あるYouTubeチャンネルと文芸評論家とその評論について

先日ある動画を一本挙げた。チャンネル桜というYouTubeチャンネルの動画を無断拝借した訳なのだが、ここでどういう趣旨のチャンネルか、彼らの言葉を借りて簡単に説明すると、《日本文化チャンネル桜は、日本の伝統文化の復興と保持を目指し 日本人本来の「心」を取り戻すべく設立された日本最初の歴史文化衛星放送局》だそうである。いかついと思うかもしれないが、慣れると知的で面白いのでオススメしたいと思う。
沢山識者が出てくるので一概にこの人とは言えないが、先日の動画にも出て来た水島総氏をまずもってオススメする。チャンネル桜社長兼映画監督兼運動家兼思想家兼…と色々忙しい人なのだが、創設者なので外せないだろう。
ここで今日の本題となるのだが、もう一人興味を持って見ている人がいるのだ。それは浜崎洋介さんという文芸評論家だ。彼氏の意見は色々と刺激になる。なんだかよく分からない位に難しいのだが、今週は《「孤立」が導く依存症-思考停止のメカニズム 》というタイトルで語っでいた。どうだ難しいだろう。僕の印象論になってしまうのだが、要は、社会や時代が一人一人に孤立を強いてきた結果、孤独になった個人は互いに依存するようになってしまったという話である。フロムの「愛するということ」も引用していた。フロムは読んだ事がないのだが、要は正しく愛せば孤立は解消されるという事だろうか?なるほどそれはそうかもしれない。吟味する前にまずは、最近の鬱病増加の社会問題を果敢にも批評の力によって解剖しようという浜崎さんの勇気と意欲に僕は称賛を送りたいと思う。中々こういう複雑な問題を論じてやろうというスケールの大きな人は現在居ないのだ。ただ僕の意見はこうだ。仮に本当に孤立した結果鬱になるのだとしたら、孤立したとされる自分自身が本当に孤立しているのかと正しく認識するところから始めて、最終的には自分の中で克服していくしかない。克服と言ったってただ耐えるだけなのだが。本来、社会や時代を原因に持ち出すべきではないし、というのもこれらは自力でどうにもならない対象と認識され得る上、解決を自身の心の中に見つけるべきだと自分は思うのだが。孤立と判定するのは自分の心なのだ。先日「飢餓・孤独のすすめ」という日記を書いた。僕からすると、愛することは孤立を紛らわす為の一種の麻薬である。まあ、浜崎さんもそれくらい当然分かってて言っているのだろうが。麻薬は解毒されて治すのが筋であろう。ただ麻薬患者は正常に治らない可能性もある。つまり鬱で自殺してしまうケースだ。外野がやるべき事は、自殺しないように監視する事ではないか。僕は反対だが敢えて社会を分析するやり方を取るのであれば、孤立に対し過剰に嫌悪する風潮が問題であろうと僕は見る。風潮が本来何でもないところに孤立を意識させ、生じた不快感によって勝手に病気に罹ったと思い込んでいるのではないか。つまり、病気とされている価値観を再検証したらどうだろう。社会ではなく世間の風潮なら批判する価値も多少あろうかと思った次第である。
あれはこうなってああなるから次はこうなって最後はああなるのだという具合の連鎖反応的評論方法もちょっとどうなんだろうと正直思う。この場合評論対象は本来もっと複雑であって、ビーカーの中の多彩な物質から起きた化学反応は容易に順序立てて説明出来ない筈である。
日記を書くにあたって、小林秀雄評論集「考えるヒント」の中の《プラトンの「国家」》を多少参考にした。


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