「折り合い」なんてつけられない

 多分なのだけどほとんどの人は社会と、つまり他者と折り合いをつけて生きている。折り合いをつけるよう教育されたゆえなのか、人はもとより折り合いをつける性を持ち合わせているのか、これまで折り合いをつけるほどの摩擦に出くわさなかったのか?
 いずれにしろ、ほとんどの人は、そんなもんとしてそうして生きている。
 それでも折り合いをつけることができなくて、つまり生きることができないくて自殺する人もいる。それは99の折り合いをなんとかこなしても、一つの折り合いがどうしてもつけられないせいかもしれない。それで生きることをやめる。
 自ら生きることをやめる人が多いといわれるニホンでも年間たかだか0.0003%、うん、1億のうち3万人程度の「微々たる数」なのだけど折り合いをつけることができなくとことん追い込まれた。
 もっとも自殺まではいかないけれど、一つのことにどうしても折り合いをつけることができない人になると、もっともっと多数になるんだろうな。
 ボクもやはりそんな一人かもしれない。
 たったひとつの折り合いがつかないことに出会うと結局黙ることになる。
 どうしても迎合することはできずに黙る、裡への逃避。その黙ることは折り合いをつけていることとは違う。そのたったひとつの折り合いがつかないことこそがボク自身の個であるのかもしれない。黙ることは自我の裡への逃避なのか? 自分を護ることなのか?

でもね、、、

 折り合いをつけることのできないたった一つことの向こうにこそホントのことがあるような気がしてならない。だから折り合いをつけられない一つのことがあったなら、それは死ぬほど苦しいかもしれないが、でも実はとても幸せなことだと感じています。ホントのことにたどり着けるのかもしれないのだから。
 
 
 
 


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毒多

エッセイ

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