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差別される痛み=三つ子の魂百まで

子どもが幼い時は、安全のためやスキンシップで手を繋いだり寄り添って歩いたりするものだ。
私はそれを極力避けていた。
一人で子どもらと出かける時は仕方なかったが、家族で出かける時は夫に手繋ぎの役割を自然を装って担わせていた。
愛情がなかったわけではない。
逆に子どもらを思うが故のことでもあったのだ。
アルビノの私は外見から外国人と間違われ、道を歩けばクソガキどもから「ガイジーン」と大きい声で囃し立てられ、差別的な目をした大人からは指差されたりヒソヒソと好奇の目を向けられることが多かった。
母親が悪意のこもった視線を浴び、汚く囃し立てられることで、子どもらに嫌な思いをさせたくないからだった。同時に囃し立てられる惨めな自分を子どもらに見せたくなかった。

子どもらが長じて私の障害を理解できるようになっても、人混みの中を一緒に歩く時、条件反射のように私の心は子どもから距離をとっていた。
古希を過ぎた今も、正直その気持ちは抜けない。
と言うか、さらに強くなった感もある。一緒に出かけたくないと言う気持ちが強くなっている。
昔ほど差別的罵声も視線も受けることが少ないにも関わらず、一緒に外に出ようと思わなくなっている。
1人で出かけて圧倒的マジョリティの中に身を置くのも避けている。その癖?がついてしまって家の中で好きなことをしている方が心が安定している。

昔と違って、生まれた直後に障害や重篤な疾患があるからと言って淘汰されることはないし、現代は障害があっても、どんどん人の中に、マジョリティの中に入って行き能動的に行動する障害者も多い。
差別的言葉を浴びせられても、差別的に扱われても簡単にはめげない人も多い。
時代や社会変化の有り様などの影響は大きいなと思う。

さりとて、昔より表だった人種差別や障害者差別はマシになったように見えるものの、それでも島国根性と揶揄される国民性は、一部で、見えないところで蔓延っているのは否めないと思う。
誰しも障害や病気を持って生まれてきたい訳ではないし、誰しも望んで自分の子に迎えたい訳ではない。
生きている間に障害を負ったり重篤な病気になることもある。それは数時間後かもしれない。
そこに想いを馳せてほしいものだ。
マイノリティが人として命の尊厳や人権が真に尊重される社会は、マジョリティにとっても生きやすいに決まっている。そんな日本は訪れるだろうか。

私にとって三つ子の頃から差別受けているから“差別される痛み=三つ子の魂百まで”は大袈裟な表現ではない。
ま、百歳まで生きたいと望んではいないけどね。

※ 何時もながら、まとまりのない文章でかんにんです。


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