ネオリベ(?)について Bonbero vs. Benjazzy

私はネオリベが嫌いだ。Hip Hop(日本語ラップ)は左翼ではなく、ネオリベだという意見を目にしたことがある。では、私はなぜHip Hopが好きなのだろうか。

ネオリベが嫌いだと言いつつ、右派も左派もノンポリも(むしろノンポリこそ)ネオリベ的価値観を内面化している(ように思える)社会でサバイブするには、私も多少そこに迎合しなければならないだろう。自らのマイノリティ性を無視して経済活動をすることで、次世代が不利益を被るとしても。

このような私のポジションからして、いくつかのHip Hopのネオリベ的なリリックは救いである。私の個人的な人生の意味は、市場経済で成り上がることでも、恋愛市場で成り上がることでもなく、どれだけ広義の「大喜利」をできるかということだ。その観点でラッパー・Benjazzyの興味深いリリックを紹介する。

また我忘れて追う紙切れ/セレブのような暮らし/
よりスタジオこもり積み上げてくだけ/空まで積みあがる金/
また上がってくぜ上に/乗せてまた俺らの刻まれてくDNA/
無責任に誰かの運命すら狂わしてる/100億単位の夢/100億単位の夢

BAD HOP『No Melody』

『No Melody』のやや長いHookの中盤を、彼は資本主義的な成り上がり像から歌い出し、しかしそこに音楽へのストイックさを対置しスキルフルにspitしている。そして「無責任に誰かの運命すら狂わしてる」というリリックでBAD HOPの成功の功罪にも目配せしている。

『Kawasaki Drift』で「川崎区で有名になりたきゃ人殺すかラッパーになるかだ」というパンチラインでおなじみのエリアの近くでこのような事故(事件)も起きている。また、コロナ禍で失業し、詐欺の受け子になった若者の自己啓発的なメモに「人生週刊少年ジャンプ」というkZm『TEENAGE VIBE feat. Tohji』のリリックが引用されていたのも記憶に新しい。Benjazzyの歌詞には、このようなHip Hopのネオリベ性への葛藤が表れている。それは「100億単位の夢」と連呼する、ある種の「おかしみ」を伴って戯画化されている。これを私は「ネオリベ大喜利」と形容し、喰らっている。

東京ドームでライブができるようなBAD HOPからしたら100億円も遠くないのかもしれないが、私にその単位は無関係すぎて、なにかプロジェクトやプロダクトによってメイクマネーすることへの熱さだけを摂取でき、私と資本主義をなじませてくれる。ソロ活動のリリックで言うと、「South SideのFriendsと稼ぎ俺ら路上から夢見るTen Bilion」や「作られた枠の中塞ぎ込む/それか全部自分の手で掴みとる/明日の為に皆が暴れ/まるでWar」というものも好きだ。

ところで、MCバトル大会・FSL VOL.2のメインマッチでBenjazzyは若手ラッパー・Bonberoと対戦している。1st RoundにてBonberoは「俺のHoodなら千葉の八千代のB/ただのガキが金成る木になってるだろ」「誰もが気になる金成る木になる」とBenjazzyの息継ぎ無しのバースが有名なBAD HOP『2018』の「俺ら枯れない金の成る木」という子音踏みが見事な一節に触れつつ、『Bandit』の「誰もが気になる金成る木になる成り上がるビリギャル」をセルフサンプリングし、華麗にバースを運ぶ。後攻のBenjazzyは「Bonbero言ってやるよ/お前そんな感じの使い方のフローなら俺やってたの確か5年前/そうやってトレンドに通せんぼされてたらシーンに残れねえ5年後」と初バトルながらもMCバトルのセオリーに則った押韻の連打でアンサーする。このような世代間闘争とも言える興味深い試合があるので、ぜひチェックを。

Bonberoが参照した『2018』のリリック、その絶妙な韻律を支える「枯れない」という語は彼自身の曲にも存在する。「枯れない花ない咲かない花ある」とさながら平家物語冒頭のような無常観を含んだHookが有名な『Karenai』にこんなリリックがある。「代用が効く職が給料少ないのは普通じゃない?」とエッセンシャルワーカーを挑発するようにもとれる一節に、正直言って私は乗れない。Benjazzyの言葉を選ばなければ馬鹿っぽいネオリベ観と異なる、生々しい具体的な感じが受け付けない。断っておくと、私はBonberoを好きだし、『Karenai』も諳んじられる程度に聴いている。

しかし、乗れるものと乗れないものがあるなと思ったので、最近考えていたことと一緒に、記事にしてみました(唐突に終わる)。

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