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センチメンタル・ティーン

「あと1ヶ月もしないで20歳になるって実感、正直ないんです。
おんなじような景色ばかり見ていたら突然駅についてしまって、人混みの中を駅の標識どおりに進んで次の電車に乗り換えなきゃいけないって感じで、その特に浮きだった気持ちになれないと言うか、本当なら駅ナカのカフェであたたかいカフェラテを頂きたい気分なんです。」

なーんにもできてない気がするんだよね。漠然としたものだけど、どこか確実なもののような気がして前に進んだきでいたんだ。周りと比べるのはもうやめたはずなのに、またここで比べようとする自分がいる。何年同じことに悩むのだろう。悩んで悩んで、見つけたちいさな光を両手ですくいながら歩いてたのに、気づいたらスクランブル交差点の真ん中にいて、手に持ってたはずの光もどこかに落としてきて、どこでもらったかわからない冷めきったおにぎりだけ。これで命つなげて、また同じことの繰り返し。壊れたラジカセみたいだなと思う。
幸せになりたいと願う一方でどこかまた焦ってる気がする。みんながライフハックを得ている頃、私はぼーっと誰かの人生ばかり見つめている。それで今日を生きたつもりになって、満足したふりして寝るんだ。みんなが社会経験を増やしながら金銭を獲得する頃、私は必死にタイピングした2時間を100円にも満たないなにかに変える。時間はみんな平等にあるっていうけど、残酷だなと思う。
せっかく1ヶ月間みっちり学びを得ても、今人体の部位を必死に思い出そうとしている。私がこれから学ぶことはもっと広い世界の話なのに、人体一つとっても初歩的な名前が出てこないのだ。進んでいるようで何も進んでいない気がすることのひとつ。

「二分の一成人式」があった時代の私は、あの頃どんな20歳になると思ってたかなと考えると、何も考えていなかったようで実はとても夢見がちだったなと思う。「普通に中学高校を卒業して、友達に恵まれて、部活やバイトに明け暮れて、忙しい日々の中にも愛おしい人がいて、大学では専攻したいものがあって、その学びから将来の夢があってわくわくした20歳」なんてところだろうか。このさきの未来にまんま同じことが起きるって信じて疑わなかった。
でも今は、ネットやテレビを見るたびにミソジニーの考えに沈んで男性ってなんなんだ?って思い始めて、日本のなかなか深い闇が見えることばかり起きてくれちゃうから将来への希望を失って、学んでる学科の学びは無駄じゃないけど何にもなれないような気がしてきて、そんな毎日非能動的に過ごしてるだけで、あなたがなりたかった(もうすこしで)20歳の姿じゃないと思う。
私は誰かのために”だけ”生きるのをやめたけど、自分のためにも生きられてないんじゃない?今日気づいたの、私が幸せになるのを誰かが奪ってるって思ってたけど、結局は自分が奪ってるんだよ。私自身が、自分の幸せを願ってなくて、よく思ってないんだと思う。だから自分のためになること、幸せになることに努力できないし、積極的になれない。また頑張ったら身体を壊してしまうからっていうのを盾にして、自分の描きたい未来を見えなくしてる。
こんなに悲しいことってあるんだろうか。
私はこの6年で何かを得た気がした。何かになれた気がしてた。でももっともっとずっと前にあることを見過ごしてきただけで、何にもなれてないし、何も得てないのかもしれない。
時が経てば、勝手に回りは変化して、私の世界も変化したように錯覚できるけれど、私はずっと立ち止まってて、その錯覚に酔ってただけなのかもしれない。
彼らが変化の目まぐるしい世界線にいるのをいいことに、私は自分の生きていく電車(じんせい)が後ろを通過していくのを見て見ぬふりしていたんだ。
もしかしたら、それが「大人になった」と言うことなのかもしれない。
このことに今気づけただけでもいいって、未来の私は言うのかな。
こんなとりとめのないくそみたいな語彙の文をわざわざネットの海に投げるのも、それが周り巡って未来の私の足元に流れ着いてくれたらいいなって思うからだよ。
あわよくば誰かの足元に寄り添ってもいい。

こうやって深夜に自分の脳みそをランドセルのごとくひっくりかえして、あれでもないこれでもないってしながら、ひとつひとつ正しい場所に整理して、自分の感情として認識して、文にしてってしないと前見れないのは全然変わらないでいてほしいな。
17歳の頃のように感傷的に、触ったら泣き崩れてしまいそうなほど薄い膜で物事を見ていた感覚にはもどれないけど、これが精一杯の激動的なこころの動きだということにする。
ああ、私の春は晴れてくれるのかな。今年もど平日で家族だけに祝われてひっそりと終わりそうだけれど、私だけが感じるセンチメンタルな瞬間が訪れてくれるといいな。その頃にはこのコートも、きっと脱げる。

何本も見送った電車にいよいよ乗り込むときがきたのかもしれない。だけど、そこに乗っている人たちの顔がみんな同じに見える。きっと私も同じ顔になってしまうのだろうな。