているけれど、わたしは前者について考えることを放棄して後者のことばかり(たとえそれを考えることでどんどん暗くてやるせない気持ちになったとしても)考えてしまうのでタチが悪い。 あまり誰かとのことについてインターネットにかくの

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          教養について

          さっき(昨日)少しだけ教養について考えていたら楽しくなってきたから文章にした。 さっきも書いたようにわたしの思う「教養」は中島らもの『今夜全てのバーで』にでてくる「教養っていうのは1人で時間をつぶせることだよ」という一言にもろに影響をうけそのままこの意味で定義付けている。 一般的に教養というとそれこそ一般教養とか、一般常識だとかあるいはそれなりに深い知識という意味で使われることが多いと思う。こういう広く使われる定義に対して自分なりの解釈を対抗させることの意味は置いておいて、

          教養について

          みんな違ってみんなすごい

          だんだんと歳をとって就職とか結婚とか将来のことを少しずつ考えるようになればなるほど、 親とか先生とかバイト先のママとか周りにいる大人たち(ここでは便宜上自分より年上のひとを大人とよぶ)、みんなすごい…ってなる。 もちろんわたしがいる環境が恵まれているからかもしれないけど、 生計を立てて、生活をして、周りの人に憧れられるようなところがひとつやふたつやそれ以上にあって、 子供はいたりいなかったり恋愛はしたりしなかったりするけれど、 たぶん周りの人を大切にするということがだんだん

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