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学校の思考、その根源は

新年明けましておめでとうございます。新年最初のnoteは、「学校の考え方はどこから」についてです。デジタル化が進まない、改革も進まない、結果古くなる。こんな気持ち面での悪循環について考えます。

学校の思考法

まず、第一に学校の思考法についてです。僕が考えるに、学校はこのような考え方や行動をしているのではないかと考えます。

1.現在の環境を維持したい
2.生徒は「子供」である
3.基本大人は必要最低限の勉強しかしない
4.ある程度「根性」が必要

あくまでも個人の考えです

学校の考えとしてこの四つがあるのではないかと考えます。では、一つずつ解説していきます。

1.現在の環境を維持したい

まずは、「現在の環境を維持したい」ということです。
これは、特に改革やデジタル化で顕著に現れると考えます。
仕事は、入り組んでいて考えなくてはいけない仕事よりも、シンプルで決まりきっている仕事の方が簡単です。人間は簡単な方に流されます。民間企業では改革したりしないと売り上げが上がらなかったりクビになったりしますが、行政機関では基本的にクビになることもなく、給料も税金等から出されているので、安定します。そのため、新しくしたり改革しなくても自己利益はあまり変わりません(デジタル化で楽になることはありますが)。そのため、環境を維持したくなり、民間企業に遅れをとってしまうのではないかと思います。

2.生徒は基本「子供」である

2つ目は、「生徒は基本子供」ということです。
文章からしたら当たり前ですが、この文章の本質は、教師が生徒に対してどのように思っているか、ということです。
小中学校には「児童会三役」(四役)という物がありますが、教師以上の権力はありません。ここがキーです。学校では、生徒も教師も「一人の人間」と捉えることが大切だと思います。学校の投票は教師も生徒も同じ一票。教師の考えに合理的な反対意見があるなら抵抗なく述べれる。そんな「教える立場では教師が上だが、意見としては同じ人間」というのが一番最適だと思います。もちろん、教師の指導は大切ですが、だからといって教師が上というのは少し違うのではないでしょうか。
教師からみても、常に圧力をかけ続けて萎縮している生徒の方が扱いやすいです。ですが、そのような古い体制は今すぐに止めるべきだと考えます。

3.基本大人は必要最低限の勉強しかしない

3つ目は、「基本大人は必要最低限の勉強しかしない」ということです。
まず最初に、教師の仕事量は多く、勉強に使える時間が少ないことを承知の上で話しています。
これは学校以外の行政機関でも当てはまることですが、「知らない」が多すぎる気がします。特にデジタル。その中には絶対的に知っていた方が楽な物まであります。
時間がないのは分かりますが、時間は作るものなので、一度学んだらそれによって業務時間が短くなり、その時間で学んだらまた短くなるという好循環を生み出すことが可能だと考えます。
「時間がない」には2種類あると思います。
1つ目は、本当にないこと。これは時間を作ることが必要です。
2つ目は、時間がないことを言い訳にしていること。これは学習を始める初期動力が必要です。
1番大切だと思うのは、「ずっと学び続けること」このことが解決への最短ルートではないでしょうか。

4.ある程度「根性」が必要

最後は「ある程度根性が必要」ということです。これは特にスポーツや受験などの難関で競うものに多いです。
昔では上の人に要求をすると「根性が足りない!」と拒否されることもあったと聞いています。
これは、どんなことでも精神論で解決することが間違っていると思います。
根性、我慢、精神を鍛える…などの理由から改革を拒否し続けると業務量が多いまま高止まりし、疲労が積み重なって教師を辞める人が増え、教師を志す人がいなくなるというとても悪い悪循環が発生します。
精神論より論理的、合理的、科学的な考えをした方がいいと思います。

ここまでで、僕が考える学校の考え方についてまとめました。続いて、これらの考え方はどこから来たのかについて考えます。

学校の歴史と考え方

日本の学校の歴史での転換点は、明治維新以降の近代教育、そして戦後の新しい教育の2種類に分けれます(個人の考えです)今の考えは、結論から言うと戦時中の名残昭和のスパルタ教育が残っていて、そこに現代の学校維新(学校に合理的な新たな考えを取り入れていくこと。自作の単語。)によって少しずつ変わっていっているような感じがします。教師が上、根性が必要、すべて戦時中と昭和の名残だと思います。これが完全に無くなるのは今の30代ぐらいの合理的な教育を受け始めた世代が現役になるぐらいではないでしょうか。戦時中の軍隊教育などで枠ができて、昭和のスパルタ教育によってそれが成熟する。この様にしてできた壁を打ち壊すことはできるのでしょうか。学校掃除、跳び箱、これらはすべて戦時中にできました。意外と戦時中の名残は残っているのです。

海外の学校では

今まで、日本の学校と教育について考えました。では、海外の学校はどうなのか、見てみましょう。

アメリカ

アメリカの学校の特徴は、なにより「個人主義」ということです。
一見、ほぼビュッフェのランチ、気軽に休める、飛び級などといった良い所が見えますが、これらは「個人主義」の上に成り立っています。
自由なランチは反面栄養が十分に取れなかったり偏ったり、気軽に休めても勉強が分からなくてもあまり保障しないなど、自由には責任があるということがよく分かるシステムです。日本は全員が同じレベルの学力を得るための教育をするのに対してアメリカでは頭の良い人はどんどん上へ上へと差がはっきりします。このような考え方に差があります。

中国

中国の学校について明確な情報を手にすることはできなかったものの、一部の情報にて説明します。
中国の学校は、昭和の日本の学校によく似ていると考えます。急速に人口と技術が増していく様子は、高度成長期の日本とよく似ています。ですが、1つだけ違うのはデジタルがあること。どうやら教師と生徒の保護者はチャットを使って会話をするのが日常化しており、その面では合理的と言えます。

フランス

最後はフランスです。
フランスはとにかく合理的な学校です。
フランスでは休みが3分割されており、分けてそれぞれ休むことで観光地に人が集合しすぎるのを防いでいます。
さらに、教科書がなく、ノートも書かずにプリントをノリで貼ります。
こうした合理性は民主主義発祥の国ならではとも言えます。

最後に

日本は、まだ古い姿勢から脱却できていません。これから進んで行くのでしょう、期待しています。学び続け、合理的に生きる。そんな社会が実現するのはいつになるのでしょうか。


気付いたら新年が始まっていました(笑)2024年も引き続き投稿していきますので、どうかよろしくお願いいたします。どこかの学生のnoteは、まだまだ続きます。

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