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20

ずっと20歳になったら何か書こうと思ってたけど、全然浮かばなくって一週間も二週間も立ってしまった。


2019,
mar. 6.  
__________私は20歳になった。

0:00になった瞬間、突然涙が止まらなくなってしまった。いろんなことが入り混じっていたと思う。長い間描いていた自分の理想と違う現実、ここまで生き抜いてきた自分に対して、親への不甲斐なさ、とか。

こないだ行ったライブのMCで、私の好きなアイドルが「このCMに起用されるのも、もう6年目ですか。すごいですね、小学1年生がもう6年生になっちゃうんですもんね」と言った。そうか、それは長いな、もう6年も経ってしまうのかと思った。私はそんなに長い間”自分”というものと向き合ってきたのか。でも、最初の「あの日」から今日までのことを考えると、途端に時間的感覚がわからなくなってしまう。つい1年前のことにも思えるし、もう10年ほど経ってしまったようにも思えてくる。いくら思い出しても「なかったこと」にはならないだけ。

私のお尻には今でもそのしるしが残っている。ずっと何もできずにただ家の寝心地の良くないベットに寝ているだけの私が長くいたしるし。夕方に目を覚ましては、今日も自分の思い通りに過ごせなくて大好きな人の顔を見に行くこともできなかった自己嫌悪とこうしてる間にも迷惑をかけている人がいるのだという罪悪感の奴隷になっていると、またまぶたが閉じていく。その繰り返しだった。寝返りを打つことも忘れて、まるで誰かがベットに私を貼り付けているかのようだった。夢だったと思いたい毎日の代償に、私は今でも消えない下着の痕がくっきりとこのからだに刻まれた。

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今が地獄だと思ってる私へ

あしたのことを考えるより生きている意味を考えたほうがずっと楽に思えた「あのとき」と今では、あしたのことを考えるほうが簡単になってしまったよ。

それを変わったというなら変わらないこともいっぱいあるよ。こうやって脳みその端っこの方で考えていることが具現化されて、ことばとして生まれてくるのはいつだって今みたいな朝日が登ってくるときだし、朝ごはんを抜いたら当たり前に気持ちが悪くなっちゃうし、寝られない日もたくさんある。この世界に自分しかいないように感じるときもあるし、自分のまじめさに押しつぶされそうになることもある。どうせ押しつぶされるなら、押し花みたいにきれいになればいいのにね。

結局、地獄はなくならないんだよ。今の私には今の私の地獄があって、それに対しての適応や順応性が高まっていくだけで、目の前の地獄は消えない。きっとみんなもそうなんだと思う。
ただ、今の私は地獄を地獄だと思える。つらいのを、泣きたいのを、かなしいのを、精神論でごまかさないでちゃんと”自分のなか”で感じることができる。

ねえ、私、成人式に気に入った振袖来ていって、同窓会にも出てみんなに会ったんだよ。
あの頃、私の行き着く先について考え尽くすほど考えたよね。そこにこんな未来はなかった。それは自分の考えた未来を越えて現実は訪れたんだよ。
地獄を生き抜いてる私は、そのつらさをみんなにわかってほしかったよね。でもそこで会ったみんなに私の辛さを全部わかってもらうことはできないと思う。だから、みんなと会ったあとに心の中でひっそり泣いた。そして、その現実を受け入れることにした。
今度は誰かのつらさを、全部と言わず、少しだけわかるような人間になりたいと思うようになった。それは私には難しいことで、相手に飲み込まれて私がいなくなっちゃうかもしれない。だけど、ちょっとだけ挑戦したいと思えることができた。

あなたは自分という最強を味方につけて、たくさんのあたたかさに包まれながら生き抜いていきます。

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今の私に20歳になったという実感はないけど、そんなもんでしょ。
今までの私がひとつひとつずつ重なって今の私がいるなら、一番下にいる私はどんな「ハタチのわたし」を想像していたかな。今じゃわかんなくなっちゃった。
もし、「自分に対するやさしさを忘れずにいる人」だとしたらちょっと近づけたっぽい。