2月27日(水)日記

舞台が終わり、家に帰っていると
女性に声をかけられた。

「堂前くん、覚えてる?」

正直、覚えていなかった。
僕は思わず
「あ、あーっす!お久しぶりすえ」
と言ってしまった。
敬語ともため口ともとられない絶妙な言葉。

なんとか思いだそうと記憶をほじくっていると

彼女は自ら名前を名乗ってくれた。
「江野ほなみ」
その名前を聞いた瞬間
ぶわっと一瞬にして
記憶がよみがえった。

小学2年生、僕は習い事を始めることになった。
クリエイトハンド教室。
簡単に言うと
両手を使って、指などを交差させたりして
顔みたいなものを作るやつだ。
親は手先が器用になると思ってその教室に僕を通わせた。
教室に通っていたのは、僕と、江野ほなみの二人だけだった。
通っている学校は違うため
最初は緊張してほとんど喋れなかったが
同学年ということもあり、次第に仲良くなった。

半年もする頃には、お互いの家へ遊びに行くようになったりもした。
江野家のリビングでは大きめのブルドッグが飼われていたのだが、僕は当時そのブルドッグがとても怖かった。
江野ほなみもその事は分かってくれていたので
家に入った後、ブルドッグにバレないように
二人でこそこそと、二階にあるほなみの部屋までいっていたことをよく覚えている。

部屋では、オリジナルのクリエイトハンドを二人で考えたり、指のストレッチをしたりして遊んでいた。

今思えば可愛い子だったが、その時は特に異性としての意識もせず普通の友達の感覚だった。
それは江野ほなみが持っていた男の子のような考え方や立ち振舞いのせいでもあったのかもしれない。

一緒にクリエイトハンドのコンクールに出場した時。
僕は一番の得意クリエイト「フクロウ」で金賞をもらうことができた。
江野ほなみは賞をとることは出来なかった。
江野ほなみのクリエイトは「寿司屋の大将」。
僕は、なぜ得意の「アライグマ」でいかなかったのか尋ねると
「賞取れんくてもいいから勝負したかった。伝わらんかったか~」と悔しそうに話していた。

そんな江野ほなみのことを僕は子供ながらに尊敬していたのだと思う。
一緒に遊んでいてとても心地が良かった。

だが、事件は起きた。
僕がクリエイトハンド教室に通い始めて2年くらい経った頃、教室で習い事の話になった。
みんなが野球、ピアノ、バレエなどの話を楽しそうにしている。
僕も意気揚々と「クリエイトハンドしてるで!」と会話に参加したが
クラスメイト達は怪訝そうな顔で「え?なにそれ?」と気味悪がった。
僕は「いや、こういう風に、手で動物とか作るんよ」とフクロウを見せたが
「気持ち悪!なにその習い事!習うな!」とバカにされ
僕は結局大勢のクラスメイトの前で大泣きしてしまった。

その日家に帰って僕はすぐに
「クリエイトハンドもうやめるから」
と母親に言った。
母親には止められたが、聞かなかった。

クリエイトハンドを辞めて1週間ほど経った頃だろうか、電話があった。
電話をとった母親に「ほなみちゃんからよ」と言われたが、僕は出なかった。
もうクリエイトハンドに関わりたくなかった。
クリエイトハンドと縁を切りたかった。

でも一番の理由は、
バカにされたから辞めたという事を江野ほなみに知られるのが嫌だったからだ。
申し訳なかったし、恥ずかしかった。
それは自分でも分かっていた。

そこから江野ほなみとは一度も会っていなかった。

ふと思い出す事もなかったのは、自分の脳の奥底に
「嫌な記憶」として蓋をされて、思い出さないように厳重に守られていたからだろう。

そんな、江野ほなみが目の前にいる。
およそ20年ぶりに、大阪の街で。

「私の事覚えてる?」
江野ほなみは言う。

僕は
「覚えてる!く、クリエイトハンドの」

江野ほなみは嬉しそうに
「そ!久しぶりやねえ」とにっこり笑った。

「なんであの時クリエイトハンドやめたん?教室私一人でめっちゃ寂しかったわ笑」と続けて言う。

僕は
「ご、ごめん…」
と言う事しかできなかった。
20年経った今でも、申し訳なさと恥ずかしさが押し寄せた。
正直に話せない自分が情けなかった。

江野ほなみはそんな僕の事など気にせず
「私、こんなんも出来るようになったんよ!」と
両手で「松井秀喜」を作ってくれた。
松井秀喜にしか見えない見事なクリエイトハンドだった。

あの頃と変わらず明るく振る舞う江野ほなみと
もっと話がしたいと思い、
どこか呑みにでも誘おうかと思ったが
松井秀喜の顎の部分を構成する薬指に
光る指輪が見えたので

なんとなく誘うのはやめた。

江野ほなみはたまたま出張で大阪に来ていたらしく
次の会議があると言い、去っていった。
一応連絡先は交換したが
もう会うことはない。そんな気がした。

ただ、これからは
ふと思い出す事もあるだろう。

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