自己保存の成立に向けて

「最低でも3年は続けてみる。それでもだめだったら、辞めればいい」

よくある「石の上にも3年」という説。ぼくは完全に違った考えを持っている。「辞めたいと思ったときが辞め時」だ。

3年後に「よし、3年たったし、やめよう」と決意したところで、それは本当の理由ではない。辞めようと思った当時の気持ちを、そのまま維持出来るわけがない。維持出来たとしても、3年間我慢出来ている。3年後の自分は大きく成長している。「3年たったし辞める」は後付けの理由となる。後付けの理由に沿って自分を曲げ、演じている。辞めたいと思ったら、明日にでも辞表を提出することが一番正しい。

働くということは、「他人に身を売る」ということだ。労働力を売っている。生活のために必要な物資を得る手段だ。しかし、残業代を支払わない等、支払われた価値に対して提供した労働力の価値が大きいというならば、労働力という所有物を奪われるという条件で身を売っていることになる。ここに疑問を持たなければいけない。こんなところに3年居続けることに価値はない。「余命3年」を宣告されたとしても、このまま現状維持を選択するだろうか。我慢する3年も余命3年も、同じ3年だ。

鳥に意思があるとすれば、空を飛ぶ飛ばないを決めるのは鳥だ。だが、大空を飛べる自由を捨ててまでカゴに入ろうとするのは、おかしくないか。産業革命が起きた時代と同じ課題が現代でも発生している。先人たちの反省を、繰り返してはいけない。

それでも歴史は繰り返す。「人間の本質」は変わらないという証左だ。過去の教訓を生かさなければ、同じ轍を踏む。人は常に学び続けなければいけない。

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