才能がありすぎて本当に辛いんだが、聞いてくれ
自分がずっと持っている漠然とした苦しさについて言及するときに、私は、「才能がありすぎるため」、あるいは「極端に運がいいから」などと言語化してしまう。
あ、もうこの時点で言いたいことが伝わる気配がなく、なんかもう辛くなってきたのだが、
ひとまずこの曲を聴いてほしい。
神や大気に溶け込んだ
自分を取り戻すための時間
冷静な信仰 好きぴとの邂逅
溶けていくカフェインの魔法から
離脱症状 絡まる私
横になってみる
バイト1時間半前
おやすみ おやすみ おやすみ 私
おやすみ そういうわけにはいかない
おやすみ おやすみ おやすみ 私
おやすみ私の代わりに ハイヤーセルフ
(何これ?って感じだったらもうこれから先読まなくていい。)
とにかく私は、常に「人気になる」とか「売れる」とか、そういうことしか考えてないのだが、その俗みが強すぎる脳の構造のせいなのかなんなのか、反作用的なエネルギーでたまにただのガチの天才になってしまうことがあり、この歌詞とかはまさに残念ながらその天才性が出てしまっているのだ。
こういう、天才性の部分は切り捨てないと売れないし、こんな曲作っててもクラスで人気者になれない。だから、私は自分のこういうところがなんとも歯痒くてて嫌なんである。
(大人なんだからクラスで人気者にならなくてもいいじゃん。なんなの?って感じだったらもうこれから先読まなくていい。)
「こんにちはシルエッツ」の歌詞を昔かいた時も同じで、適度に分析のしがいのあるバランスのいい内容にも関わらず、「田島ハルコの歌詞をなんとかして解読するスレ」が立たないことにメチャメチャ苛立ち、「もう死のうかな?(チラッ)」みたいな素振りを、現実でもSNSでもしまくった。
しかし、そんなのは当たり前だ。みんなにとってそれは「別に面白くないコンテンツ」でしかないのだから。
私は、一部の人だけで共有される選民意識みたいなものへのアレルギーというか、一言で言うと「サブカルチャー恐怖症」みたいなものがある。今、「サブ」の文字列だけでもう具合悪くなった。
なので、「普遍的」であろうとする。しかし、そうすることで、うっかり無意識にアクセスしてしまい、なんかヤバイ歌詞ができてしまう。
「一部の人だけで共有される選民意識」っておそらくミーハーの局地みたいなものだし、音楽マニアみたいな人が私に関心を持たないのも、ガチでソウルで戦ってる私みたいな者の「天才性」(これはただの悲しい意味だ)と彼らのミーハー性が一向にチューニングが合わないからなのだろう…(泣)
私にとって、自分らしく楽しく生きることは「ウケ狙い」みたいな素振りを続けることでしかない。まあ、狙っても別にウケてないのが現状だけど…
この歳になって、やっと素直になれて、今だから言える。
私にとっては、数字がだいたい全てです。
「YouTubeの登録者数100万人以下はザコなんだぞ」的な戦いでは勝てなくてもいいから、まずは参加して血を流すのだ。
それが唯一の生き甲斐かもしれない。
う〜〜〜ッ、いやしかし、、
やっぱ、ただ数字じゃなくて、評価も、分析もされたいんだった。
もち、天才っぽい部分も込みで…
早くどうにかなりたいよ!!!!!!!!!
END
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