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小説「喫茶ナゴリタン」③

三 コーヒーは生活の句読点

「記憶を食べてるのかもなって思うんだよ、人間は」

「うーん…それはなつかしい味っていうことですか?」


すでに私はマスターの哲学的フレーズを咀嚼することが楽しくなってきていた。


「それも一つなんだけどねえ、もっと先の前世とかの記憶、あるいは人類共通の記憶とか…」


マスターは皿を磨きながら宙を見てボソボソしゃべった。ときどき宇宙人と交信しているかのように遠い目をして。


以前、ショウダイと一緒に来て以来、ここの名物メニュー「ナゴリタン」が恋しくなってしまい、とうとう私は一人で店にやってきたのだった。


「じゃあ、このナゴリタンは私の先祖が食べてたかもしれないってことですか?」

「そうそう!全然ない話ではないと思うよ。あるいは逆に昔は食べられなかったから、かわりに今、お姉さんが食べてるとか……」


半分からかうような表情でマスターは言った。本当なんだか嘘なんだかよくわからない微妙な話をよくする人だった。


「ほんとですかぁ?マスターはそういう霊感的なもの強い人なんですか?」

「いやいや、俺は霊が見えるとかはないよ。なんとな~くいや~な空気……とかそういうのは感じたりすることはあるけど」

「なーんだ。実は私、根拠はないんですけど、沖縄には何かに呼ばれてやってきたような気がしてて……」

「自分でそう感じるなら、きっとそうなんじゃない?」

「そういうもんですかね?」

「そういうもんですよ、意外と」

「ユタの人とかに見てもらったらはっきりするんですかねえ?そういうのって……」

「うーん…でもはっきりしたところで、今自分でできることってのはあんまり変わらないんじゃない?」

「あーなるほど……確かにそうかもしれないですねえ…」


 答えが出たところで問題は解決しない。マスターが言う通り、人生はそんなことの連続だ。ちょっとがっかりした私の様子を見たせいか、マスターは続けた。


「そういえば前に常連さんが連れてきてくれた人に、その筋ではすごい能力が高いと言われてるらしい、ユタの人がいてさ」

「へー、すごーい!」

「ちょっと聞き耳たててたらさ、なんかこう…すごいはっきり見えてる感じはしたよ」

「なんかぼ~んやり見えるとかじゃなくて?」

「そうそう。あ、見える人ってこんなにはっきり見えてるんだ……って思ったもん、その時初めて」

「やっぱりねえ。一度でいいから見て欲しいんだよなあ。私の守護霊さんとか前世とか…」


ナゴリタンはやや太麺の沖縄そばでできている。そのせいかうっかりパスタのような感覚でフォークをさすと、思った以上に沢山すくえてしまうことがある。私はぼんやりフォークで麺を口へ運ぶと、口の中がパンパンになってしまった。

沖縄そばの麺は弾力が強く、塩味も効いていて、かん水が入っているせいか中華麺のような風味もある。ともすれば洋風の味付けとは合わないように思われるが、トマトケチャップというものはすべてを美味しくまとめ上げてしまう味の腕力がある。

そんな剛腕ぶりを発揮するケチャップ味を中和するのが、ナゴリタンには欠かせないゴーヤーの付け合わせだった。「にがさっぱり」としたリセット力。マスミにとってナゴリタンは、沖縄に移住して以来最高のヒットメニューになっていた。


「そんなに気になるなら、かみさんに詳しく聞いとこうか?」

「ふぇ?奥さん見える人…なんですか?」


口の中にナゴリタンが残ったまま反応してしまい、私はあわてて水を飲んだ。


「いや、かみさん自身はそんなに見えたりするわけじゃないみたいだけどさ。知り合いとか親戚には多いみたいよ、その手の人が」

「へーすごーい」

「特に沖縄生まれの女性はさ、年とともにその手の感性が強くなるみたいでさ。かみさんもたまーにスイッチ入ったみたいにその手の感度が上がっちゃったりはしてるらしいよ」

「あーそんな話聞いたことあります、私も」

「だから俺にはあんまり言わないけど、なんか思うところがある時さ、知り合いのユタに見てもらったりはしてるみたい」

「やっぱり密着してるんですかね、沖縄の人の生活には」

「そうだねえ…」

「奥さんが今日いらっしゃったら、色々お話聞けたのかな…」

「うーん今日に限って…実家のお義母さんとこ行く日だったからねえ」


マスターの口ぶりから「介護か何かかなあ」とも思ったけれど、あえて私は深く聞かなかった。


かばんの中で携帯のバイブ音がした。タイミング的に私はショウダイからのメールだろうと思った。マスターは食後のコーヒーを落としてくれていた。


「例の彼氏?」

「え?あ、そうですそうです。バイト長引いてるみたいで今日は会えないみたいで……」

「そっか」

「あーあ、マスターの奥さんにも会えないし、待ち合わせにも失敗だし、なんだか今日は間が悪いな……」

「そんなときもありますよ」

「でも私の貴重な学生生活は、あと1年もないんですよぉ?」

「そっかあ、お姉さんはあんまり就職したくないタイプ?」

「そりゃそうですよ」

「フフ…そうだよねえ、はい、ホットお待たせー」

「イェーイ!待ってました」


この店のホットも気に入っていた。私のバイト先のカフェでは、深煎りの豆を全自動のマシンで落としていた。いろんなアルバイトがコーヒーを作る店だから、味の違いが出ないようにしていたのだろう。看板メニューのパンケーキの甘味に負けないよう、店長が苦みの強いコーヒーばかりを選んで仕入れているらしい。

一方、喫茶ナゴリタンのコーヒーは、昔ながらのペーパードリップ。繊細な味だからカフェラテなどにすると、ミルクの味に負けやすい面はあったけれど。口当たりがなめらかで優しいので、ストレートで飲むと最高に美味しかった。豆自体の甘さやうまみ、ダシの様なコクを楽しむことができるのだ。ここのコーヒーを飲んで以来、私は「スイーツとのペアリングは水でいい」とすら思うようになった。


「マスターは、なんか色々な仕事経験されてそうですよね…」

「あれ、バレちゃった?まあ転職は割と多めな方だったかねえ……」


苦笑いを浮かべたマスターは、ドリッパーからコーヒーかすを外しながら答えた。


「でも結局それが今の仕事につながってるわけだから、後悔してる経験は一つもないよ…とかいうと少しカッコつけすぎかな?」

「いえ、めっちゃいいと思います!あの~ちなみにどんな仕事をされてきたんですか?」

「うーん、一応俺、売れないバンドマンだったからさ。それが中心の生活ではあったんだけど……」

「えーっ!バンドマン!?ジャンルとかは……どんな感じだったんですか?」

「まあそうだなあ。パンクっぽいのやミクスチャーっぽいのやらいろいろやったけど……平たく言うとキャッチーなロックとかになるのかな」

「いいですねえ~」

「いやあ、でも今考えたらロックバンドなのにキャッチーっておかしいんだよ」

「なんでですか?」

「だってロックっていうのはさ、社会に媚びないというか、現状に対してNO!って突き付けていく音楽だから、もともと」

「はぁ」

「だから観客にどっかこびてキャッチーなものを作っている時点で、すでに逃げ腰の様な……」


マスターは例の少し遠くを見つめる目になった。音楽にそれほど詳しくない私は、この後に始まりそうなマスターのうんちく話をさけるべく、無難な別の質問を考え始めていたが、適当な話題が見つからなかった。


「そういうものなんですね……。ちなみに楽器とかは…?」

「うん、一通りの楽器はできたんだけど、最終的にはベースだったね」

「へえ~渋いですねえ、なんかそう言われると、マスターがほんのりベーシストに見えてきました!」

「なんだよ、ほんのりって……」

「いやあ、なんか革ジャンとか着てるイメージが全然わかなかったから…」

「いや俺らの時代でもすでにバンドマンはあんまり革ジャンとか着てないから」

「え?そうなんですか?」

「勘弁してよ~」


微笑むマスターを見て私は内心しめしめと思いながら、いたずらっぽく肩をすくめると、両手でカップを持ってじっくりコーヒーを味わった。


「でも相当本格的にやってらしたんですよね、きっと」

「まあメジャーデビューとまではいかなかったけどさ。大手レコードの傘下のインディーズレーベルから2枚くらいは全国盤をリリースできたかな……」

「えっ、すごいじゃないですかっ!」

「いやいや、それが全然なんだよ。不思議なもんでさ。デビューしてどんどんお客さんが増えていくバンドと、減っていくバンドにきれ~いに分かれていくもんでさ。お察しの通りウチは後者でね」

「厳しい世界なんでしょうね……」

「まあそうだねえ、最初はチヤホヤしてくれてたお偉いさん達も、みるみるいなくなっていったからねえ」


自嘲気味に笑うマスターだったが、どこか誇らし気な様子にも見えた。


「やっぱり好きなことをちゃんとやってる人っていいですよね」

「そう?でもそうとも限んないと思うんだよ、俺は。だって好きなこととかよくわかんないまま、ただ求められることに答えてる内に成功した……なんてヤツも結構多いからねえ」


私は看護科を出てそのまま病院に就職するのが良いことなのか、正直なところ迷っていた。学校での勉強も病院での実習も充実していたのだけれど。現場の過酷さにふれるたび「一生続けていこう!」という入学当初の気持ちは目減りしていた。


「まあさ、しばらくは続けてみないと結局わかんないからね、どんな仕事もさ。自分に向いてるかどうかなんてのは結局ずっとわかんないのかもしれないし」

「やっぱりそうですよね!最近は私もあんまり深く考えすぎないで、当たって砕けろじゃないですけど、流れにまかせちゃってもいいのかな…とは思い始めてるんですけど」

「ほぉ~いいねえ、若いのにわかってるじゃん!」


マスターはかつてないほど興味津々な様子で目線をこちらへ向けてきた。


「え?いや、なんていうか、一応私も、これっきゃない!と思ってやりたいことやって生きてきてるつもりなんですけど。またすぐに首かしげちゃったりしてるわけじゃないですか?また今みたいに……」

「うんうん」

「だから…やりたいこともやりたくないことも、結局どれを選んでも一緒って言うか、どのみち全部正解に結びついているような気もするし……」

「そうだねえ。結局人生は死ぬまでずっと自分探しみたいな所もあるからねえ。でも、お姉さんの何を選んでも正解ってのは、すごくいい感覚な気はするけどなあ」


マスターはにこやかにそう言って小さく何度かうなづいていた。窓の外からは沖縄らしい強い夕陽が差しこんでいた。


私が社会人としてやっていけるのか。その答えなどあるはずがない。仮にそれらしいものあったとしても、永遠の正解ではありえない。現時点での正解はやがて経年劣化していくし、今最先端の最善策だってあっという間にアップデートされてしまうのだろう。変わらない自信があるとすれば、それは変わり続けるという覚悟みたいな、逆説なんじゃないか。

でも今、私の目の前には本当においしいと思えるコーヒーがあって、おだやかな気持ちでいられる場所がある。そう思える生活は一つの正解なんじゃないかと私には思えた。たとえ根拠らしいものは見当たらなくても、こういう愛おしい時間を奪われさえしなければ、私の選択は全部正解と言えるような気がした。この日、喫茶ナゴリタンのカウンターで、私はそんな小さな自信を入れていた。



その後、地元に戻り大学病院に就職した私とショウダイとの関係は、自然消滅してしまったけれど。喫茶ナゴリタンで出会った、ペーパードリップで淹れるコーヒーは、信頼できる私の伴走者となっている。休憩時間に味わうそれは、看護と言う激務の中でドラマチックに豹変する私の喜怒哀楽に、いつも優しく寄り添ってくれている。

私の生活にとってコーヒータイムは、きっと句読点のような存在だ。それが無くても文脈や意味は通じるけれど、それが無くなると棒読みで味気ないものに変わってしまう。時間に忙殺される日々に句読点が入ることで、リズムや休符が生まれるのだろう。生きた心地というのは、そんな抑揚によってもたらされているに違いない。


私が自分で淹れるコーヒーは毎回味にバラつきがあるし。味の違いなんてとやかく言えた義理じゃないのだけれど。コーヒーの一番の魅力は「ほっとさせてくれる」ことだとは思っている。それさえちゃんと味わうことができていたならきっと、多少淹れ方が間違っていても、私のコーヒーだって全部正解なのだ。


喫茶ナゴリタンで過ごした時間と、ペーパードリップコーヒーの味は、静かに私の人生を変えていたのだと思う。

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