寄り添う@傾聴

目をつぶる。
ずっと昔、若かりし青き春を思い出す、、、、
ボクは恋人の愚痴を頷いて聴きつづけた。
どれくらい経っただろう。
怒りが満ち満ちて彼女は突然泣き出した。
彼女は自分が「世界一不幸」だと言い泣きじゃくった。
黙って見つめていたボクに「私の気持ちなんて全然分かってくれない、なんで何も言ってくれないの」と怒りとともに詰め寄られた。
何がなんだか解らず解らず戸惑った青き記憶のデジャブ。
その突然の豹変は何?
え、なに、何がおきたんだ?
何が悪かったんだ~ぁ、あ、あ、あ、
何も言ってないのだから彼女の地雷を踏むこともない。
ああ、そうか、何も言わないことが地雷?
デジャブは徐々に色が褪せ真っ白な光になって景色を失った。

気持ちに寄り添うのに「言葉」が必要だったのか。
「気持ちに寄り添う言葉」とはなんだろう?
例えば情感をこめて頷くとか、話し手の口からでるキーワードを注意深く拾い、拾った言葉の端々を気持ちを込めて返してあげる、という割に間違いの少ないだろう「テクニック」からの言葉が通用しなかった。
愚痴を聴く間はそれで良かったのだが、最後の最後は「テクニック」ではなく話し手と感情同一化的共感を求められ、出来なかった、といったところか? 

もともとボクは「共感などない」などと言ってしまうような冷たい人間であり、他者の感情など表面しか解らないと思っていて、解るという者の傲慢さを鼻で笑ってしまうヤツなのである。それが敗因なのか?
それとも、青カン(ホームレス)なんかと何年も付き合ってきて相対的に並の苦悩に対して耐性が強く、なんとなくの達観をしてしまっているのが問題なのか? 
書物や哲学っぽい対話によって、この世的な云々という目線があり、人は虚構に振り回されてジタバタしている、なんて思い浮かべてしまうのが悪い癖なのか?

おそらくその辺りのなにもかもをひっくるめてボクというパーソナリティが居て、そいつが傾聴するということは、意識的にパーソナリティを抑え込んで、話し手にたいし最大限の想像と思い込みによって「共感しよう」という意識(アタマ)によって共感しようとしているのだろう。
そのことが話し手の受ける共感として弱いのか?
もちろん共感はしているんですよ。
個々の苦悩を「相対的には並」などと書いてしまったが、個々にとって絶対的に最大最悪の苦悩だということは分かっているんです。
それに対して「共感しよう」と意識して共感しているボクが居るわけです。
「意識して共感」となるとやはりどこか冷静なのです。
たとえ相槌に抑揚をつけようと、話し手の言葉のキーワードを拾い出し、最高の装飾をつけて感情的演出によって話を返そうが、一程度の冷静さがあるんです。涙ながらに嗚咽しながら言葉を絞りだす話し手であっても、一緒に泣くことはないし、、、なんなら「泣きじゃくるのはいいよね、そのまま思っていることを全部吐き出すとスッキリするよ」、、、なんて思ってしまいながら、本当に辛い思いをして苦しんでいるんだ、とアタマで理解しその辛さに最大限の想像をし「辛いよね」と言う。

と、ここまで書いて思いついたのだが、青きデジャブの彼女は、ボクが貰い泣きをして同意するようなレスポンスを求めていたのだろうか?
確かに気の合う友人同士では、共に涙して共に感傷し浸るということがあるだろうし、それを「気持ちに寄り添うこと」と感じて安心得る人なら、泣くこともなく、冷静に共感を感じているぐらいでは「納得できない」のかもしれない。

こんなことを書くと傾聴者は冷静なのだろうと思われるかもしれませんが、基本はそうだと、思っています。
でも、たまにはいるんです。アタマを通さずに意識せずに感情で共感してしまう話し手が。
ボクの意識が一旦がどこかに追いやられ、感情的に「なんとか苦しみを抜けて欲しい」と感じる話し手が、思わず抱きしめたくなるような話し手がね。
ほんのたまですが、いるのです、、これまでの経験では、2%弱ぐらい^^;
そんな話し手に出会ったときに感じるのが、もう「傾聴」は関係ない。テクニック的なあれやこれや、なんてものが全て吹っ飛ぶ。
こいつ(←オレ)マジで感情的同一感で寄り添っているな、という実感。
もしかして青きデジャブの恋人もそれを求めていたのか?
うん、「世界一不幸な自分」って聴いたとたん冷静にしかなれなかった青い日々(・・;)。

と、さらにここまで書いて感じたのはボクが差別しているということ。意識して傾聴している話し手(98%)と、傾聴ではなく直に感情を同一化している話し手(2%)を。
おそらく話し手の声の表情や苦悩の内容によって差別しているのだと思う。これは意識して差別しているのではなく2%はむしろ僥倖。
そしてその2%は「傾聴」ではないような気がしているんです。逆に全てをその2%のように感情的同化しようとしても、それは出来きないと思っている。

さて「寄り添う」について、今のボクが考えられるのはここまで。
青きデジャブの彼女が求めていた言葉も今となっては解りません。
もしかして2%のときのような感情的同化だとしても、、、、
はたしてどんな傾聴でも必要に応じて2%の時のような状態を意識してなりきり、自己催眠がごとく感情直で共感しているという状態になりきる、とい無理めなテクニックでもあるのだろうか?
それとも「いま」のボクでは想像もできない何かがあるのだろうか?
青き記憶の彼女のような要求は、ボクの経験のなかでは1%以下なのでむしろ特殊とすればいいのだろうか?・・それもなぁ〜

傾聴は一筋縄ではいかないな、、、だから面白いのか。
人間の心ってやつは深く難解だな。
ホントおもしろい。


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