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『キツネ山の夏休み』の後日談

 富安陽子著『キツネ山の夏休み』という児童文学をご存じだろうか?

 簡単に言うと、10歳の男の子が田舎のおばあちゃんの家で過ごす中で、稲荷のキツネの化身と友達になったり、猫又と話したり、街を騒がせる泥棒を懲らしめたりする話だ。

 もしかしたら今の世代の子供たちにはピンと来ないかもしれないが、私の感じる理想の夏休みの景色がぎゅっとつまった作品なのだ。優しくて上品なおばあちゃん、日本家屋、スイカ、虫取り、縁日etc…。とにかく日本の古き良き夏休みを描いた作品で、大人になった今でも、夏が来るたびに読み返してキュンとしている。

 ある時これを読み終わって、唐突に「こんな後日談があってほしい!」という気持ちが抑えきれなくなり、初めて二次創作の小説を書いてしまった。自己満足ではあるが、意外によく書けたと思うので、せっかくだからアップすることにした。

 この作品を読んだ方に、読んでいただけたら嬉しい。


『5年後の夏休み』

 榎稲荷では今日もジーワジーワとアブラゼミが鳴いています。
 オキ丸は、雑木林の大きな木の根元にぽっかりと空いたウロの中であくびをしました。神社のご神木の次に大きなこの木のウロは、体の小さなオキ丸しか入れない、とっておきの場所で、とても涼しいのです。
 セミの声のほかにはなにも聞こえません。夏休みのはじめにはむしかごとアミを持ってやってきたこどもたちの声も、ピンとすました耳には入ってきませんでした。

 神社まで出てみようか。神社の神主さんは、時々顔を合わせるとまんじゅうやらくだものやら、おそなえものをわけてくれるのです。それがなくても、古い神社のひんやりとした床下を歩きまわったり、参道に並ぶきつねたちを一つ一つ見たりすることが、オキ丸は好きでした。
 とびはねるような軽い足どりで神社へ向かいます。雑木林から飛び出そうとしたその時、人がいることに気付いて足を止めました。
(お松ちゃんだ)
真っ白な髪をきちんとゆった後ろ姿に、オキ丸は細い目をますます細くしました。生まれてからずっとこの町で生きているお松ちゃんは、榎稲荷のきつねたちのお気に入りです。髪は白くなり、しわもありますが、背中はすっと伸び、話す声もはきはきしています。

 そのお松ちゃんが、今日はさい銭箱にお金を入れて、手を打っています。何をお願いするんだろう。遠耳ではありませんが、オキ丸の耳もそれなりにいいのです。気持ちを耳に集中させると、ないしょ話をするようなひそひそ声が聞こえました。
「弥(ひさし)さんが無事にうちまで来られますように」

 「弥さん」というのはお松ちゃんの孫です。
 オキ丸はこの「弥さん」という名前を聞いて、なんだかなつかしいような気持ちになりました。ほんの短い時間ですが、オキ丸は弥と遊んだことがありました。
 オキ丸は弥をなかなか気に入っていました。(人間にしては)風に乗るのが上手で、少しおこりっぽくて、おもしろい男の子でした。

 オキ丸には時間をかぞえる習慣がありません。でも、まえに弥さんと会ったのはずいぶん前のことのように思えます。とはいえ、あのにくたらしい猫又の大五郎が、まだわがもの顔で歩いていることを考えれば、それほど長い時間はたっていないのかもしれません。
 お松ちゃんは顔をあげると、白い日傘をさしてさっそうと坂道を下りていき、すぐに見えなくなりました。弥といっしょにここへ来た時と、お松ちゃんはぜんぜん変わらないように見えます。
 (会いにいってやろうかな)
たまたまここへやってきて、このことを知ったのも何かの縁なのかもしれません。それに大きくなった弥を見てみたいきもちもありました。
 オキ丸は回れ右をして雑木林の中にもどり、準備運動とばかりにこどものすがたに化けてみました。

 お松ちゃんを見た次の日は、ちょうど八の日の縁日でした。
 この日のオキ丸は朝からおちつかない気分でした。いつもはひっそりとしずかで、時々さんぽにくるおじいさんや、学校帰りに遊びによるこどもたちくらいしかやってこない参道に、出店のテントがいくつもいくつも現れます。夜になれば色つきのテントの屋根ごしに、あかりがぼぅっとともり、色とりどりのちょうちんがならんでいるように見えます。
 めずらしく人が多くあつまる縁日の日には、ときどきよっぱらいや子どもたちが本堂までフラフラやってきます。そんな人間をきまぐれにからかって遊ぶのもオキ丸のひそかな楽しみでした。そんなわけで、オキ丸はこの日が好きなのです。
 でも今日はべつのたのしみもあります。弥が来るかもしれません。

 夏の夕方はお日さまが長々と空に居すわって、なかなか暗くなりません。縁日をまっている人やきつねには、それがとてももどかしく感じます。
 明るい青い空がようやく紺色になりはじめ、白い月が銀色になってきたころ、だんだん参道に人があつまりはじめます。オキ丸は本堂の裏で子どもに化けました。いつもはランニングシャツに短パンすがたですが、今日は白地に真っ赤な金魚のがらのじんべいすがたにしました。ついさっき見かけた男の子の着ていたじんべいがとてもきれいだったので、きまぐれにためしてみたのです。よく日焼けした男の子に、くすんだ白はよくにあいます。
 オキ丸はと一段とばしで石段をかけおりました。ポケットにはさい銭箱からぬき出してきた小銭があるので、少しは買い物もできます。あまいにおい、こうばしいにおい、ガンガンとスピーカーからながれる音楽や、バナナのたたきうりの声、屋台のおじさんのよびこみの声がごちゃまぜになって、わっとオキ丸をつつみます。
 ブラブラと歩きながら、氷とジュースの入ったタライを置いた出店で、ラムネを一本買いました。人ごみのあつくるしさは昼間のじりじりとしたあつさとはちがい、じっとりとこもるようなあつさです。きりりと冷えたラムネを一口飲むと、すこしだけすずしい気分になります。
 半分くらいを一気に飲んで、さて次はどこへ行こうかと考えていると、オキ丸のとなりを男の子が通りすぎ、ジュースの入ったタライをのぞきこみました。男の子、と言っても、背はオキ丸よりもずっと高くて大人っぽく見えます。おじさんに小銭をわたして、ラムネのビンを二本さげて出てきたその人の顔を見て、オキ丸はびっくりしました。
 たぶん、弥です。たぶんと言うのは、前に会った時から変わりすぎていて、弥だ、と自信を持って言えなかったから、そしてその子が、弥のお父さんのシゲさんにそっくりだったからです。

 シゲさんは、子どものころこの稲荷のきつねたちの人気者でした。自分を稲荷のきつねの仲間だと思っていたらしく、毎日のように神社にやってきては石のきつねにむかって話しかけるすがたがおもしろかったのです。そのため、シゲさんが困ったとき、きまぐれに助け舟をだしてやったりしたものですから、シゲさんはますます自分がきつねの仲間だと思うようになる、といったぐあいでした。
 オキ丸が最後に見たのは、シゲさんが高校生の時でした。この町の子どもの多くがそうであるように、高校を卒業すると町を出て大学に行ったのです。

 その、オキ丸が最後に見たシゲさんに、弥はそっくりだったのです。オキ丸とおなじくらいだった背は頭二つ分くらい高くなり、日に焼けた顔に少し細い目が二つわらっています。
 その目が、ふいにオキ丸の目と合いました。
 昨日は、会いに行こう、と思ったのです。今日も弥が来るかもしれないと思って、去年よりもずっと楽しみな気分でいたのです。見つけたらびっくりさせてやろうと思っていました。
 それなのに、弥と目が合ったしゅんかん、オキ丸は全速力で本堂の方へ走りだしました。人のすがたで人ごみを走るのはむずかしくて、三歩進むたびにだれかにぶつかります。でもこんなところできつねにもどるわけにも、空にとびあがるわけにもいきません。きつねにおどかされた人がそうするように、いちもくさんに走ります。どうしてそんなことをしてしまうのか、自分でもわかりませんでした。

 走って、走って、石段をかけのぼって、一番手前のきつねの台座によりかかったところで、大きく息をはきました。汗でべたべたな背中に、石のつめたさがしみこんできます。
 さっき買ったばかりのラムネが手にありません。どこかにおとしてきてしまったのでしょうか。なんどか深呼吸をすると、しんとさみしいような気分になりました。
 『また会える?』
前に弥とあそんだとき、最後に弥が言ったことを思い出しました。それにオキ丸がなんと答えたのかも、いっしょに思いだしました。
『おまえがわすれなかったらな』
そう言ったのです。
 オキ丸がいっしょにあそんだことのあるこどもは何人かいます。でも、大人とあそんだことはありません。それはつまり、いっしょにあそんだ子どもとも、そのうちあそばなくなったということです。大人になるにつれて、みんなオキ丸のことをわすれたり、夢だと思うようになるのです。それはわかっていました。

 でも、オキ丸は時間を数える習慣がないのです。この町の子どもでない弥さんが、もうあんなに大きくなっていたなんて、きつねとあそんだことなんてわすれているくらいに時間がたっていたなんて思わなかったのです。弥のお父さんがあの年頃の時には、この縁日と初詣の時くらいしかここに来ることはありませんでした。
 さっきまでのうきうきとした気分はどこかへとんでいってしまいました。急に白いじんべいがいまいましくなり、いつものランニングシャツすがたの子どもに変身しなおしました。
 べつにどうでもいいじゃないか、弥なんて。オキ丸は自分で自分に言いきかせました。弥のことだって、きのうたまたまここに来るまでわすれてたんだ。べつにおぼえていたってわすれていたって、どっちでもいいことじゃないか。どっちにしろ弥はこの町の人間じゃないんだから。

 そう思うとあわててにげてきてしまったことはなんだかしゃくな気がします。気を取り直して石段をもどろうとした時、足元に、コロコロと丸いかげがのそりとよってきました。
 オキ丸は顔をしかめました。大五郎です。あのえらそうでいまいましい猫又が、だれかにもらったのでしょう、洋食焼きをくわえてあらわれたのです。
「おや、だれかと思えばきつねじゃあありませんか。人間になんか化けて、はっぱのお金で買い物でもしようってことですか。まったくふてぶてしい」
わざわざくわえた洋食焼きを地面に置いて、にやけたような顔で言います。
「ふん、おまえじゃあるまいしそんなことするもんか。本物のお金さ、きつねは猫又より人間には大事にされてるんだ」
「ほう。まさか貴重なさい銭がこんな縁日でラムネを買うのに使われているなんて、氏子たちは知らんでしょうな」
「おまえ、見てたのか」
オキ丸の頭にかっと血がのぼりました。大五郎はにやにやわらいながら洋食焼きにかぶりつきます。けとばしてやろうと右足を引いたその時です。
「オキ丸!」
名前をよばれました。びっくりして顔を上げると、弥が石段を上ってくるところでした。

 前にもこんなことがあったような気がします。オキ丸は少し考えて、すぐ思いだしました。何年か前の縁日で、弥がここまでオキ丸をおいかけてきたのです。あの時より、背は高く、声は低くなっていますが、同じです。弥がオキ丸をおいかけてきました。
 息を切らせながら弥は言います。
「すごい、ほんとにまた会えた。大五郎がおしえてくれたんだ、ここに来なかった?」
丸いくせにすばしこいやつです。いつのまにか大五郎はいなくなっていました。オキ丸はあいまいにうなずきました。
 すごいすごい、とはしゃいだ声で弥は言います。オキ丸はなんだかもやもやした気持ちになって、だまっていました。いったいなにがすごいのでしょう。オキ丸も、稲荷のきつねたちも、ここにいるのがあたりまえなのに。
「お前、おぼえてるのかよ」
「え?なに言ってるのさ、オキ丸だろ?」
「そうじゃなくて」
いらだったようにオキ丸は言います。どう言ったらいいのかわかりません。
 もどかしくて足ぶみをしながら考えます。弥はじっとこっちを見たまま、だまっています。
「だから、なんていうか、オレとやったこと、本当だったって信じてるのか、ってことだよ。ゆめとか、気のせいとかじゃなくて、本当のことだったって、思ってるのかってことだよ。おぼえてるって、そういうことだろ、」
弥はきょとんとした顔で返します。
「長者桜の根元の石をころがしたこと?きつねのふりしたどろぼうを化かしたこと?あれがゆめだなんて、思うわけないよ。山送りのことだって」
そこまで言ってから、あ、と思いだしたように言います。
「僕、まだ風に乗れるかな?」
「むりかもな、体が大きくなったし」
オキ丸はそっけなく答えます。
「ね、一回だけ試してみてよ。訓練しだいで一人で乗れるようになるかも、って言ってたから練習してみたんだけど、やっぱりだめだったんだ」
めげずに弥が手を差し伸べます。オキ丸はあきらめたようにその手をとりました。

 いつもは同じくらいの背のこどもとしか、風に乗ることはありません。どれだけの重さがかかるのかわかりません。オキ丸は今までにないくらいに集中して、風の流れをとらえます。
 ざぁ、と神社の大木をゆらした風を感じた瞬間、オキ丸は地面をけりました。合図もないのに、同時に弥もけりました。
 足元に風が流れているのを感じます。オキ丸と弥は神社の屋根と同じ高さまで浮きあがりました。弥がひゅう、と息をすいこんだ音が、風にまじってかすかに聞こえました。
 弥はぜんぜん重くなくて、前に会った時と同じくらいにしか感じません。どうやら本当に才能があるようです。さっきまでのもやもやした気持ちが晴れていくのがわかりました。

 うるさいくらいにしゃべっていた弥は、すっかり静かになりました。ただ目を細めて、はるか足元のちょうちんのあかりをまぶしそうに見つめています。
「お前、本当にすじがいいな。」
オキ丸が言うと、弥はこっちを見て、ほっとしたように笑いました。
「でも一人じゃどうしてもできなかった。オキ丸に会えてよかった」
「なんだよ、おおげさな」
オキ丸は照れたように顔をそむけます。
「ううん、本当によかった。だって、伝言もあずかってるんだ」
「伝言?」
一体だれがきつねへの伝言なんかたのむのでしょう。弥はそうしないとまっさかさまに落ちてしまうとでもいうように、オキ丸の手をぎゅっとにぎって言いました。
「お父さんが、シゲさんが、『いつも助けてくれてありがとう。勝手に仲間を名乗ってごめんなさい』って、言ってたよ」
オキ丸は風の流れから、足をふみはずしそうになりました。それほどびっくりしたのです。
「あいつが…?」
「そうだよ。自分のこと、きつねの仲間だって信じてたんだって。だからこわいものなしだったって、言ってたよ。でもそう思わずにはいられないくらい、榎稲荷のきつねたちは自分のことよく助けてくれたんだって、じまんしてた」
弥はお使いをすませて肩の荷がおりた、というようにはれやかな顔になりました。
 おぼえているのはきつねの方だけだと思っていました。人間はわすれてしまう。どんなになかよくなっても、ちょっと会わないうちに、いつのまにか「大人」になって、きつねたちのことをわすれてしまうのだと思っていました。

 でも、シゲさんはおぼえているというのです。神社に一人でやってきてはつぶやいていった、小さなおねがいをきまぐれにかなえてやったこと。賽銭どろぼうに向かい合ったシゲさんをはげますように、林の木をゆらしたこと。そしていっしょに縁日をまわったこと。
 「お父さん、前にぼくが一人でここに来た時、帰ったらきいてきたよ。きつねに会えたか、ってさ。ぼく、帰る前におばあちゃんからお父さんの話聞いてたから、きっとその話がしたいんだろうな、って思ったよ」
シゲさんが今はどんな顔になっているのか、オキ丸は知りません。だから弥にそう訊いたシゲさんの顔が、思い浮かびません。なぜだかそれがとてもさみしく感じました。

 弥がまた静かになります。足のうらをくすぐるような風が、ひゅうひゅうと音を立て、それに混じって縁日の音楽がかすかに聞こえます。
 人間は忘れてしまう。本当にそうなんだろうか。忘れているのはおれの方なんじゃないか。オキ丸はふと思いました。前にも、弥じゃないだれかと、こんな風に空から縁日をながめたことがあるような気がするのに、それがなんて名前の、どんな子だったのか、思いだせないのです。
 それに、本当に大人になった人間がきつねたちのことを忘れてしまったのか、たしかめたことはないのです。この神社に来なくなったから、忘れてしまったんだな、と思っていただけでした。
 もしかしたらオキ丸の忘れているその子が、今だれかのお母さんになって、オキ丸の話をしているかもしれません。どこかのおじいさんが、きつねと遊んだことをなつかしく思いだしながら、縁日を歩いているかもしれません。

 目からうろこ、でした。オキ丸はそんな言葉は知りませんが、知っていたらそう思ったはずです。
「弥」
「え?」
シゲさんにそっくりな顔がこちらを向きます。その顔をじっと見て、今のシゲさんがどんな顔なのか想像しようとしましたが、うまくいきませんでした。
「ありがとな。今度シゲ、お父さんとここに来たら、寄ってくれよ」
シゲさんのことを「お父さん」と言うのはふしぎな気分でした。弥はにっこりわらって、
「もちろん、そのつもり」
と言いました。
「あ」
「どうしたんだよ」
「オキ丸、おりよう。いっしょに飲もうと思って、ラムネ買ってきたんだ。つめたいうちに飲もうよ」
 そうだ、思いだした。
 弥が駄菓子屋で買ったラムネをこっそりくすねて、おこらせたことがあったことを、オキ丸は思いだしました。
 その時のことを弥も思いだして、買ってきてくれたのでしょうか。なんだかうれしいようなくすぐったいような気持ちになって、オキ丸は弥の手をしっかりとにぎって、本堂めがけて急降下しました。

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 思ったよりめちゃくちゃ長かった…。ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら本当にありがとうございます。

 作中でお父さんが弥に送った手紙の内容から、お父さんはキツネたちのことを覚えてるんじゃないかな、そうであってほしい、という願望から、そして弥がオキ丸に再会する未来があってもいいじゃないか!という願望から膨らんだ妄想である。(もう二度と会わない、10歳の夏休み限定の友達、という未来にも美しさは感じるが…)

 ちなみに、この作品を読んで初めて「水まんじゅう」という食べ物の存在を知った。その後実物を食べてみると、ひんやり冷たいくずもちとさらっとしたこしあんがおいしく、しばらくハマってしまった。想像してあこがれていたのとまったく同じ味だった。


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