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適応障害になって思ったこと


3月から就労をはじめ、
5月のGW明けから体調がおかしくなり、
思い当たることも多々あり、
5月26日夜に、地震と発砲事件というショックなことが連続で起きたとき、
「自分が犠牲になればよかった」という思考に陥り、これはまずいと思い、クリニックへ。幸い日曜も診療をされていることと、市内にあるというありがたさに救われる。

診断結果は適応障害。2ヶ月の休養が必要と判断される。

社会保障や制度、そしてひと昔前とは違う「そんなの甘えだ」という風潮がどんどん変わってきたなという、社会に救われる日々。同時に仕事を考えて、「私は安易に今の仕事を選んでしまったのか」とも思い悩む。

さて、私は安易だったのか。YESでもあるし、NOでもある。

今の仕事を選んだ理由

あえて派遣を選んだのには理由がある。
資格予備校に通うためと。

私が選んだコースは夜間コースで、「昼間は仕事をしている人」という前提でのスケジューリングがされており、また講座の日が祝祭日にあたっていた場合は授業が昼に開講される。同時に11月に行われる試験も日曜日にあるので、それならばもう土日休みで定時に上がれる仕事を割り切ってやろうと思ったことで、「ならば派遣で探そう」と決めた。実際、通勤もしやすいエリアで定時で上がれることはとてもありがたく、好きな飲食店で毎朝コーヒーを飲むことが日課になっていたぐらい。

しかし、人間関係に悩まされることになること、それだけではなく思った以上に仕事の割り振りの仕方が下手すぎるととに辟易しはじめたこと、何より「単なる使いパシリ」として扱われているんだろうなというようなことが起きてしまった。派遣会社には割と早めに報告もしていたのだけれども、その後決定的なことが起きてしまい、「もう次の更新で止めて、次は別の派遣先を紹介してもらおう」と決めた。

結局病院に行く方が早くなってしまった。

本当のところ悩んでいた。いざ仕事を始めてExcelの技術を活かせる仕事をしながらも、仕事上、法務部と割と連携をしているので「法律の勉強をしているから、同じ事務アシスタントするなら法務部がいい」と思うことが増えてしまったこと、思った以上に民法が難しく、抵当権や財産に関することをもっと自分に落とし込んでいくなら、金融系の企業に派遣されるべきだったのかともあった。

一体何が原因だったのかと思ったけど「自分のやりたいこと」にもっと貪欲にならなかったのは、自分の反省点だったのかと思った。

今後の仕事

今回の件は労災の関係もあるから、向こうが謝罪してくるなら「じゃあ誠意を見せていただけるのであれば」と書類作成させようと思っているので簡単に突っぱねていない私。今回の原因は派遣先企業にあるので、簡単に「やめて次に行く」と言わなくても良いのかなとも思っている。同時に、仕事場を変更するのは大切なことなので、そもそも今後も派遣会社を通して仕事するかどうか、ということも考えていく必要もあるので、そんなに簡単に決断しないでも良いかと思った。逆にここでいきなりパパっと決めるというより、多少ズルくても時間をかけようと思った。

その時に自分の今後の目標についても話しながら、方向性を決めていくのが良いかなと思ってる。同時に、今回は派遣会社の方が思った以上に色々うごいてくれたことに感謝しかない。

少し休みながら、次に行こうと思う。

今回よかったと思ったのは

自分に夢があったから、早々に動けたこと。もしこれが行政書士になる夢がなくて、なんとなく9時5時で終わる仕事をしているだけ、だったらおそらくもっと長引かせて、病院送りになっていた可能性がある。
「給付金受け取っているとはいえ安くない値段を資格学校に支払ったぞ」という意地と、試験まであと半年なので頑張りたいという気持ちでいっぱいだった。執着するなら仕事ではなく自分だという気持ちが、私を救ってくれたのかもしれない。

大袈裟かとも思うけれど、人間は思った以上に簡単に命を落としてしまう。身近な人から直接、死ぬこととは別で人生を大きく狂わせてしまった人を知ったこともあり、「私は正しい選択をしたんだな」と思った。

帰り際に、大好きなミュージカルに出演経験もある、Shihoさんを目にした。「あぁ、私も自分のために頑張ろう」と素直に思えた。今日から療養期間。無理しない範囲なら、何をしても良い(むしろ、ちゃんと動くことが一番の療養)なので、なかなかできなかった法律の復習と、可能ならば芝居の当日チケットを狙いに行こうかと思ってる。療養期間後の私の日常は、明るい。

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