『レ・ミゼラブル』の「法の象徴としてのジャベールの死」について

大学の文学の課題で仏文学を1つ取り上げ感想文を書けというものが出たので、せっかくなのでここに載せておきます。ネタバレありですが、未読の方にはそもそもよくわからない内容になっているので、読んだことのある人だけどうぞ。

思えばnoteには読書感想文を色々載せる予定だったのに、中々書けていません。道徳哲学や法哲学などの本をわかりやすく噛み砕いた記事を近々書きたいです。ウィッシュリストを公開していますので、あの本の読書感想文を読みたいという方がいたら是非ここからお願い致します。

本文

レ・ミゼラブルで一番好きな登場人物はジャベールだ。物語の主人公の大事な要素が、始まりと終わりで人格的にも能力的にも大きく成長を果たすこと、そしてそのための困難を乗り越えることだとするのなら、この物語の主人公にジャベールを据えても問題がないかもしれない。

自らの正義-すなわち定められた法-に基づいて、脱獄まで犯す大悪党ジャン・バルジャンを正義の要請のもと何度も捕まえようとするが、中々捕まえることが出来ない。彼は身分も名前も変えてしまうのだから。毎度、ギリギリのタイミングで逃げられてしまうので読者も思わず息を呑む。

しかし、その捕物帳を続けている内に、段々と大悪党ジャン・バルジャンを見る目が変わっていく。彼は力持ちだがめったに人を傷つけることはせず、それどころか市長として街を興しさえする。しかし目立ったことをしては最後には捕まってしまう。ジャベールは法を実行する喜びで狼のように彼を責め、捕らえる。その喜びは、しかしまたしてもジャン・バルジャンの脱走によって裏切られることとなる。

それからも折を見ては彼を探しだそうとするジャベールだが難しい。しかし、ABC(革命派)のメンバーと政府との争いの中、ジャベールはスパイとしてABCに潜り込み、そこでジャン・バルジャンを見つける。

ところで、そもそもジャベールはこのスパイ行為をどのように捉えていたのだろうか。それは一種の嘘であり、詐欺であったはずなのだ。恐らく彼の考えでは、それは政府に認められた行為であり、すなわち「適法行為」であったので問題は無かったのだろう。手続き的正義に基づく、行為の正当化である。

まさに、彼がジャン・バルジャンを認められないのは、その「手続き的正義」に服さない態度、そして服さないにも関わらずある種の正義を彼が体現していたからではないだろうか。それでも、いまここに在る法こそが彼にとっては大事なのである。その基準に照らして正しくないものは、等しく正しくないのである。

しかし、物語は進みジャベールはスパイの疑いをかけられ、殺されようとしていた。その処理を任せて欲しいといったのがあの大悪党ジャン・バルジャンである。ジャベールは彼にアジトから離れた場所に連れだされる。死を覚悟したジャベールだが、その予想は外れてしまう。彼は、探し続けてきた、捕らえるべき対象であったジャン・バルジャンにその鎖を外され命を救われたのだった。

ABCという共同体にも一種の法がある。そしてそれらの意見の一致として決められたことは、ジャベールの銃殺である。しかし、ジャンバルジャンはそのような法にも服さなかった。政府の法にもABCの法にも従うこと無く、改めて言うのであれば、彼はミリエル司教に与えられた「慈悲」にのみ服して行動していたのだった。

良しにつけ悪しにつけ、慈悲と当時の法には乖離があった。ジャン・バルジャンは慈悲を、ジャベールはその対比としての(当時の)法という役割を担っていたように思う。そうして、ジャベールは最後その乖離に耐え切れず自死を選ぶ。すなわち、(当時の)法の敗北である。作者であるユーゴーはそれを表現したかったように思える。

レ・ミゼラブルは1862年の作品だが、作者は1829年に「死刑囚最後の日」という本も著している。この本の主題はただ一つ。死刑という非人道的な刑罰への強い非難である。作中で、主人公は死刑を宣告される。その最後の1日を、克明に、読んでいる側が苦しくなるほどに、その肉体的・精神的な苦悶と恐怖とを描いた作品である。

思うに、ユーゴーの頭の中には常にこのような意識があったのだと思う。法が持つ一種非人格的な欠陥を憎んでさえいたのではないだろうか。それはレ・ミゼラブルのジャン・バルジャンの独白にも現れている。

「ただ、妹の貧しい子どもたちのために、パンを1つ盗んだだけだ! それはこんなにも長く捕えられなくてはならない程の罪だったのだろうか!? 今頃彼らはどうやって暮らしているのだろうか…」

その後、その妹家族の消息は描かれない。まさに悲惨な人々(Les Miserables)と言う他あるまい。しかしジャベールから見たらこんなにもわかりやすい罪はない。パンを盗み、その上に(妹家族のために)脱走まで図り、失敗。罪が重くなるのは当たり前の話だ。

しかしそのような、「いまここに在る法」を仮託されたジャベールは最後には死ぬ。そしてその死には、生き残ったジャン・バルジャンに託された慈悲の心、誠実な心こそが最も清らで尊ばれるべきものなのだという願いが込められているように思う。法は最初冷酷な目を見せるが、最後には慈悲・道徳の前に敗れる。彼の死は、とても象徴的な場面だった。

作者がどのような「在るべき法」を想像していたのか、多くの著作を読んだわけではないのでわからない。しかし少なくとも死刑には反対だったし、いまフランスには死刑制度は残っていない。このような小説が、人々の意見を感化して変えてきた部分はきっとどこかにあるだろう。私たちに、「いま、ここにない在るべき姿」を示す物語の大切さを改めて思って、この感想文の終わりとしたい。


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