「NHKから国民を守る党」から国民を守らなくてはならない理由

NHKから国民を守る党の立花代表が炎上している。経緯を簡単にまとめるとこうだ。

マツコデラックスが民放の番組でN国に疑問を呈す

立花氏、同局のスタジオに押しかけ生出演の目の前で1時間批判演説

立花氏、更にYoutubeで下記のように攻撃
・テレビ局の謝罪が無い場合は毎週押しかける
・「国会議員がマツコ・デラックスをぶっ壊す!」と加害予告
・番組スポンサーに対して名指しで不買運動を宣言

攻撃した番組スポンサー筆頭がシウマイで有名な崎陽軒。国会議員が対立意見を述べた人間を攻撃するに留まらず、国会議員がその立場を使って崎陽軒を攻撃したことに批判が集中した(※1)

民放は常に偏向報道の圧力にさらされる
自分に不利な番組スポンサーの不買運動をする。売上を伸ばすつもりの広告で売上を減らしてしまうならスポンサーは広告出稿から降りる。スポンサーが降りればテレビ局は収入源を断たれる。収入源を断たれては困るので民放は批判者に忖度する。
結果として立花氏側が炎上したが、彼が言論を封殺する狙いは明確だった。

民放は広告収入の増減に敏感だ。僕も在京キー局から仕事をもらっていた時期があるが、当時はセキュリティゲートを入ってすぐのところに番組ごとの視聴率成績表が張り出されていた。視聴率は広告収入に直結する数字だからだ。

視聴率を狙うため、キー局は大衆にウケる番組を目指さなくてはいけない。大口スポンサーに配慮をして伝える内容を変容させなくてはいけない。スポンサーが車メーカーの医療ドラマで救急搬送が最も多い交通事故は詳細に描けない。純粋なクリエイターとしての伝え方と会社的な伝え方の両立はとても難しく、ジレンマに悩むテレビマンは少なくない。

このように広告収入に頼る民放には情報を変容させて伝える市場原理が常に働いており、今回のN国立花氏の行動はまさにこの圧力の象徴と言える。


市場原理から自由な報道の意義
あなたが広告収入に頼るテレビ局の社長だとして、日本人口の1%もいない高校1年生向けの数学番組を作れるだろうか?大口スポンサー企業の不正が発覚した時に収入源が断たれるのを承知で批判が出来るだろうか?

視聴率が取れなくとも一部の人に非常に重要な情報を伝え、広告主に忖度することなく社会問題を伝えることは、市場原理に縛られる民放では困難だ。広告費を収益源としない放送の存在意義がここにある(※2)

国営にもデメリット
市場原理から解放される方法として国がテレビ局を運営するケースもあるが、国営放送にも同様の問題がある。大口スポンサーと同じように国に対する批判に対して圧力がかけられるリスクだ。政権を握っているプレイヤーが圧力をかけるため与党に批判的な意見は封殺され、一党独裁体制を強化する傾向がある。この圧力による偏向リスクは北朝鮮の国営放送を想像してもらえば容易に理解できるだろう。

また日本で国営化した場合に危惧されるのが報道の質を顧みない競争入札だ。番組の質を問わず一番安いところが受注する形式だとゴミのような番組に貴重な電波が浪費されることも懸念される。

受信料方式も一長一短
受信料方式は、市場原理からも政権からも一定の距離を取れる方法として有効だ。広告主に不利な情報も、政権に不利な情報も忖度なく伝えることができる。地域が限定される自然災害も民放より手厚く報道できる。一部民放では震災後に目立ったが、視聴率を気にするあまり過激な演出をする必要も少ない。
このような情報はスマホやPCを使えない情報弱者を含めて広く国民に周知する必要がある。しかし受信料を払った人だけが見られるスクランブル方式ではこれは不可能だ。情報弱者が自然災害に巻き込まれてから受信料を振込に行く余裕は無い。
一方で非効率な集金方法や、受信料を払っている人と払っていない人の間での不平等など、デメリットも確かに存在する。問題なのはこのデメリットと、構造的に偏向の起こりにくい情報に国民が触れられるメリットをどう評価するかだ。

何故スクランブル化しないんですか?⇒オマエみたいのがいるからだよ
さて、ここで立花氏が行った一連の行動を振り返ってみよう。
① 市場原理と
② 国会議員の権力を利用して
③ 民間人と民間企業を「ぶっ壊す」と脅迫
④ 自分に批判的な放送を封殺しようとした

皮肉にも彼の行動すべてが受信料方式の有用性を裏付けるものだ。

また彼は選挙活動から一貫して扇動的な言説により、彼の会社に1日で50万ものyoutube広告収入が入るようになったことを以前公言している。今回の炎上騒ぎでPVを相当稼いだため広告収益は更に増えたことだろう。民間人を脅迫して自社の収入を激増させているのだ。

政見放送で彼は「何故 スクランブル化しないんですか?」と問いを投げていたが、答えは明白だ。彼のような圧力者から報道と国民の知る権利を守るためだ。
テレビの現場で働き、真に国民のことを考えている人間なら受信料方式のメリットは最低限理解しているはずだ。むしろメリットも理解せず「何故 国会議員になろうとしたんですか?」と問いたい。

マツコが感じた「N国キモチワルイ」の正体
立花氏は一部国民の感情を煽り、批判意見を弾圧し、扇動の過程で自分の会社の広告収益を増やしている。制度の穴をハックして自社の利益を獲得する、ある意味天才だ。しかし国民にとって必要なのは、制度をハックして自分の会社やミクロ的な利益を目指すポピュリストではない。国民全体に利益をもたらす制度を作る政治家だ。扇動で宗教的な支持を得たポピュリストが台頭すると国は亡びる。

マツコ・デラックスは「これから何をしてくれるか判断しないと。今のままじゃ、ただ気持ち悪い人たち」と述べているが、扇動の結果自社の収益を増やし続けるポピュリズムの台頭に気持ち悪さを感じるのは当然だろう。


国民の弾圧と言論の封殺を許してはならない。
国民を扇動し自社利益を得る政治屋。その台頭を許すかどうかは我々の良識に委ねられている。



※1
スポンサーの中でも、立花氏に有利な番組のスポンサーでもある企業に関しては「不買しないでください」と擁護。報道の封殺基準が「自分に不利な経済活動をしているか」という首尾一貫した利己意識が見受けられる。
※2
N国の幹事長兼選対本部長を務める自称ジャーナリストの上杉隆は、センセーショナルなデマで金儲けをしてきた人物であることを付記する。まさにN国の理念を象徴する人物と言える。

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