見出し画像

はやみねかおるが開いたミステリの世界

「都会のトム&ソーヤ」、通称「マチトム」の映画化を知って、「今更!?」という気持ちと「やっとか!」の気持ちが入り混じっている。私は今30代前半だが、今の子供たちにもバリバリ現役で愛されているはやみね先生には尊敬の気持ちしかない。

作品の魅力については今更こんなところで語るまでもなく、周知の事実ではあると思うが、個人的なはやみね作品との思い出がフラッシュバックしてきて止まらないので、語らせてほしい。


私が初めて読んだはやみね作品は、「そして五人がいなくなる―夢水清志郎事件ノート」だった。小学5年生当時やっていた、進研ゼミの国語の学習ページのおまけについていた、本の紹介コーナーで紹介されていたのを見つけたのが出会いだった。

図書館で見つけて一気に読んだ。それまで、ミステリというジャンルにはそこそこ興味があり、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや、アガサクリスティなどをちょこちょこ読んではいたものの、こんなに最初から最後まで面白いと思ったのは初めてだった。

個人的に魅力的なミステリの条件は

・キャラが立ちすぎている探偵キャラ

・魅力的な謎

・ただ一人真相を知っている探偵による、予言の様な謎発言

・真相(トリックや動機)が納得できるものであること

だと勝手に思っている。

「そして五人がいなくなる」をはじめ、夢水清志郎シリーズは、この条件のすべてを満たしていた。特に名探偵(“名”が付くのがポイント)の「教授」こと夢水清志郎は、黒い背広にサングラス、針金のような長身痩躯、何かに没頭すると何日も食事を摂るのも忘れ、自分の誕生日も覚えていないのに雑学知識は豊富、という、最高に魅力的なキャラクターだ。

このシリーズはどれも大好きだけれど、中でも一番好きなのは「魔女の隠れ里」だ。これはミステリでありつつ、もの悲しい真相や、幻想的でぞくっとするような後日談があり、なんとも余韻の残る作品なのだ。


少し脱線するが、私の子供の頃は、テレビでもミステリ全盛期だったなー、と思う。小学生低学年の頃にドラマ「金田一少年の事件簿」(堂本剛主演の)があり、月曜日の夜7時からはアニメ「金田一少年の事件簿」と「名探偵コナン」が連チャンで放送されていた。

「金田一」と「コナン」は同じミステリでも、だいぶ毛色が違うなと思っていて、「コナン」は刑事ドラマに近く現実的(刑事ドラマが現実的かと言われるとそうでもないかもしれないが)、「金田一」は劇場型というか、ファンタジーに近いよな、と思う。だって、どの事件の犯人にも名前(地獄の傀儡師、とか、コンダクター、とか)が付いてるなんて、どう考えても現実の事件ではなかなか考えられない。完全に個人的な感覚だけど、本家の横溝正史だったり、江戸川乱歩の雰囲気に近い。

夢水シリーズはどちらかというと「金田一」寄りだな、と思っている。子供向けの作品ではあるけれど、はやみね先生があとがきで言われている「赤い夢」という言葉が、どこかおおっぴらにしにくい、蠱惑的な響きを持っていて、それが作品全体の雰囲気に繋がっている。そういう、「子供らしさ」とか、「健やかさ」のような大人が求めるイメージと対極にあるものに惹かれる時期って、誰にでも(少なくとも本が好きな子供には)あると思うのだ。(後に江戸川乱歩の「赤い部屋」を読んで、元ネタはこれか!?と興奮した)

夢水シリーズを夢中で読んで、次に虹北恭介シリーズに手を出した。これのあとがきに綾辻行人「十角館の殺人」が登場し、興味を惹かれて手に取ったのが中学生の頃。ここから新本格ミステリというジャンルにハマり、館シリーズをはじめ、御手洗潔シリーズ、有栖川有栖作品等にのめりこんでいった。ちなみに、こういうミステリ作品を読んだ後に改めて夢水シリーズを再読すると、既存のミステリのネタが随所にちりばめられていてニヤニヤできる、というのが大人の楽しみ方だ。


こうして思い返すと、はやみね先生はミステリの世界への案内人であったのだとつくづく思う。そんなはやみね先生の作品が、令和の子供たちにも愛されているのがとても嬉しい。学校の先生でありながら、大人の正しさを子供に押し付けないところ、子供がわくわくドキドキする要素をこれでもか!と詰め込んでくれるところ、最後に考えさせられる余韻が残るところが大好きだ。

この映画化を機に、小説のはやみね作品に夢中になる子供たちが増えるといいな、と陰ながら思っている。そして原作への思い入れをあーだこーだ言いながら、自分もこの映画を見るのを楽しみにしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?