見出し画像

無理矢理命を与えられた泥人形ギャル宇宙

もう1ヶ月以上SNSを殆ど見ず、自閉しまくっている。
それでも人と一切関わってないわけじゃないので、たまに"接触事故"がある。
例えば、誰かの意見を見聞きするとその都度自分の「脳がもう1個増えてしまう」。どんなに脳が増えてもエネルギーは自分1人分しかないから本体の消耗がヤバい。しかし、今まで私はこの"脳増え現象"を乗り越えてきたのだ。多分。多分…その都度自分の1個ぶんの脳をフル回転させて何個ぶんも動かしてきたんだと思う。我ながらすご。それで今更限界が来たんだろうか。
今はSNSを見ないことでなるべく脳を休ませてるけど、薬効の切れ間とかで接触事故が起こったりすると本当に「もうダメだ〜〜〜〜」になる。このダメだ〜〜〜は理屈で分かっていても脳が他者と自分の違いを受け入れられないことの、なんていうかダメさを、ダメだ〜〜〜と言っている。人それぞれの多様な思考や感情、つまりご意見のバリエーションを好ましいと思う私自身の意思に変化はないのだが、とにかくちょっとでも自分と違う色を見ると脳がバグってもう全景色がダメなのだ。疲労による身体的な変化(脳も身体の一部なのでいわゆるメンタルも私は身体にカウントしている)だけでこんなにも世界の見え方が変わるのか、と、灰色の世界をみながらある意味感動?もしている。
あーーー共感できないことis全部怖い。

創作はできるしやってるけど、みんなが好きそうな歌詞が全然書けない。たまに「自分の一連の過去の作品も言動も、マジ考えられんというか普通に引くな…。でもこういうのがみんな好きなんだよな。ウーン…。」とかいう気持ちになり、耐えがたい場所に無理矢理連れて来させられたような感覚になる。褒めてくれる人たちに対して、「あーーうっとおしい勘弁してくれ…あんなのを私だと思わんでくれ…私の正体は、無理矢理に命を与えられて、やがて死ぬのを待ちながらせめて楽に生きたいだけの泥人形だぞ…」という気持ちになりながらも、そう思うことに寂しさや悔しさのようなものを心のどこかで感じていたりする。だが、そう感じることができる機能というか、つまり自我の機能の大部分はかなり麻痺してるので実はさほどつらくない気もしている。鬱病にはなっていない。

が、これが治るのか、マジで分からん。診断名では何も伝わらないので無理矢理描き散らかした次第だけど、今回の不調で生きることの耐え難い重力がこの世界にはあることを改めて自覚した。この気付きから先に行けるのか、それとも一生ここに留まるのか、そもそも治るにしてもどれくらいかかるのか…分からないけど、実は今は今で出来ることもやりたいことも沢山あったりする。なので、これまでの自分を責任に感じたりせずに一旦今なるべく好きにやってみようと思う。というか、私は帰ってきたのだよな。ダメな沼に…。ギャルの皮をかぶった泥人形として。あるべき場所に帰ってきただけなのだ。自閉するぞ。

子どもの頃はひんやりした透明な鉱物や、宮沢賢治の寒色系のメタリック素材っぽい文章のテクスチャに夢中になり、今は隠キャとして生きた人生の影を抱きしめて己が思う自由なギャルの皮膚を貼り合せプラスチックの雑貨やアクセサリーと暮らしている。大好きな無機物を売ることで生計の一部を成しているのは幸福なことだ…。早く無機物になりたい。
具体的な状態異常ステータスは、チャコールグレーみたいな濃いめのグレーゾーンのアスペに不安障害だが、全然何にも伝わらない記号以下だこんなん。私はもっと象徴的に自分を何かで表現したいし、それで無理矢理命を与えられた泥人形とか言ってるんですわ。脳や肉体という制約が凄すぎて、重力を感じているだけで日々12時間睡眠してしまう。或いは、活動的になった日にはスイッチの切り方が分からず一睡もできなかったり。なんなんだ自分。

インターネットの網目の一つとして点滅する私は、インターネットの網全体でもある。(あらゆる透明な幽霊の複合体か???)
iPhoneのスクリーンタイム上でツイッターの利用時間が5分以下になろうが、因果の時空的制約のなかで繰り広げられる議論のフィールド全体が私の一部であり、この世の全ツイートが私のものなのだ。私の無意識は多元的に広がる宇宙空間全体に根を下ろす。その私がインターネットの無限のその網を手繰り寄せようとして絡めとられて動けなくなっているのだが、普通に当たり前なので、ただの網目に戻るための治療を行なっている…つもりなのだが、これから病院なのでそういうことをうっかり言ってしまわないようにnoteに放り投げておく。

自分語りもめんどくさくなったので今日はここまで。(やる気〜)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?