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愛おしい時間について

中学の頃の日記を読み返して、捨てました。

もう、なんというかね。ひどかったですね。
好きな子に振り向いて欲しいしか書いてない。彼氏いることが判明したのに友達でもいいから会いたいとか、今ならストーカー紛いの手紙の下書きとか。これを実際に送ったという事実を直視するだけで死にたくなります。若かったんだよ、では済まされないモテない男の悲哀が童貞臭として漂ってくる行間。いやぁ、キモい。ほんとうにキモい。子どもも大きくなってきたし、ほんとうに捨てて良かったと思うのよ。読まれる前に処分してよかったと思うのよ、日記。

でも、確かにキモいけどエモい部分もあるの。

まぁ、なにをもってエモいと言うかなんですけどね。いわゆる大人になると言いたいことは言わなくなるし、ある程度躱したり自己完結する能力というか経験が備わってくるじゃないですか。中学のぼくにはそれがない。くそ垂れ流し。笑っちゃうくらい馬鹿正直で、信じられないくらいピュア。きっとカノジョもどこかでぼくと同じ気持ちでいてくれてるはずって信じてるんです。よくもまぁこんなこと書くねと言いたくなるくらいでしたけど、眩しくてさ、ちょっとエモいやんて思っちゃったんですよね。ぜったいあの頃には戻りたくないけど、あの頃は真剣にそのことで悩んでたんだなぁとか他人事みたいに思ってる。他人行儀なんでエモいって思っちゃうんじゃないでしょうか。あの頃から本質は変わってないけど、それを認めたくない自分もいて。たとえば過去に戻ったって結局なにも変えられないんじゃないかって思うの。だから、もう過去なんだよねぇ。でさ。こういうこと書くとさ、必ず議論になってくるお題ってありますよね。

じゃあ、過去をやり直せるならどこに戻る?

ところがこれって案外思いつかない。初めての彼女に告白から3日で盛大に振られた夜はぜったい嫌だし、自分が嫌いになる程に大好きだった人を傷つけた夜にもできれば戻りたくはない(やりなおせる自信がない)。受験や就職活動なんかのいわゆる人生の岐路をもう一度経験する余力もないですね。ぼくの大好きな映画である「アバウトタイム」よろしく、好きになった子とのはじめてのセックスを何度も繰り返したいとかもあんまり思わない。、、いや、それは思うかもしんないな。
とにもかくにも、要は今に満足している自分がいて、明日はもっといい日になるとどこかで信じている自分がいるんです。過去を変えたところで、今の自分以上に満たされる人生に変わるのでしょうか。やり直せるくらいならこれからを変えたい。それって前向きだししあわせなことだよね。それ自体は。

でも実はそれって危険なことなんですよねぇ。

おれが死ぬわけないから保険に入らないとか、絶対バレるわけないから不倫しますとか、根拠のない自信みたいなものを持ちはじめるとなんだかおかしなことになってきて、想定外の事態が起きると動揺して墓穴の底でさらに穴を掘る、みたいなことになったりします。
なんで、ぜんぶ想定するのはむりだけど、ある程度予測して準備しておくってのはいつの頃からかするようになった。たぶん、中学の日記のあと、現実を直視するようになったときでしょうね。するとですね、不思議なことに今度は世の中を斜に構えて見ちゃうの。要は人間関係にすっと線を引いちゃうみたいな感じです。ね。

どんなに仲よくても他人は他人なんだから。

そんなこと思いつめていくと、友達にも心許せなくなったりするしなぁ。だけど、極端なんだけど、ぼくの場合、仲良しが過ぎると相手に依存しすぎちゃうことがこれまで多々ありました。その中学の日記でも、当時の親友におんぶにだっこの精神状態であれも相当キモい。もう彼とは連絡とってないですが、フェイスブックでたまに見かけると元気かなぁ、とは思ったりする。昔のカノジョの名前を検索したこともあるけど、べつに得るものは何もないわけで。
ま、なにが言いたいのかというと、どうやら距離感は自分でルール決めするしかないみたいなのです。

人間万事塞翁が馬。

人間らしく一喜一憂するとしても、余計な振れ幅はいりません。今日の最善の選択が明日の不幸を招くかもしれない。逆も然りなわけで、相手もあることなら尚のことわかんないので、じゃあ、自分がこうしたい!と思えることをやり続けるしかないわけです。いちいち過度に気にしたり調子に乗りすぎたりしてるわけにもいかない。
ぼくは特に大好きな人たちには嫌われたくないので、大好きな人たちがぼくに期待するぼくであり続けたいと思ってます。これはたしかに疲れるけど、その期待像も時間とともに変わっていくみたいで。だからこそ、昔はこうだったのに!とか相手に言うべきじゃないよね。
「アバウトタイム」や「バタフライエフェクト」みたいに過去に戻って未来を変えられるわけじゃないんですけど、過去に変えてきた今を生きてるわけですから、これからも今で未来を変えていきたいと思います。なんつって。

駄文長文になりましたが最後に一つだけ。

ガンジーのいうところの「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」は好きなことばのひとつだけど、「葉隠入門」で三島由紀夫も似たようなことを書いています。ぼくは武士道には疎いですが、人生って「生きる」という行為そのものではなく、「ただ死なない」もしくは「まだ死ねない」という行為の連続なのかもと思ったりするのです。とするならば「ただ死なない」という受動的な人生ではなく、「まだ死ねない」という能動的な人生を送りたいですねぇ。
中学の日記を残したままでは「まだ死ねない」、そう思ってこの夏をひとつの区切りに日記を捨てた次第でございます。

#コラム #エッセイ #世迷いごと #駄文長文 #人生について #アバウトタイム #平成最後の夏

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会社員。疲れたら、歌作ったり、絵描いたり、文章作る素人。初フルマラソン完走も左膝痛めて未だに動けず。当分の間、引きこりたい。なのに世界はほっといてくれんのだ。Jitter Butterに名義替え、リスタート。ボヘミアンラプソディ鑑賞して泣くような、昨日までの俺は死んだ。
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