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★どこよりも詳細★ 第153回 芥川賞・直木賞 授賞式 選考委員・受賞者コメント全文

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高村薫

東山さん、直木賞ご受賞本当におめでとうございます。皆さますでにご存知の通り、選考委員全員が○を付けた満点のご受賞でございます。作品のジャンルも文体も好みも全部違う9人の選考委員が口を揃えて絶賛するというのは普通ありえないことですけれども、その奇跡のようなことがすんなり起こったのが受賞作の『流』でございました。もちろん選考委員によって絶賛した具体的な理由は少しずつ違っておりましたけれども、共通しておりましたのは、とにかく読んで楽しいということでございました。毎月、毎年、星の数ほどの小説が書かれ、出版されますけれども、心底読んでいて楽しい、わくわくしながら読める、あるいは小説が終わりに近づくのが惜しいという、そんな小説は決して多くはありません。私にとってもこの十年ほどの間で、『流』は文句なしのベストでございました。これは私自身の年齢のせいもありますけれども、興奮したりわくわくしたり耽溺したりするハードルは年々高くなってきまして、心から愉しめる小説にはなかなか出会えません。今回直木賞の候補作に挙がってこなければ、ひょっとしたら私の場合はそもそも『流』に出会ってさえいなかったかもしれません。言い換えれば、私が普段接している小説とはそれほどかけ離れた世界ではあるんですけれども、実際には数ページ読んだだけで完全にこの作品世界の虜になっておりました。たとえば70年代の台北の街の描写を読んだだけで、私は自分が選考委員であることを忘れてしまっておりました。私はビンロウの実というのを知りませんけれども、台北の街を走り回るタクシーの運転手が、ビンロウの実を噛みながら、その赤い汁を窓から吐き飛ばしていく、その喧騒は目に浮かんでまいりまして、私はすっかり小説に引きこまれていたのであります。行ったことのない台北の喧騒や匂いまでが伝わってくる。それこそ小説の力でございます。そして台北のその暮らしの風景のなかに鮮やかに17歳の主人公が立ち上がってきます。この17歳の主人公とその家族、その親戚から近所の人たちまで、登場人物たちの、とにかく日本人のものではない行動原理や価値観に、日本人としては時に唖然呆然としながら、いつの間にか昔からよく知っている風景のように馴染んでいるのでございます。この『流』の独特の言語空間の風景を作っているのは、もちろん中国語圏で生まれ育った作者の言語感覚だと思います。ゴキブリの襲来も少年同士の決闘も、ヤクザの出入りも、まるで香港映画の活劇のようではあるんですが、それが陳腐にならないのは、『流』の世界が中国語圏の身体感覚、生活感覚にしっかり密着しているからだと思います。そして何より17歳の少年を主人公に据えたことが『流』の成功を決定づけている最大のポイントだと思いました。『流』の世界では日中戦争や日本の植民地支配の影が深く射しておりますし、殺人も起こりますし、血と暴力は日常でもあるんですが、これが主人公が大人ですと、もっと複雑で血なまぐさい世界になったはずです。それが17歳の少年の目を通すことで、いい意味で大変軽く風通しが良くなっているのでございます。こうした視点の選び方に私は東山さんの小説家としての天性の才能を感じます。そして元気いっぱいの家族思いの普通の悩める17歳の少年は、すなわち作者の分身でもあるはずですけれども、ルネ・ジラールやジャック・ラカンのような人間でもある。このことが『流』をただの活劇ではない奥行きのある青春小説にしているのだということを最後に指摘させていただいて私の挨拶の言葉を終わらせていただきます。東山さん素晴らしい小説を本当にありがとうございました。そして最後にもう一度、直木賞おめでとうございます。

島田雅彦

このたび芥川賞のほうは、又吉さんと羽田さんという秘密兵器を世に送り出すことになりました。この二人は選考委員の皆さん、私を含めて強力なライバルになるにもかかわらず、この二人を世に送り出したこの自殺行為は大いに褒められるべきだと思いますが、もう十年前ほどでしょうか、ごく一部で、すでに日本近代文学はその役目が終わったというようなことが言われました。それにしては首相官邸前よりも報道陣が多いというこの自体をどう説明したらいいのか迷うところでありますが(笑)、しかし政治はまた先祖返りをしているような感じがありますし、歴史は終焉するどころかさらにまた繰り返されようとしているなかで、近代の文学の役割の終りというのも、これは撤回せざるを得なくなりそうな気配であります。そんななかでこの青春小説と言ってもいいと思いますが、ふたつの異質なこの登場というのは、今後の文学の行方をある程度占う上で非常に目安となる作品ではないかと考えておりますが、ちゃんと二人受賞しているということは今回はっきりと認識していただければと思います。羽田さんの方は「もう一人のほう」とか「白塗りのやつ」とかあんまりな言い方をされておりますけど(笑)、しっかりと二人を平等に読んでいただき報道していただければと思っておりますけれども、どちらも30代でこれからより優れた作品を書き継がれていかれるだろうと思っておりますけれども、どこか二人とも「青二才っぽさ」というものが好感を持てるところとして挙げられるかと思います。実際又吉さんはテレビにお笑い芸人として出演されている時も、なんで自分はこんなところにいるのだろうというような違和感を全身から漂わせておられますし、また羽田さんのほうは17歳でのフライング的なデビューからやや回り道を重ねて来られた挙句に、今回のような問題作を書かれたりして、その行動がいわば予想を裏切るようなかたちで展開していくであろうことをとても好ましく、また頼もしく思っております。小説家というのは、特にお山の大将になるようなタイプの人間は向いておらず、また長いものに巻かれるようなタイプの人間もまた不向きでありまして、近頃の流行りで言えば、王様は裸だと言う子どものほうに似ているところがあります。それを言う人間がしっかりと存在するということだけでも文学の存在価値というのはかろうじて残るというふうに考えております。そんな役割を今後もこの二人には担っていただかなければならないわけで、この芥川賞、たかが新人賞ではありますが、この賞をもらったことによってかなりのプレッシャーをお二人は背負わなければならなくなったわけで、まあ必ずしもめでたいことばかりではないというように嫌味を言ってこの場を失礼させていただきたいと思います(笑)。お二人ともあらためましておめでとうございました。

羽田圭介

選考会の当日、先輩作家の長島有さんとカラオケに行っておりまして、そこでデーモン閣下のメイクをしていたことで、受賞後いろんなインタビューを受ける機会がありました。テレビの収録や生放送、もちろん慣れ親しんだ文芸誌や雑誌のインタビュー記事、あとは自分で受賞してからの心境を新聞のエッセイ等で書いたりと、小説以外にいろんな表現の場で表現する機会がありました。たとえばわりとバラエティ番組の収録とかで、自分がわりと奇人みたいな感じで、編集で色付けして恥をかくという経験がありました。それは自分がその場にいて自分がやったことの結果として、発露されたことなので、どのような結果に終わってもそんなに寝付きが悪くなるなどということはなかったんですね。ただですね、たとえば電話インタビューで、テレビのニュース番組とかで、放送作家の方とかディレクターの方が、僕に電話で取材して、その方がインタビュー記事をまとめて、多分それで制作会社の上の方たちが編集して原稿を作って、それをTV局のスタジオに居るアナウンサーが読む。それに対して番組に出演されているコメンテーターの方々がいろいろ好きなことを言う。その過程を経ると、自分が電話取材で喋ったことが、8割方変えられて出てしまったんですね。それがたとえば自分の中の、自分がした恥ずかしい行為とかの、恥じらいの度合いを減らす編集であっても、自分の言葉を曲げられたという憤りのほうが強くて、テレビで流される分には何ら恥のないような発露であっても、自分の言葉を曲げられるということは本当に寝付きが悪くなるぐらい怒った感じはありました。これはなんでかといいますと、やはり成熟した日本で自分の発する言葉を曲げられるというのは、武器を取り上げられるのに等しいからだと思いました。自分が普段小説という表現形式で、原稿用紙数十枚から数百枚をかけて虚構の話を書いていく。それで自分の表現したいこと、伝えたいことというのが正確に伝えることができていたんだなと、この度実感することができました。ただこれを実感することができたのは、芥川賞を受賞していろんな表現の方法を試す機会があったからで、今年でキャリアとしては12年目なのですが、ただ漫然と小説家としてやっているだけではそのことに気づくことはできなかったと思います。そのことに気付けた、受賞してからのこの一ヶ月間で、小説という表現形式の尊さに気付けただけでも本当に芥川賞を受賞できて良かったと思っております。なのでこれからも嘘の言葉だからこそ表現できることを、原稿用紙数十枚、数百枚でこれからも表現していこうと思っております。どうもありがとうございました。

又吉直樹

「文學界」の2月号に「火花」を発表させていただきまして、増刷になってすごく僕自身びっくりしたんですけど、僕が普段お笑いライブで、自分でライブをやった時に、1万人2万人という人数を集めることは正直出来ないんですね。なので僕が思ったのは、小説を普段読まない人とかでも、いつか読みたいなとか、興味あるけど難しいからなかなか手に取る機会がないなと思っていた人がそんだけいたんやというのが、僕はすごく嬉しかったんですね。そこから「火花」が芥川賞の候補になりまして、より多くの人に読んでいただけたんですけど、すごくいろいろ考えることがありまして、よく、芸人と作家どっちやと聞かれることが多いんですけど、若手時代に、まあいまも若手なんですけど、デビューしたての頃からあんまり仕事がなくてですね、僕は特にアルバイトの面接とかもなかなか受かるようなタイプではなかったので、本当に生活が苦しかったんですけど、その時に一番最初は吉本の社員さんのなかで、本が好きなんやったらちょっと文章を書いてみたらと言って、コラムみたいなものを書かせてもらったりとか、そこからいろんな方にチャンスをいただきまして、最初は400文字とかそういうところから始まって、徐々にいろいろチャンスをもらって、2009年ですかさっかのせきしろさんに誘っていただいて『カキフライが無いなら来なかった』という句分集、自由律俳句とエッセイの本を出版することができたんですけど、それが僕のなかですごく芸人としても大きな自信につながったというか、自分が書いたものが本になったという。だから芸人をやる上でも文章を書かせてもらえるということは僕のなかですごく大きくて、よく芸人100パーセントで行きますって、それ以外の時間で文章を書いていきますという話をするんですけど、それはどっちが上とかじゃなくて、僕にとっては両方必要やなというふうに考えています。島田さんがおっしゃっていたように、芥川賞という候補になった時から、次どうすんねんみたいなことなので、やっぱりすごいプレッシャーを感じるでしょうと言われるんですけど、たしかに最初の何日間かはゲー吐きそうやったんですけど、よくよく考えてみたら、そもそも仕事もなんもなかった時期が長くて、とにかく舞台に立ちたいなとか、自分の書いたものを人に読んでもらいたいなという時期が長かったので、どうなろうとも表現する場所を与えてもらえているということがすごく嬉しく思っています。今回芥川賞を受賞することによって、これで次書かないというのはすごく失礼なような気持ちもしますし、書くべきだと思っているので、面白いものを書きたいと。また皆さんに読んでもらって、それぞれ率直な感想をいただければまた励みになりますので、今後ともよろしくお願いします。ありがとうございます。

東山彰良

先月の受賞決定から一ヶ月ほど経ちましたけれども、ぼくの作家人生において空前の忙しさ、そして充実ぶりでした。そのなかでもお礼を申し上げるべき筋にはきちんとお礼を申し上げてきたつもりなんですが、なかなか普段はお礼を言えない方々もおりまして、この場を借りて一言お礼を申し上げたいと思います。いままで僕の本を出してくれた編集者の皆さん、そして僕の本を出したいと言ってくれている編集者の皆さん、本当にありがとうございます。僕はデビューして12年になるんですけれども、これまで商業的にはあまりパッとしない売れない作家でありました。そんな僕の本を根気よく出し続けてくれた編集者さんたちがいなければ、今日僕はここに立っていないと思います。僕はリレーのように彼らに受け継がれてこの場に立っているというふうに思っています。もし今日までの間に誰かが僕を見限っていたら、この場にはやはり立てていなかったと思うので、本当に心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。受賞していろいろインタビューを受けて、直木賞とはあなたにとって何なのかというのをよく尋ねられますけれども、最近思うのは、この賞は僕の平坦な作家人生に生じた不整脈のようなものだと思っています。それはそれは素敵な不整脈なんですけれども、やがてゆっくり落ち着いていかなければ作家としてのキャリアが終わってしまうものだと思います。なので今日をひとつのピークとして、これから先は心を落ち着けて、またこつこつと自分の作品の世界に戻っていきたいと思っています。そうは言っても、今日がひとつのピークであることに変わりはないので、大いに飲んで喧しく騒ぎたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

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