ラメ撒き散らし画像

発狂してラメ撒き散らそ

※今回のnoteは、300円お支払いいただくと500円分の「田島ハルコの物販でつかえる割引券」が出てくるセコい仕組みになっています。
以下、本文です。

私には「何をやっていてもある程度アイドルみたいに見えてしまう」ということで悩んでいた時期がありました。しかし、ある程度アイドルみたいにみえると、あたしアイドルじゃねえし!!(byきゃりーぱみゅぱみゅ)って言っていても「引き」が得られる(つまり、ライブのオファーが多かったり、ギャラも出る場合が多いなど)というもどかしさもあり、少しでも人気でいたい気持ちが強い私は、とにかく「アイドルに見えてしまう」という種類の垢抜けなさからうまく抜け出せずにいました。

しかし、これはキモい邪推であるから何とは言いませんが、"ある時点"からそういう「引き」のようなものは良くも悪くも軽減され、ついでに私は髪色も"ギラついた感じ"(剛毛で色素も強いのでブリーチ数回ではネオギャルにはなれず…)になり、「音楽をドコドコ生産する見た目が派手な普通の主婦」になったのです。
つまり、アイドル臭さみたいなものが人生の自然な流れの中で脱臭され、やっと自分らしさとか、本当に好きな格好をするということを意識し始めることができました。25歳にしてようやくです。

しかし、ふと立ち止まった時に気づいたことがあります。それは、「日本人女性は日本人女性であるだけで、みんな(地下)アイドルみたいにみえるのではないか。というか、お母さんか老婆でもない限りみんな(地下)アイドルみたいにみえるのではないか。」という、ある種類の文化依存症候群みたいな病が、私が生きるこの世にはあるのではないか、ということです。私がどんな格好をしていても、存在しないおじさんが脳にクソリプを送ってきます。「ちょっと、セクシーすぎるんじゃないの⁉️(^_^;)おじさんはもっと清楚な子が好きかな‼️」と…。

そもそも脳にクソリプを送ってくるのは存在しないおじさんであることはともかく、社会の中にはそれなりのマジョリティとしてこういったおじさんが実在します。そして、残念ながらインディーズミュージシャンに近い小さな市場は、「サブカル」「オタク」などの名の下にある、かなり露悪的な市場原理主義が働いています。こういった市場原理主義の下ではおじさんが発言力と権力を持ちます。メジャーに羽ばたくためにまずはこの地獄を乗り越えなければならないのが、日本のインディーズの仕組みになってしまっているのではないでしょうか。これでは、最初に魂を売っておくべきということになってしまう。しかし、本当にそうか?ということを私は思っていて、つまり単にアプローチを若い世代へ変えればいい、と思っているのだが…
例えば、私が今まさにありのままで行っている、このnoteのような情報発信などは果たして、中高生にはウケるのだろうか?


さて、飛躍しますぞ。

…こうした悶々とした問いを、自ら論破したいと思います。まず、宇宙の法則として「私が生きる過程で零していくあらゆる表現は、私がハイヤーセルフ的な自我としっかり繋がっていれば宇宙でバカ売れする。」というものがあります。これは私の信条というより、固く固く強烈な誓いのような"事実"です。とにかく、「田島ハルコはバカ売れする」ということが宇宙の法則によって定められているのです。だから、どこにアプローチするかなんか考えなくていい。視界が腐ったおじさんのフィルターでは「地下アイドルにしては珍しい」ぐらいの格好に見えても、イデア界にはキラキラと発光している高次の自分がそこにいるだけ。だから、1秒も休まず、とにかく常に自分らしくあるしかない。そのために今日もこういう文章を書いています。

クソな世界が襲ってきたらいつでも発狂しながらラメを撒き散らせばいい。しっかりと、言葉で相手に怒りを見せなければ世の中は何も変わらないので、暴力に訴えるのは(善い悪いはともかく)表現の敗北だと思います。でも、女が男をボコボコにしたらスカッとするでしょう。人格や人間性があることを無視したナンパをされたら、「何でもいいしめんどくさいからこいつマジで突然後ろから現れたダンプに轢かれて死んでくれ〜〜」とも思うでしょう。(また飛躍しましたね)
そして、私は日々そんなことを思いながら、世界にラメを振る。

自然体な私に集まってくるおじさんは、少なくともラメを撒き散らされたり、世界にラメを撒き散らかしたい人しかいないはずです。ってか、みんなキラキラした消しゴムとか好きだったでしょう?
おじさんでも誰でもいいから、自分であることを捨てない人は、私の周りに集いましょう。

…というわけで、この券を持って田島ハルコのライブに行こう!!!!

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