「毒劇法は実在しない」2024年3月2日の日記

日記を再開します。

また、大学の同級生に「毒劇法って実在しないと思っていた」と言われた。私としても残念ですが、実在します。

ずっと「身体」と「感情」が嫌いだった。さながら「エヴァ」の人類補完計画のようにLCL(なにか液体)になりたい。「身体」が嫌いだから、強盗みたいにバラクラバを被ったりする。しかし、最近は「身体」や「感情」も悪くないなと思ったりもする。元来、身体“感覚”は嫌いじゃなかったしな。

私が「美術館女子」や「エコテロリスト」、または、モキュメンタリー・フェイクドキュメンタリーを支持するのは、そこに身体感覚を読み取れるからだ。均一化され、のっぺりとした、静的な批評でなく、ノイズが混じり、ブレている、動的な批評を構想している。エコテロリストやモキュメンタリーについて研究しつつ、それら自体の実践や制作もしたい。

最近に観た中だと、「武器人間」が面白かった。私はフランケンシュタインや富江や「ちいかわ」のキメラみたいなズタズタだったり、ツギハギの身体が好きで、武器人間の造形にも同じ魅力を感じた。片腕マシンガールとかも、そうかも。critical(批評的=危機的)な身体ですね。

本日は「境界カメラ」を観た。私は小学生の時分より2ちゃんねるのまとめサイトをウォッチしており、怖い話などのアーカイブも読み漁っていた。そこには「釣り宣言」というものがあって、「ドッキリ大成功」的な様式美なんだけど、それが逆にリアリティを助長することが稀にあった。それを思い出させる映画だった。

私は「ループもの」って批評自体だなと思うのだが、終盤のミステイクを含めた3テイク分の映像を流すシークエンスに似たものを感じ、創作の刺激をもらった。

楽天ポイントが5000円分くらいあったので、モキュメンタリーホラー小説を2冊買った。

批評って創作だし、創作って批評だし、なんでもいいけど怖いものをつくりたいバイブスです。

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