アナログ  `今日、木曜日。'

2023年10月6日公開、映画「アナログ」。原作はビートたけし。二宮和也が演じる建設クリエータ水島悟。波瑠が演じるケータイ電話を持たない謎めいた女性、美春みゆき。口元に氷の微笑とともに秘密を隠す。このふたりの恋愛ものがたり。ケータイを持たない女性。それを介さずお互いの関係を築くふたりの間の「アナログ」生活。これらが、本作品のタイトル、「アナログ」となっていると思われる。
みゆきは、ケータイを6年間持たずに暮している。私も、それを6年間持たずに暮していたことがあった。「アナログ」生活を実体験した。311からである。震災発生直後から、それが不通となった。喫緊の事態に際し、人々が最も欲するインフラのひとつであるものが途絶えたのである。人々の頼りたいという気持ちが裏切られた。ケータイはひとを裏切る。これが、私がケータイをやめ、「アナログ」生活を始めた理由である。
同時に、ひとはそれを、ひとを裏切る時につかう。この時にうってつけのToolである。お腹が痛くなった。電車が遅れた。道路が渋滞している。数本の指で、数本のタップで、簡単にひとを裏切る。

ここで。
問題提起したいのは。‘ケータイが好きなのか?’、それとも、‘相手を思いやっているのか?’どちらであるのかということだ。

‘前者’は、「デジタル」人間として、それを常に肌身離さない。
例えば。自分の送ったLINEにいつも15分以内に既読がつくことに`こころ'の安寧を求め。自分の思い通りの返信が、相手からあることで`こころ'が満たされ。自分のお気に入りのスタンプが相手から送られてきて`こころ'が温まる。
これらすべては、自分の欲望を満たすために、ひとにモノゴトを求めている。砂漠が水を欲するがごとく、モノゴトを求める。ブッタは、これを渇愛と言った。さらには、セルフを満たしてくれることを、常にひとに強要したりさえもする。ひとに求めるのは、ひとを信じていないことの裏返し。

`後者'は、LINEに既読がつくのが遅かろうと、相手の返信内容が自分の思っていた通りでなくとも、嫌悪感を覚えかねないスタンプを見ても、相手を不信になったりしない。相手に求めていない。渇愛がないか、あるいは、少ない。そして、ひとに強要しない。ひとに求めないのは、ひとを信じているあかし。

本作品中で、
さざ波のように優しく鼓膜にタッチする‘フレーズ’、
`今日、木曜日。'
あのひとに。
あのひとに。会える。
あの喫茶店、Pianoで。
この信じる`こころ'が、「アナログ」の底にずっと、そっと流れている。
さざ波のように優しく鼓膜にタッチする幾多りらの‘With’と、そっと、よりそって、、、


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