嫌われたくないという感情について

私は、嫌われたくないと思ったその瞬間から、人間関係は終わりを迎えるのだと思う。
嫌われたくない、という感情を持った途端に自分と相手とが対等でなくなってしまうと思うからだ。


他人と接する時、私はいつでも嫌われたくないと思ってしまう。
その感情は、きっと真っ直ぐなものではなく曲がった何かによるものだと考える。
自分の都合の悪い人間になってほしくない、好かれていたい、軽蔑されたくない、そんな思いから嫌われない事を願う。
言い方を変えると、媚びを売る。
私の場合、本当に仲良くなりたい人やあまり関わりたくない人にもそれが発動する。
嫌われたらどうしよう、愛されたい、一人になりたくない。
そんなことを考えているのだから、私も本気で相手を愛せないし、一緒にいることができない。自分の事だってそうだ。
見返りを求めている。
嫌われたくないことを理由にしてしまう私だが、時々考える。
そんな自分が一番誰も信用できていない。
この時点で終わっている


さて、相手と対等になるにはどうしたらいいのか。
「愛されたければ愛しなさい」「愛した分だけ愛される」そんなふうによく耳にする。
そんなことを信じられたら、私は嫌われたくないなんて思わないんだ。
もっと、鮮烈で具体的な結果が欲しい。
自分で自分を認めて生きていけるような。きっとそういうものの欠片を集めていくのが人生なのだと思う。
最後の1ピースは、死んでも見つからないような、無限に広がっていくパズル。はめれば、はめた分だけ、考えるべきものは増え、拡散していくのだろう。
16年間パズルに挑み続けたんだ、きっと、もっと広げられる。
ここで引き返すのは、自分を否定する行為なのだろうと、子供ながらに考える。


嫌われたくない感情は消えない。付き合っていくしか道は無いように思う。
いや、きっと活用していく以外に道はないんだろう。
活用できるような道を見つけた時、私のパズルはまた一つ大きくなる。