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『月は無慈悲な夜の女王』ロバート・ハインライン◆SF100冊ノック#23◆

■1 あらすじ

 西暦2075年。月にはいくつかの都市と大勢の住人が住んでいる。かつての植民地のように、ここで生産された食物は射出機で地球に送られている。機械技師のマニーは、月の政庁の地下にある計算機の修理を頼まれ、その人工知能が一種の自我を持っていることを発見する。人工知能―”マイク”―は故障していたのではなく、ユーモアを知りたいと考えていたのだ。
 マイクと仲良くなったマニーは、あるとき革命と月の独立を願う人々の集会に参加する。長官の送り込んだ秘密警察により集会はめちゃくちゃになるが、マニーはそこで恩師のデ・ラ・パス教授と、月香港からやってきた革命家の女性、ワイオと出会う。独立は誰もが望んでいるが、不可能だ。それがマニーの最初の意見だったが、ふと、今の彼らには最高の人工知能、マイクが味方についていることを思い出す。「10対1でも勝率があるなら、俺は独立戦争をやろう」そう言ったマニーに、膨大な計算と推測の結果を告げるマイク。「7対1で勝算があります」かくして、月の独立革命が動き出す―

■2 政治SF

 本作が書かれたのは1966年。冷戦は熱くなり、ベトナム戦争が激化、インドとパキスタンも紛争を抱え、中国は文化大革命の最中。ソ連とアメリカは宇宙ロケットを飛ばす競争をしていた。アフリカの各国は次々と独立していく政治の季節だ。

 僕は今回、経済政策のところをさらっと読み飛ばしてしまったのだけど、それは当時勢力を増していた社会主義・共産主義の主張とは異なる。終盤で「教授」が語るように、関税率はゼロに近く、税金はなるべく取らず。「小さな政府」によるリベラル経済の政策が語られる。

 物語の前半は、月が決起するまでの話。主人公マニーや教授、ワイオによる革命勢力の拡大が描かれる。「三角形」型の組織拡大の描写は楽しいが、現代から見るとリゾーム型なりローンウルフ型なりに変化しそうな気もする。時代と想像力の関係を考えさせられる。

 後半に入ると、革命政府の様々な政治的な描写が続く。議会。経済政策。外交政策。軍事防衛。訳者あとがきでも触れられていたけれど、それは当時の共産革命やアフリカ独立革命というよりは、アメリカ独立革命をモチーフにしたものだろう。

 政治を描く筆致は重厚で複雑だが、もし不満を挙げるとすれば、マニーの周辺を除く月世界の人々の描写が一面的に思えるところだ。クラン型婚姻体系など、文化人類学からのアイディアが満載の体系を描きながら、例えば彼らの生活、エンターテインメントといった分野は一面的に見える。主人公たち以外の月の人々に感情移入が十分出来ないままだった。

■3 SF的想像力

 そうした政治的な描写が片方にあり、その反対側にマニーたち「個人」が描かれるのがこの作品の面白いところだ。政治を描いたSFの傑作といえばル=グウィン『所有せざる人々』だけど、これが思想的なのに大して、『月は無慈悲な夜の女王』は痛快なエンターテインメントとして読める。政治とSF的要素が互いを食らいあうバランスが非常に楽しい。

   政治的にも、SFアイディア的にも中心になるアイディアが、「石を投げる」こと。すなわち月から巨大な岩石をマスドライバーで打ち出して地球に衝突させること、という流れは荒唐無稽なアイディアに恐ろしいリアリティを与えてくれる。投石器最強。このバカバカしいSF的ビジョンが、次の瞬間には戦略的コスト計算へと移っていくリズムが楽しい。


#月は無慈悲な夜の女王 #ハインライン  月 植民地 投石器

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